『男は傍らで呟く…「僕の前で、その苗字だけは明かすな」 もはや、時を越えて北条一門vs.横谷の代理戦争だ!』
毎朝新聞の一面を眺めて呟く毛利俊就の表情は、やはり固い。 「これはまるで、スクープのようだ」 新荘川流域環境総合センターを巡る問題は、漁野市にとってはアキレス腱にもなっている。 「毛利さん、朝が早いんすね…」 そこに桑島が現れる…外を見ると、まだ空は明るくなってきたばかり。しかし『新漁野』駅から徒歩圏内のビジネスホテルには北条照実、そして北条邦憲の“ダブル北条”がすでにネットでこの情報を仕入れていた。 「ホテルでネットとは、な」 「ビジネスマンのたしなみだ。それに、漁野にはここしか泊まるところがないからな」 高知市内まで戻ると、確かに照実が連れて行かされる高級ホテルなどがあるが、今回は邦憲と2人で行動をともにしている以上は怪しまれるのも無理はない。 「横谷のヤツ、本腰を入れて桑島をはめる気だな」 「そうさせないために、北条宗家の血筋を引く俺たち2人がいる。横谷を滅ぼしたい、これが共通した考えだ…ただ」 「ただ?」 「毛利だけは、どうも信用できない…民自党の手練手管を見てきているヤツだ。何を考えているのか、しっかりと毛利だけは見たほうがいいかもしれない。俺が仕入れてきた横谷にまつわる情報を照らし合わせても、毛利を深入りさせるには状況があまりに好ましくない」 邦憲には、いくら照実の頼みとはいえ毛利を仲間として受け入れるわけにはいかないと考えていた。 「照実、お前も所詮は横谷に対する恐怖でがんじがらめのようだな」 「なに?」 「お前には、妹がいたよな?…横谷の毒牙にかけるわけにはいかない。防衛本能が過剰に働く、ゆえにがんじがらめになって横暴を許してきた」 「邦憲、何が言いたい。お前にも姉さんがいるだろう?」 グッと邦憲を睨む照実…互いに女の親族を抱えているという共通点を突くが、邦憲にはびくともしない。 「姉と妹、これだけでも立場は大きく変わるものだな。横谷はお前の弱点を躊躇なく狙ってくる…桑島を助けたくても、お前だけでは本当に役不足だ。あと、あの女記者にも妹に似た面影でも感じているのか?…つくづくシスコンだな、照実」 不敵な笑みを浮かべて、邦憲は部屋を出る。何も言い返せなかった照実…深江に、自身の妹・瑞子の面影を感じているかといわれれば否定できない。邦憲にこうも簡単に心理を読まれてしまったことに対する悔しさのほうが、照実の脳内を支配している。憎らしいほどに頭脳明晰…本気で横谷を滅ぼす、そう信じているのだから俺はお前を信じるほかないんだと言われているようだ。照実が本気にならないと、横谷を倒せない…その再確認ともいえるのが本当の邦憲の心理だが、混乱しているに等しい照実には苦しい心持ちだ。
「そうですか…」 一方、横谷もアジトでこの日を迎えていた。しかし、1人だけのようだ。携帯電話を片手に、誰かと話し込んでいる。 「本当にあれでいいんですか?」 「疑うな、と言っただろう。僕に間違いなんてありえないんだから」 「ですが、ヤツの裏には北条…」 「その苗字を僕を相手に口にするのはやめろ、と言ったよな?」 そう言って、語気を少し荒げた横谷…やはり、彼の血筋がうずくのは400年来抱きつづける北条一門への怨恨だ。 「それに毛利俊就だ。何を考えているのか知らないが、加賀金沢の北条邦憲…まして高尾の北条照実に味方するヤツだとわかれば、もろとも毛利も滅ぼす。北条と運命共同体で、美名を残してやってやるんだ。それだけでも僕はいい人だろう?」 そういいながら、横谷はボタンを押して電話を切る。そして、すっくと立ち上がってさっと上着を羽織ってアジトを出る。 (僕に逆らうものは、誰であれ絶対に許さない。世の平和を司る神々の代行者たる僕に盾突くなど、愚かしき人間にはできやしない芸当だと思い知れ。400年来の積年の恨み、必ず晴らさせてもらうぞ…滅びるのはお前たちだ、北条!)
「不正選挙を赦さないぞー!」 「赦さないぞぉーー!」 「赦さないぞー!」 「赦さないぞぉーー!」 漁野市役所本庁の前が騒々しい…けたたましき轟音とともに、選挙の無効を訴える集団。もちろん、リーダーは中本行弘であり、弟子の巽誠直や横谷が仕掛けた女性サクラ軍団も混じって市役所職員らにシュプレヒコールを浴びせる。 「不正選挙なんですよ!」 そう言って迫ってくる男たちとの関わり合いを避けたい心理は当然、市役所職員らは何人もそそくさとその場を去って市役所内に消えていく。 「コラァ!逃げるのか貴様!」 「談合を認めるんだな!」 詰め寄ろうと追いかけていく巽たち…明らかに素振りも含めて、彼らの意思を感じられない。むしろ、ますますもって誰かに操られている印象が強くなる。しかし、彼らの目当てはもちろん別にいる…桑島庸介だ。 「いつまで経っても、きやしねぇじゃねぇか…」 するとそこにハイヤーが1台現れる…明らかに市議だと思える風貌が映った。 「不正選挙を赦さないぞー!」 「選挙の結果は断じて認めない!」 「不正を糺し、市議選をやり直せー!」 「そうだそうだ!」 「やり直せー!今すぐやり直せぇーー!」 奇声と怒号と、重苦しい雰囲気が正面玄関を覆っていた…もちろん、そんなところに正面から桑島が現れるはずもない。 (つくづく馬鹿な連中だ…) 桑島だけではない。市議たち各位も、このような心境だろう…負けを認めたくない、腹いせのようなものだといわんばかりに。役所の始まる時間がまもなく迫る頃、中本たちに詰め寄るとまでは言わないまでも主婦たちが数名ほど駆け寄る。 「近所迷惑なの、あんたたち!」 「なに!?」 そのような言葉を彼らの前で吐くなど、よほどの勇気であろうか。空気が一気に怪しくなる。 「どこで何しようが自由だろ!」 「街頭演説なら、警察に許可を取ったの?」 「なんだと!貴様、カルトの手先か!」 「そうだそうだ!」 「なんとか言いなさいよ!」 「カルトを高知から叩き出せー!」 もはや話など通じる相手ではないのは、桑島はもちろん照実や邦憲・毛利にもすぐわかる。中本派の中には、立憲明政党に党籍を持たずに隠れ蓑団体を転々としたりしている連中が多いので、実態は把握しづらい。しかも本丸でないとなると、本腰を入れるわけにもいかない。勝手に自滅をさせるように仕向ければよいだけ…邦憲はこう指南した。それよりもなぜ、今頃になってエネルギー回収プラントを巡る一連の光友電工における諸問題が記事になったかだ。桑島はちなみに、裏門から入っている…中本であれば、いとも簡単に騙せる。そこで邦憲と合流…照実は、自平連高知県連の総会に出席するためにいち早く漁野をあとにして高知市内に向かっていったそうだ。毛利は桑島の事務所の留守を預ることに…しかし、あと1人足りない。そう、深江だ。 「もしかして…」 「チッ、あの馬鹿が!」 深江のことだ、何を考えているのか未だに理解できない行動に打って出る可能性もある。計画の狂いを嫌う邦憲に、焦りの色が明白に顔に表れてきた。
焦りと言えば、ほかにも中本や巽たちにも無縁のことではない。 「本当にこのままでいいんですか?」 立憲明政党の一派閥に等しい『真政行動会』、もとい中本自身が党首補佐という総本部の役職の1つに就任していることから“中本派”と呼ぶのが適当であろう。発足初期は中本自身、同党への入党は前提ではなかった…後方支援組織どまりにしたかった。しかし中本は入党して、参院選を戦った…あとに続けと巽ほか弟子たちも続々と入党した。センセーショナルな展開であるうちに、勢力が拡大して一派閥と呼ぶに等しい状態になった。 「なんか、怪しいんですよね…あいつ」 もちろん、それは横谷のことだろう…中本派とて、派閥内が中本のもと一枚岩ではないのは言うまでもない。横谷に疑義を抱く派閥の構成員がいても、全然不思議なことではない。 「だから言ってんだろ。信じるしかねぇ、ってな」 「信じるも何も、俺たちには時間が…」 そう言われると、中本は黙り込むほかなかった…すでに党内は中本派だけではなく、前党首のブレーンら“旧本流”がついに派閥結成のための勉強会を京都で開催したという。ほかにも、九州でもすでに派閥結成と思われる動きがあり、現に昨年12月の定期党大会における党首選で“第2代党首”の座を巡って、その派閥の長と思われる人物が参戦した。外交での主張は当然として、ほかにも内政にも比類なき知識を誇り、理性を操るのが上手いという、専らの党内評判だ。 「ふん、前党首に取り入って俺を陥れるってか?…恩知らずな連中だぜ」 「恩知らずも何も、俺たちは外様です」 「だからなんなんだよ。譜代も外様も、江戸時代じゃねぇんだぞ!」 「用済みになれば捨てられる、と言ったまでです」 「口ごたえするんじゃねぇよ!」 巽が懸命に口止めようとする…どうやら、中本派の立場は思っているよりも安泰ではないようだ。それどころか、一気に外様からの主流派入りを果たし、そのせいか妬みの声が一般党員を中心に日増しに強まっている。もっとも、中本派の中にはそんな妬みの声などどこ吹く風と言わんばかりか、それとも気付いていないのか、気にとめない面々のほうが多い。ただ、中本派を除いた残る2つの派閥も、そして無派閥の面々にも中本が横谷の正体にまでは至らないものの、中本が自らの意思ではなく他人に言わされている印象の強いことは感じている。ゆえに、中本は幹部ならいざ知らず一般党員の間では評判が日増しに落ちていた。 一方、ここは市役所本庁舎…深江はすでにこの中に入っていたのだった。光友電工の過去を暴露して、新荘川流域環境総合センターに絡む談合をはじめとした汚職を暴くことに何の意義があるのか…と。 「桑島さんも北条さんも、何を考えてんのよ!」 憤るのも無理はない…厄介者扱いばかりして、自分でもできるんだという証明をしたい。だから懸命にネットや東京のつてを使って光友電工の関係者の周囲を調べた。自信はある…横谷との1対1を申し込もうとした矢先、携帯電話が鳴る。 「…はい」 電話の主は、東京本社の政治部デスク・清水耕輔だった。 「…元気そうだな。ま、それでいいけどさ」 「どうしたんですか急に?こっちはこれから…」 「まさか、光友電工のことで記事を載せようってことか?」 あっさりと見透かされた深江の心理、清水はさすがに直属の上司だっただけある。 「光友電工だけじゃ済まねぇよ…おう、深江。武田信伴、って知ってるだろ?」 「…経済欄で、日本新聞[ウチ]の記者と対談したことがある人でしたよね?」 「四菱電機の代表取締役…もとい、系列にあたる四菱環境プラントの創業を裏で率いたヤツだ。典型的な理系畑、しかも旧・四菱財閥の創業者一門の血統。菱風会の会長にまで上り詰めやがった、苦労人だ。プラント繋がり…光友電工は、四菱電機グループにとってプラント事業を巡る目下の宿敵ってとこだ」 「菱風会って…四菱グループの企業の社長の会合組織の?」 「ああ。武田が会長になるまでは四菱銀行の、しかも武田一族はそのときは影も形もないほどに目立たせないでいた。今回の記事、武田が一枚かんでいるという状況証拠は十分に成り立つぞ」 では、その武田信伴は横谷とグルだったのか。しかし、それだとできすぎている上に直球すぎやしないか。深江はそんな疑問を清水にぶつける…すると、電話ごしなので深江にはその表情を読み取ることができないが、清水の表情は強張っていた。いや、深江の成長に面食らっていたのだろう。 「やっぱ、お前を高知に送り込んで正解だったぜ…桑島に鍛えられたか?じゃ、俺からのヒントはこれまでだな」 そう言って、清水は受話器をそっと置く。ともかく、談合を巡るもう1人のキーパーソンなのか、横谷に会う前にもう1度頭内やメモで武田のことで整理する深江…すると、もう横谷のことなど忘れて市役所本庁舎をあとにして、桑島の事務所へと戻っていった。一方、この日…横谷は最後まで市長室から出ることなく、市議選後の最初の臨時議会の初日は流会も同然になった。まるで、嵐の前の静けさと言わんばかりに拍子抜けした市議たちは次々と市街地に繰り出す結果になった。市議たちが次々と後にしていく様を市長室から眺めつつ、1人もその姿を見なくなったところですっくと横谷は席を立ち、市長室を出て市役所本庁舎を後にしていった。市長らしからぬ、相も変らぬ孤独の家路である。
翌朝、横谷のアジトでは巽たちが大騒ぎしていた。 「ちょ、ちょっと来てください!」 叩き起こされた中本や横谷が不機嫌なのは言うまでもない。巽たちに誘導されるまま、玄関に出てくると…そこには、いかにも目立つ2つのとぐろ巻きの糞が置かれていた。いや、どう言えばよいのだろうか…表現に困る中本と横谷。 「誰だよこれ!」 「わかりません。朝起きたら、ここに…」 「敵の陰謀かもしれない…現状維持だ。カメラで証拠をおさえておきましょう」 慌てることなく、横谷はサクラを構成している女たちに指示してデジタルカメラで写真をおさめて証拠を残す。 「ヤツしかいねぇな…絶対に赦さん!」 「…北条の手の者が、こんな姑息でベタすぎる手に打って出るとは思えない」 「…北条?桑島だろうが」 息巻く中本が、声をやや荒げて横谷に問い掛ける…照実と桑島に、接点があるのか? 「いや、まさか…ヤツじゃないか?光友電工とか、あとは四菱の連中の路線も否定できない」 「武田信伴だな?…四菱ってのは、昔っから俺は気に入らねぇヤツらでな。シメてやろうと思ってたところだ」 「いや、向こうは貴方はもちろん僕でさえ無視される存在ですよ」 武田は今、四菱環境プラントの創立後10年を記念した技術展示会の計画に奔走…そもそも中本らとの直接の接点はない。もしあれば、とうに武田は代表取締役社長の座を追われ、名実ともに旧・四菱財閥の創業者一門の風格も何もかもが失われる。ただ、横谷には武田など眼中にもなかった…いや、利用するだけ利用して最後には武田を簡単に奈落に落とせるという自負のほうが勝っていた。 「僕にかかれば、武田信伴など簡単に捻り潰せる…」 「…あ?」 「いや、なんでも…」 そう言って、ベランダに戻っていった横谷…意味深だ。光友電工の次は、四菱環境プラント…いや、それどころか四菱電機である。 (僕に言わせれば、農業以外の産業は虚業だ…工業なんてのは、その最たる例だ)
その日の夜、桑島の事務所にはいつもの面々が集結していた…桑島のほかに深江、そしてダブル北条に毛利の5人。今日の臨時議会が流会になったも同然なのを受けて、改めて新荘川流域環境総合センターを巡る談合の真相を含めた横谷の対応などを想定した作戦会議を練る。もちろんカーテンを何重にも張り巡らされ、蟻の這い出る隙すらない…横谷のサクラたちが執拗に桑島を狙うのは想定内。そこに、チャイムが不意に鳴った。一気に目を尖らせる邦憲…ただ、さっと桑島が立って受話器を取る。どうやら、桑島の知り合いのようだ… 「知り合いだからといって、容易に部屋に入れるものじゃないだろ?」 釘を刺す邦憲を無視して、桑島は部屋に入れていった…非常に小柄で、ギターを背負う女が5人の前に現れる。 「桑島、お疲れ!」 「悪かったな、わざわざ東京まで行かせてよ…」 どういうことだ?…妙に馴れ馴れしい桑島とその女の仲を、邦憲が疑わないわけがない。ただ、照実は気兼ねなしか頬が緩んでいた。 「あ、北条さん!お久しぶりです〜」 「久しぶりだなオイ、元気してたか?」 「このとおりですよ〜」 談笑している暇はないと言わんばかりに、3人の様を睨む邦憲…しかし、桑島や照実にはもはやどこ吹く風か? 「あ、ごめん…本題に入らないとね」 そう言って、さっと桑島の隣に座ったその女の前に邦憲が迫る。 「わかっているなら、座らずにとっとと帰れ。お前の居場所は、ここにはない」 「あるよ。桑島に頼まれてたのがあってね…命懸けだったんだから」 命懸けとはどういうことか?…いわば、副業として桑島の情報屋をやっている。本業は、ミュージシャンを目指す普通のどこにでもいる女である。桑島とは高知大の同期生で、同じサークルだったらしい。ということは、照実とももちろん接点はある。 「黎明党と、あとは光友電工。それに四菱電機…とりわけ社長の武田信伴と四菱環境プラント!」 深江が一気に目を向ける…四菱電機グループの名が、その女から出るとは想定外だったに違いない。 「四菱が、大手電機メーカーの中でかなり出遅れてるのは知ってるよな?」 「そもそも、“四菱”そのものが武田一門の影響力を排除してからのほうが不祥事が続いているしな…」 「起死回生、というか環境にうるさい現代だからこそ…そういう機を見るに敏な武田信伴が、他のメーカーにない特色として新しい事業の開拓を目指すのに、なんら不思議はありませんね」 「それと、武田一門の名誉回復のためでもある」 それが系列会社として、四菱環境プラントの設立に由来するのは言うまでもない。武田は、環境の世紀と叫ばれる昨今の風潮をすでに10年前に読んでいたという。 「となると、環境センターの談合に武田信伴は一枚かんでいた…ってことじゃないですか!」 「いや。かむとしたら、武田の立場に立ってみるとわかる。光友電工を追い遣るには、確かに状況証拠はある」 「市場原理を容認するとは、まさにそういうことですね。均衡するまで喰い合わねば、いびつな状態が続くだけです」 「そこに介入して、自らの政治力を試す気だね…横谷ってヤツ」 「いや、横谷は経済活動に対する公的介入を極端に拒否している…無政府主義と見間違えるほどにな」 副業情報屋の女も混じって、6人が真剣に事の推移と心理を探りあう…しかし、横谷をはじめ現状の黎明党をめぐる新たなる情報を聞いて、桑島たちが青ざめたのは言うまでもない。実態以上に、横谷の独裁政党たる体制…役員会も単なる横谷への翼賛機関でしかなく、党首はいるが権限も何もない状態で実質は横谷が黎明党のナンバー1といえる位置にいる。そして、北条一門への怨恨もさることながら世にも恐ろしい思想を露呈している。その具現化が、高尾山系を切り拓いて築いた自らの集団農場だ。 「まるで、コルホーズとかじゃねぇか…そんなの」 「冗談じゃないんだよ。これ、全部マジ…農業が大事とはいえ、背筋が凍ったね」 そんな言葉をしれっと吐くだけで、邦憲以外には決して堪えられる気分ではない。 「農本主義、か…」 「横谷は、共産主義者にも通じますね…何もしないで富が完全平等に行き渡る社会構造など、現世の論理を大きく逸脱しすぎています」 「あと考えられるのは、“派遣切り”に便乗しようということも…」 「それでも、正社員やら継続雇用の一端にある団塊世代はのうのうとしつづける」 「世代間格差をあおり、異様な対立を生んで便乗して…横谷のヤツ、自らの農場をもう1つ建てる気だな」 「そのためには、他の産業に従事する人たちは皆が邪魔者…派遣切りは、横谷さんからするとそのための恰好の口実を得ているんですね?」 「光友電工を潰したら、次は四菱電機…武田信伴も、横谷ってヤツを見くびってると返り討ちに遭うよ。あいつはマジでいっちゃってるからね…武田を利用するなんて、屁とも思っちゃいないだろうね。現に光友電工が邪魔な存在なのは、横谷にも武田にも共通している事柄。農本原理に冒されている点じゃ、中本行弘とも共通する。だから同盟が組めるんだよ、あいつ…」 「ま、どのみち横谷はやっぱり利権談合共産主義者の一味ってことだけは確かなようですね」 桑島は、一連の討議をふまえて1つの結論を推理する。その言葉に思わず、納得づくな目で見る深江や情報屋の女をはじめ、毛利もその中に混じる。ただ、ダブル北条だけは納得していない。 「中本行弘の場合はそうかもしれないがな…中本が本丸とは、そもそも思っていないよな?」 「だとすれば、前提からすでに間違っている」 釘を刺されてはたまらない…中本と横谷を考えると、照実の話によるとどう見ても中本のほうが横谷に操られているはずだというそうだ。中本を攻めれば、確かに牙城なんてものがない以上は簡単に崩壊できる。ただ、それは横谷に都合が良すぎるだけだというもの…ましてや、新荘川流域環境総合センターを巡る談合問題の再燃は、そんなところで終わる次元ではない。横谷の、プラント関連事業そのものや環境政策、また工業そのものに対する挑戦状を突きつけるに等しい行為だということを自覚しなおさないと、いつまで経っても打倒できない。 「俺たち北条一門にも代理戦争を仕掛けられているんだってことも、忘れてもらっちゃ困るんだ。そして、今回こそは決着をつけないといけない」 「ま、俺は武田まで助ける気は毛頭ないが…利権の後始末は、四菱にも責任を被ってもらうとしてだな。談合問題の本質は、確かに横谷と同じく責任が光友電工に及ぶことまでは共有しているという、厄介な事態があるからな。常に最悪のシナリオを想定しつづけないといけない。答弁の際の原稿を編集するべきだな」 邦憲のこの言葉に対し、異議を唱える者は不思議と誰もいなかった…情報屋の女でさえ、邦憲の理路整然とした対応にひたすら呆然とするほかない。6人の思いは、一気に共有された…横谷を打倒する、そのために臨時議会で先手を打って談合問題に踏み込むために答弁の文書を懸命に考えた。そして、文章化していって答弁の天才といわれる毛利の助言も加えて、徹夜も同然に桑島は議会対策のために奔走した。それらが全て終わる頃には、もう外は早暁の様相を見せていた…
朝…ここは東京。品川駅前にそびえるビル群の中に、ひときわ目立つ場所がある。四菱電機の東京本社ビルである…武田が社長に就任してすぐ、このプロジェクトを動かしたのだ。そのビルに入っていく1人の男…清水だ。 「すみません、武田社長にアポイントを取った日本新聞の清水と申しますが…」 受付はすんなりと対応し、実際にアポイントのあったことを確認してから清水は入構証を受け取って、そのまま社長室へと向かう。武田との1対1は、実に久々…いや、政治部としては初の試みだ。 「失礼します…社長、清水様がお越しになられました」 「うむ、応接の間に案内したまえ。直に参る」 「かしこまりました」 どうやら、本当に清水と1対1での取材に応じてくれるようだ…応接の間、出された緑茶に手をつけようとした矢先に武田が入ってきた。 「いやいや、気にせず…この緑茶、なかなか健康にもよいものだよ。体内環境、とでも言えばよいかな?」 そう言って、顔をほころばせながら武田はゆっくりと席に座る。すると、目の前にメモ帳とシャープペンを取り出してすぐさま取材の準備に入る清水。 「おや、気が早いねぇ。経済部の彼女だったか、あのときはもう少し私の雑談に…」 「そんな暇はねぇんだ、悪いがな。単刀直入に言うぜ、談合問題に深入りして横谷と組んでいったい何を企んでいるんだ?」 「これはまた、政治部の方はイラチのようで」 「イラチとかそんなんじゃねぇんだ、時間がないんだよ…こっちにゃ。高知県漁野市ってとこにある、新荘川流域環境総合センターのことを知らないとは言わせねぇぞ…武田信伴」 武田は明らかにたじろいでいた…清水はなぜ、そこまで知っているのか?侮ってはいけない相手だという感じで、グッと清水を見入ったまま長く沈黙を続ける。 一方、漁野でも桑島をはじめとして市議たちが市役所本庁舎に集結…中本たちも正門前でいつもの抗議活動。異様な雰囲気、深江も傍聴席の場所を取って準備を始める。裏側では邦憲が、相手の動きを陣取る…照実と毛利は、依頼のために東京に向かわざるをえない状況にあった。数日は戻ってこられない… 「あいつら、特に照実のためにも結果を出さなければな」 そう決心を固めた邦憲の目の前に、不意に1人の若い女が現れる。 「あなたは、私を…拷問するんですね?」 さすがの邦憲も、この突拍子もない言葉には目が点にならざるをえない。いったい何を言い出すのか、と。しかし、その女もまた桑島たちの命運を大いに握る存在とは、このときは誰も気づかなかった。
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