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Governor's O&D 〜“さと”とは、“くに”とは〜 作者:本城右京

第8回   土佐蹂躙
『国会でも話題騒然、漁野市政の迷走は決定打に迫る! 北条一門と横谷、両者に秘められた400年来の因縁とは?』

「選挙参謀?」
「…ああ、今のお前は横谷に踊らされている駒に過ぎない」
 北条邦憲の口調はそのまま…桑島に危機感を持ってもらうため、横谷の底知れぬ独裁者としての恐怖を思い知るため。
「漁野市議選は、あくまでも序章にすぎない。その序章さえ突破できないヤツに、横谷は倒せない」
 まるで桑島が落選すると言わんばかりに聞こえる。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、俺は…」
「感触だけに踊らされてどうする?…これだから議員ってのは単純なんだよ」
 馬鹿にされたかの口調に、さすがの桑島も機嫌を損ねて当然だ。他の議員であれば、もはや一触即発である。
「…俺を当選させる、って言ってたよな?」
「桑島さん、この調査を見てください」
 邦憲と桑島の間にさっと割って入る深江…こういう調査は、新聞記者として慣れている。新聞を手にとって見入った桑島の姿が、この後は容易に想像がつく。
「…どういうことだよ?」
 感触は間違いなく良かったはずだ…どこでもそうだった。結果が反比例しているとしかいえない。
「感触は本当だろうな。あくまでも、感触…それだけだ。裏にまわればどうなるか…」
 暗に操作の可能性を示しているとしかいえない、邦憲の言葉である。
「てめぇ、さっきからなんなんだよ!…俺の参謀になるとか言ってたよな?」
「…紹介が随分と遅れてしまったよな?」
「する前に、お前が土足で入っていきなり話し始めるからだろ!」
「…俺は、北条邦憲という。おっと、照実みたいな甘い考えのヤツだと思ったら大間違いだ」
 憎らしいほどにクールな口調で自己紹介する。
「北条さんを下の名で呼び捨てとは、ずいぶんと偉そうな態度だな」
「…当たり前だ。血筋は、太祖まで遡れば照実も俺も全く同じだ…小田原を本拠に関東の一大勢力に上り詰めた北条宗家の血筋を分けているんだよ。紹介はもういいか?…本題に入らせてくれ、時間がないんだ」
 そこで、横谷のことを邦憲は話し出す…もともと、横谷の家系も戦国時代は上野国(今の群馬県全域)のいち国人であったという。横谷氏は1度改姓しているので、彼らがその血筋にあたると悟られるものは何も残っていない。北条氏とは、遅かれ早かれ国人らとの対決は不可避…しかし、北条氏は降伏しても先祖代々の土地は全て安堵されると聞くや降伏をしてきたのだという。小田原城にて氏康と面会するや、降伏と恭順の意思を伝えるも氏康は予想外の行動に出た。
「その者を斬首せよ」
 そういうや、奥の居間へと引っ込んだ氏康…すでに下心を見抜いており、抱えれば北条宗家の存亡に関わる事態になりかねない危惧を一瞬で読み取ったがゆえだ。そういうこともあって、所領を全て失って御家断絶の寸前に追い込まれた。
「どうして殺しちゃったんですか?」
「下心が丸見えのヤツを抱えたら、軍律も何も意味が成さなくなる。北条家では、宗家であれ分家であれ軍律を破る者は家臣団における序列の如何によらず、足軽・雑兵に至るまで厳罰に処すとある…いわば、斬首・晒し首だな。氏康公は規律に非常に厳格な御方だったという…」
 横谷は北条氏への復讐と言わんばかりに、といったところか?
「…その要素の否定はできない。照実が国会議員として君臨しているのもあるしな」
 邦憲はすぐさま疑問に答える…ただ、それだけではないだろう。
「“愛国心”を安易に叫ぶヤツは信用できないし、むしろ胃酸の出る部類だ…そういうヤツほど、俺たちの郷や国を滅亡に追い遣ろうとしてることに全く気付かないのだからな」
 まるで誰のことなのか、深江にはパッと中本行弘の顔しか浮かばない。
「そこの女…新聞記者、だったよな?中本を思い出しただろうが、ヤツが本丸だと勘違いしちゃいけない…所詮は横谷の操り人形にされているだけだ。経済的なベクトルの向きがあちこち振れるから、簡単に横谷の口車に騙される」
 深江の考えていることなどお手の物…知能は並大抵ではないようだ。その邦憲の博識はバッチリと当たっていた…驚愕の表情を隠しきれない深江。
「というか、いい加減に本題に入らせろ。桑島庸介の“政治家”としての生命を断たれたくなかったら、ここから俺たちも仕掛ける」
 邦憲は、まず桑島を当選させるための短期戦略を敢行するという…現状、税金の使い道に敏感だったり高齢者向けの政策にも人口形成をふまえると有効な手段だ。現に、漁野市の過去の選挙における投票率は世代別で見るとやはり老年層や主婦が主力といえる結果を割り出していた…若年層は全くもって振るわない。誰かが桑島のお株を奪う政策を掲げているのだろう…それを上回る、かつ突拍子ではない政策を練る。簡単なことだが、実に難しい…そこで、邦憲はアドバイスを桑島にする。
「政令指定都市に昇格するとか、そんなネタを持ち込んで市議選に挑んだヤツはことごとく落選している。大きなところばっかり見るな、まずは小さく…一番の難題を突け。そして、不安を払拭させろ…ここまで言えばわかるだろ?」
「…でも、漁野市が高知市に編入されても、高知市の政令指定都市昇格なんて夢の話じゃあ?」
 深江の新聞記者とはおおよそ思えない頓珍漢な受け答えに、そういう問題ではないと言わんばかりに、邦憲はもちろん桑島も嘆息を漏らす。高知市に編入されたいと願っては、その瞬間に落選決定だ。
「ま、ここまでいえばもうお前ならわかるだろう…すまないが、俺はしばらく金沢に帰る。結果を楽しみにしているよ…」
 そう言って、傍らのボストンバッグを担いで邦憲は身支度もそのままに事務所を出て漁野駅前に向かう…陸路で金沢に帰るのだろうか?夜行バスなら、せいぜい大阪どまり。そこから乗り換えて帰るのだろう…ただ、桑島は邦憲を見送る傍らで微笑を隠さなかった。
(ありがとよ…)

 邦憲の言葉の数々は、桑島が立候補を決意したあのときを思い出させることになった…そう、漁野市が抱える大きな問題は財政赤字だ。積もり積もったものが、さらに合併で大きくなった…どうにかしなければ、破綻は不可避だ。もちろん、横谷は市長に居座っているのだから引き摺り下ろさないと、早晩に破綻だ。横谷の戦慄の政策を暴露することは、相手に隙を与えるだけでしかない…現に原や中道も、相当に苦戦している。もしかすると、世論をも操っているかもしれない…愚直に財政赤字対策を訴えるしかない。残り3日、かつわかりやすいシナリオで…仕方がない、夕張を利用しようと考えた。それもいけないと桑島は踏みとどまった…そこで、ふとあの理論を思い出す。公債理論だ…合併特例債でも話題になった。でも、その存在さえ知らないままではいけない。そこでもう1度、振り返る…税金の実に粗い使い方だ。裏金問題は、県内全域で吹き荒れた…漁野市とて例外ではなかった。桑島はかつて、当時の市長でもあった岡村を猛烈に追求した…どうだろうか?…情報屋たちも懸命に知恵を出し合い、そして実践に向けた…合言葉はただ1つ。
「僕らの子供に、未来の漁野市に負の遺産と歴史を残すわけにはいかないんです!」
 難しいが、前を見ようと…赤字再生団体転落を阻止する。脅す気はないが、夕張の二の舞は避けねばならない。そうなれば、国は助けてくれない。いや、もとから国も税源移譲に本腰ではない以上は自立しか道はない。世論調査で、桑島の魂の叫びは市民に届いたのか、直前になって再び盛り返した…結果、桑島は無事に2期連続当選となった。
「やったーーーーーーー!」
「バンザーーーーーイ!」
 当選確実と報道されたその瞬間、事務所内の歓喜は最高潮に達した。順位は10位…得票数も得票率も下げたが、当選した18人の内訳は17人の前職と1人の新人…とはいえ、この新人は病気で不出馬だった前職の後継たる存在でしかないので、横谷市政の窮地は未だに打破しきれていないと見るのが本筋だ。不利な状況からの逆転劇に、桑島の事務所は歓喜に満ち溢れていた。情報屋たちも、自分のことのように喜ぶ…
「桑島さん!」
 駆けつけた深江も、桑島の当選に一入に喜ぶ。
「俺にばっか肩入れすんなよ!」
 思わず頬が緩むほかなかった…そこに携帯電話が鳴る。電話の主は、もちろん邦憲だった。
「…無事に当選したようだな」
「おう!…感謝するぜ、恩人」
「喜ぶのはまだ早い。これは序章にすぎないと言ったはずだ…横谷は、本気を出して潰しにかかってくるぞ。そのときは、逆に俺が攻勢に出て必ずや400年来の決着をつけてやる」
 意味深な言葉を残して、邦憲は一方的に電話を切った。400年来、どういうことだ?…それまでの喜びが一気に吹き飛んだ。思えば、確かに邦憲の言ったとおり…現に、順位が下がったのには横谷の底知れぬ策謀があったからだ。そう見るほか手はない…邦憲はその足で、再び金沢から大阪経由で高知へと向かっていた。そして、広島からもあの男が…
「そろそろ、動きましょうか…」
 そう、毛利俊就だ。臨時国会は開かれる気配がないが、漁野市政の混乱は永田町でも話題にあがっている。理由なりは、なんとでもなるだろう…それに、国会の勢力図が臨時国会の召集をそう簡単に許すはずがない。そこに照実が揃えば、もはや他人事とも思えない事態に発展していくのは必至だ。毛利の真意はどこにあるのだろうか?…さすがに謀将の系譜だ。

 一方で、桑島の事務所…歓喜のさなか、桑島は新たなる戦いの始まりに思いを馳せていた。傍らで見るほかなかった深江…そこに、携帯電話が鳴る。
「…はい」
「なんとか、片思いさんは無事に議席を死守したみたいだな」
 電話の主はもちろん、清水耕輔…
「ち、違います!」
「…ま、それよりもさ。今後はもっと動きが激しくなるぜ」
「…桑島さんも、そんな気持ちだと思います」
「真正のジャーナリストとして成長する絶好の機会だ。桑島にばっちり密着していけ…横谷のヤツ、やっぱ1枚も2枚も食わせ者みてぇだ」
「そこに北条さん…」
「照実か?…それとも、まさか邦憲とか言うんじゃねぇだろうな?」
 ズバリだ…いや、正確には照実も邦憲も密かに関わっていると言ったほうがいい。
「やばいぜ、それ…横谷と北条ってのは、互いに戦国時代からの因縁が渦巻いてんだよ。北条照実の実家は、高尾山系の側だしさ…2人ともとかって、それは最悪のシナリオだけどさ。横谷もその北条氏への恨みが重なって、とんでもねぇ宗教に帰依しちまったしさ。下手すると、泥沼化すると思うぜ…命懸けの取材になると思う」
 そう言って、すぐに清水は電話を切った。高尾山…それでは、横谷に恨みを持つのは邦憲よりも照実のほうではないか?…ともかく、想像以上に早く第二幕はすでに始まっている。ただ、桑島の周りには強力な味方がつきそうだ…とはいえ、彼をダシに邦憲や照実は北条一門の名を賭けた横谷との代理戦争を始めようというのか?…そこだけが不安だ。そして、邦憲や照実はもちろん毛利までもが漁野の地に集結する…たったの約5.7万人しかいない、図体だけの高知県内では高知市に次ぐ人口第2位の市へ将来の国政を嘱望されるだろう男たちが一挙に集まるのだから、これはただ事でなくなっている証左だろう。

 怒涛の市議選の結果が出て2日後、まるで興奮が嘘のように静かになった桑島の事務所では人という人が集結していた…いや、集団でという意味ではない。集まったのは、邦憲と照実…そして毛利だ。毛利のことは、桑島は照実から名を知っていてすぐに2人は場に溶け込んだ。そこに遅れて深江が入ってきた…
「すみません、遅れました」
「…社会人のマナーも知らないのか?」
 すぐさま邦憲が立ち上がって、深江を問い詰めようとする。しかし、深江はそんな邦憲をグッと睨む。
「まともに働いたこともない人に、そんなことを言われたくありません!」
 それを言われると、邦憲には玉に傷だ…ただ、面子は出揃った。今後の作戦を練るという。
「まずは、生きて帰って来れたことを祝しよう」
 桑島が生きるか死ぬか…それは、政治家として。そう、漁野市議として2期連続当選を果たすか否か。落選したら横谷への防波堤は崩れて、一気に漁野市は赤字再生団体どころか市そのものが滅亡するのだ。漁野市民1人につき、2500万円もの現金をばら撒く…1人たりとも賃貸住宅で生活する者のいないように、市民全員に何かしらの家を建てられる土地と担保を市が責任を持って保障するという。
「市民1人あたり?」
「…冗談だろう?」
 照実も驚愕するが、毛利に至っては閉口寸前である。2500万円ずつ、約5.7万人に漏らすことなく保障するとなると市の予算の何年分もの額が一挙に撒かれるというのか。
「…バラマキ、そのものですよ」
「そんな次元じゃ済まないだろうな」
 桑島の怒りの源はまさにそこだ…赤字再生団体への転落も、横谷は意図的に仕組んでいる。夕張は英断だと、進化の道を選んだ市長を称えようと市長選で横谷ははっきりと言った。照実にも、もはや呆れ顔しか浮かべない状況にあった。
「しかし、そんな政策を掲げておきながらなぜ…その横谷って人が市長になれたのか、僕には甚だ疑問です。ある種、民自党[ウチ]の幹事長のほうがはるかに上手だというのに…」
「…毛利、“西の謀将”の血筋は劣化してしまったようだな」
 民自党の幹事長といえば、サブカルチャー好きで国民人気も根強い瀧本太郎…横谷と比べたら、明らかに横谷のほうが組みやすいと発言しただけの毛利に対して、邦憲の口からは毒舌が炸裂した。
「瀧本なんて、横谷からすれば赤子の手を捻るようなものだ。瀧本ごときで恐れをなしているようじゃあ、先が思いやられるぜ…民自党につくづく見も心も冒されてきているな?」
 顔の表情には表れていないが、毛利の心理は察するに余りある。
「照実、もしお前が総務相だったら…漁野市が赤字再生団体に転落しても、必ずや再生の道へと導く自信があるか?」
「…ないね。助けられないよ」
 すると邦憲は思わず微笑を浮かべた…まるで、照実が模範解答を返したかのような反応だ。
「何がおかしいんだよ?」
「…おかしいんじゃない。照実のが国の本音に近い…漁野だけじゃない。全国どこでも、例外はないからさ」
 それだと、横谷が赤字再生団体転落を英断だと称えて乗り遅れるなと煽ったあの演説内容はどうだと言うのか?…最初から答えは決まっていると前置きして、邦憲は言葉を続けた。
「国は助ける気などない。むしろ、自治体の存在そのものを消してもみ消そうとするだけだ…破綻を通り越した、破産という形でな」
「そうなると、孫子の代まで…いや、下手すると一生だな。負担をずっと背負ったまま生きていかなきゃなんねぇ…」
「高知市にせよ、ほかの町や村にせよ…後ろめたい気持ちを一生抱えたままになるでしょうね」
現実問題、漁野市が破産とされて市の存在を消されるとなったら規模を想定して高知市への強制的な編入合併がもっともシナリオとしてよく描かれよう。
「現実、欧州でも消された自治体ってのは歴史を遡れば数えればいくらでも出てくる」
「…今回のような大赤字に、さらにばら撒いて止めを刺したところも現実にあります」
「ちょ、ちょっと…毛利さん、それ嘘でしょう?」
「嘘ではありません、本当の話です。以後、その自治体の最後の主張が敢行した政策に基づく経済倫理は、欧州各国ではカルト思想の一端として徹底的に弾圧されることになります」
 欧州では、思想・信条の自由は憲法にて当然ながら保障されている。とはいえ、国家や自治体をむべに破壊するとしか言えない思想や信条はカルトとして例外的に弾圧しても合憲だとされている。ここで、国の公益という境界線を日本と違ってしっかりと線引きしている。日本だと、たとえそんな思想であってもむべに弾圧でもやろうものなら、人権侵害で逆に訴えられる。
「毛利の言ったことは本当だ、桑島…現に、オーストリアで国家的に強制消滅を喰らった自治体があった。横谷と同じ経済政策を敢行して…」
 では、横谷の今もっている経済倫理は漁野市を破産・滅亡に追い遣るということなのか?…邦憲や毛利の話を振り返ると、桑島にはそう聞こえて仕方がない。破綻で国の庇護でどうにかなる…そんな次元じゃない。
「では聞くが、予算を組むときに収入の足りない部分を補うものはなんだ?」
 邦憲が話を振ったのは桑島ではなく、なんと深江だった。
「予算を余らせていたら、その余剰金で…その…」
 やはり、知識がついて来れずに呆れてものも言えない…うなだれるのは、桑島はもちろん邦憲も照実もそうだ。毛利とて、苦笑いを浮かべるほかない。
「自治体で予算を余らせたら、それだけ仕事を減らされるという恐怖感が支配しているんです」
「予算を使い切らなきゃ、仕事量の維持ができない…ってこと」
「だとしたら、余ってもいないのにどうやってそんな何兆円ものお金をこんな小さな市で?」
「答えは簡単だ、市公債を発行する」
 公債?…桑島が頷く。実際、公債費も相当に割合が増している。
「公的機関としては、減税なんてされたら困るんだよ。税収がどうとかね」
「でも、真なる意味で減税が経済効果を最ももたらす経済政策であることは確かだろうな…」
「中本は絶対に認めねぇだろうな…国防が外交が、とか難癖つけてよ」
「減税は売国奴の発想、と釘を実際に刺されましたしね」
 毛利は誰に言われたのだろうか?…おそらく、民自党の体質かもしれないし、もうすでに中本を知っているのかもしれない。台詞の一端から、照実はそれを悟る。
「ともかくだ…オーストリアの先例があると、ここで桑島は知識を得た。ほかの連中からは一歩も二歩も前に進んでいるのは確かだ…しかし、誰とも共闘できる状況じゃなくなるのはいずれわかる。議員の中に、すでに横谷に魂を売り渡して漁野市を滅ぼす計画に加担しようとしているヤツもいるだろう」
 つまりはこうだ…市議会議員らがしっかりと信念をもって望んでいるかどうか、もし仮にそうならば横谷と折り合いがつかねば徹底抗戦はやむを得ないだろう。ただ、往々にして信念が軽視されている…横谷にはそれが手にとるようにわかる。
「とても厄介な相手ですね…どうして市長選に当選できたのか、そこから探りますか?」
「毛利、やっぱりお前の中にある謀将の血筋は劣化している。哀しいが、はっきり決まったな…俺は、そここそが本丸だと思っているんだがな。外堀だと思っているお前と、内堀の向こうにあると思っている俺の認識の差だ」
「いい加減にしろ邦憲、毛利だってな!」
 毛利を罵倒されたと早まった照実は、今までの不満をぶつけるように邦憲に食ってかかろうとする。しかし、そんな怒りの表情の照実を懸命に毛利は全身で止めた。
「…いいんですよ北条さん。僕の認識が、想像以上に甘かったようだ…やはり、現地に来ないと見えないものもあります」
「ま、そういうことだ照実。それに、横谷を…黎明党を本気で滅ぼしたいと思っているのは俺よりもお前だろう?…隠すなよ」
 図星なのか、照実は邦憲の言葉にたじろぐように動作を止める。
「…本当なんですか?」
「ああ。俺たちの先祖代々の土地の手前にまで、ヤツの農場は無節操に拡張している…今でもその勢いが止まらず、八王子神社の慰霊祭にまで影響が出かねないほどだ。あれができないとなったら…高尾山に巣食う、俺たち北条一門の呪いは常に慰霊が必要なのはわかっているだろ。それを知っているかのように…」
「あ、思い出した!横谷のヤツ…」
「高尾山系の一角に大きな農場を持っている、って!」
 桑島と深江は、市議会初日の横谷の演説内容を思い出す。高尾山といえば照実の生まれ育った場所…八王子神社は、高尾北条家の長男たる当主継嗣たる照実も無縁ではない。
「確信犯としか、この状況証拠ではそう言わざるをえません。とにかく、まずは相手を見ますか?」
「…悔しいが、横谷の動向も倫理もまだ見えない以上は向こうの出方を待つしかないだろう。毛利の言うとおりだ…」
 邦憲と毛利のやり取りにうなだれる桑島…ただ、邦憲からはあらゆるシナリオを想定しながら挑んだほうがいいと助言を言われた。横谷が牙を向けるなら、間違いなく本丸は桑島…しかも、信念の塊ゆえに難攻不落。桑島は、少しホッとしている部分があった。すかさず、心理を読み取った毛利が助言を始める。
「そんな油断は禁物ですよ。難攻不落、絶対に落ちない…そんな城であっても、戦国時代には多くの城が落ちた。我が毛利宗家の祖先で言えば尼子氏の月山富田城、そして北条氏で言うと日本一の規模を誇る城塞都市・小田原城までも最後には陥落したんです。絶対に油断しないこと…そういう機を見るに恐ろしく敏な男、貴方はつねに横谷という人の周りにいる人らに見られているという自覚から始めなければならない。気をも赦せる相手は、我々以外はいないというぐらいでないと」
 この言葉に肝を冷やすも、毛利の指摘は確かに言いえている…邦憲の言うとおり、横谷が市議らに寵略を仕掛けているのだとすれば不信任決議の再可決どころか、桑島以外は全て与党に転落することもある。それは、漁野市の赤字再生団体転落に向けた赤信号の点灯に他ならない。情勢にしっかりと目を肥やせ…今後の数日間、桑島は緊張の日々を迎えることになる。

 一方、横谷の自宅兼事務所…掘建て小屋で作戦会議を練っていた。
「話が違うじゃねぇか…」
 中本は妙に不機嫌だった。何がどう、話の違いだというのか?
「…そうですね」
「そうですね、じゃねぇよ。もう我慢の限界だ、街宣させろ。漁野駅前か?市役所か?高知駅前か?はりまや橋か?」
「焦っていますね、中本さん」
「まずはこの展開をどうにかしろよ!あの桑島って野郎をシメあげりゃいいんだろ!」
 焦燥から来る感情的な怒りをもって横谷に食ってかかろうとしたが、そんな中本の右腕をグッとつかんで離さない横谷…妙に力がある。中本1人ではどうにもならない。
「いいですか、こうなった以上は寵略に全力をかけます。落選した議員をダシに、中本さんには別働の作戦を全権委任させたいと考えているんですけどね。選挙ごとに必ずある、恒例のあれですよ」
 そこでまたも微笑を見せる横谷…中本でさえも恐怖しようとしていた。弟子の巽誠直らに至っては、言うまでもない。恐怖による支配関係…典型的な、独裁政党の実権を握る様だ。そのあと、横谷は手をさっと離して自らの別の部屋へと姿を消した。一方で、女たちの要らない確執の一端も繰り広げられていた。
「あんた、どうして横谷様に?」
 リーダー格の女が話し掛ける…しかし、話し掛けられた背の高い美貌の女はせっせとメイクを落としてそのまま寝床に向かった。まるで聞いていない、という感じで。
「横谷様〜、あのクソ女にガン無視された〜〜〜〜〜!」
「…」
「超ムカつく〜〜〜〜〜!」
 だからどうした、と鼻でせせら笑う横谷は読書にふけっていた。
「いいじゃないか。新入りで、慣れていないんだろう」
「顔で判断するんですか、横谷様〜」
 一方、寝床ではその美貌の女は掛け布団の中に入ってこっそりとメールを交わしていた…『業務報告』とは、どういうことだろうか?…送り主は、“黎明党”の初代党首である長谷川佑次総裁。その長谷川からの返信には『貴子へ』と返された。女の名は中浜貴子、またしても波乱の動因が増えた。それぞれの、相手方の思惑を互いに探りながらこの日も夜は更けてゆく。

 翌日、日本新聞を除いて毎朝新聞は当然として大手新聞の高知版に躍った1面が市内を賑わしていた。
『光友電工の発注プラントを巡る談合ほか諸問題〜漁野市・巨額財政赤字の根?〜』
 天下のグループ、旧財閥の系統を継ぐ光友電気工業が発注して漁野市を中心とした新荘川流域環境総合センターのエネルギー回収プラントを巡る諸問題が特集されていた。意図も何もなく、突如として出てきたものだから深江も面を喰らうほかなかった。横谷の艶やかな毒牙が及んできたのか、それとも起こるべくして起きた別の意図か?…出遅れたと地団駄を踏んで悔しがったのは、本社デスクの清水耕輔のみではない。深江も初めて、屈辱感を味わったようなものだ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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