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Governor's O&D 〜“さと”とは、“くに”とは〜 作者:本城右京

第7回   少数激戦
『史上空前の市議選、幕開く…果たして何を“保守”するか?わずか1週間の短期決戦、悲喜交々が小さな漁港町を覆う!』

 漁野駅前は騒然としていた…駅前で街頭演説をする、中本行弘らと高知1区選出の衆院議員・北条照実らの面々が互いの旗をなびかせて、一触即発の事態に至る。
「この売国奴が!裏切りやがってよ!」
「あ?…別に裏切っちゃいねぇよ、てめぇらなんざ」
 売り言葉に買い言葉、北条が言い返せば中本の一番弟子・巽誠直が即座に反論する。
「自平連こそ、日本を滅ぼすんだ!」
 何を寝言を言っているのだろうか…自平連に参画した勢力の中には、立憲明政党の結成にも無縁ではないのを北条は知っている。過去の縁を簡単に切るようなことを公然とよく言えるものだ。

 一方、桑島は深江をしっかりと抱きしめていた。
「おい、守りたいのもいいがスキャンダルには気をつけろよ」
 特に毎朝新聞にとでも言いたいのか、折角の雰囲気を逢沢がぶち壊す。
「それに、このままだとお前の選挙戦にも影響が出るかもよ」
 そう言って、逢沢は場を去る…というより、北条と中本ら駅前での街頭演説でのいざこざの観察と収拾に向かうのか。
(ったく、なんだよ)
 相変わらず、逢沢が読めない桑島…選挙とは戦である、勝って祝いの酒を飲む。そして、酒を飲み尽くしたあとに公益に尽くせ。愛するものとはなんなのか、偽者のそれにとりつかれては政治家の価値はない。ましてや地方議員であれば、なおさらそれに気付かないといけない。桑島の決意はさらに強く固まっていた。そう、戦の始まりはあの漁野駅前の騒ぎを見れば一目瞭然だ。
(ターゲットは、俺だろうな…)
 横谷なら、十分に考えそうなことだ…桑島さえいなくなれば、あとの市議が全て生き残ったとしても桑島と比べれば工作など容易にできるからこそ、執拗に狡猾に狙おうと思えば十分な状況証拠だ。ただ、中本らの動きを見れば容易に彼らが漁野を去るとは思えない…いや、横谷の意向を受けて東京から援軍も同然にやって来たのだろう。彼らの退散を望むのではなく、これを横谷との対決の延長線上に置くほかない。桑島は、絶対に負けられない戦いに向かうのだった。駅前の騒乱も、逢沢の前で騒いだ一部の参加者を公務執行妨害の現行犯で逮捕した以外は思いのほか事態が進展せずに済んだ。中本らはそそくさとその場を去り、車に乗り込んで高知市内へと去っていった。解散による、漁野市議選の公示日は近い…現職・新人ほか18人の枠に対して何人が出るのか?…先の市長選に出馬した、共産党の米田幹雄元市議も復帰を狙うのか?…市長選のインターバルを置かず、またしても漁野市の選挙戦が幕開く。

 あれから数日が経ち、桑島の選挙時のみに使う臨時事務所の周辺も慌しくなる…桑島は地方議員とは思えぬ博識を兼ね備えており、すぐさま中本らの動きも把握していた。
「ただ、あそこで北条さんが現れたのは妙だな…」
 情報屋の1人が事務所に立ち寄り、桑島と2人でひそひそと話をしていた。
「…思ってるより、横谷って狡猾じゃないかもな」
「結論を出すにゃ、まだ早ぇよ」
 それと、情報屋は思わぬ情報を桑島にもたらした。
「やっぱ間違いないね、中本と横谷はグルだ」
 もちろん、桑島には想定内…そうでなければあのタイミングで漁野駅前での演説は敢行しようがあるまい。ただ、それでも何かが引っ掛かって仕方がない。
「偶然にしちゃあ、できすぎてるぜ…俺だけじゃねぇ、市議全員がターゲットかもしれねぇぜ」
 桑島は本心を吐露する…黎明党の公式サイトにあった、あの一文が頭にこびりついていた。
「まずは首長を我らが手におさめ、その勢いさながらに周囲を寵略して自治体を乗っ取る」
 黎明党の選挙心得である…市議ではなく、市長選に参戦する理由。漁野市議は桑島を含めて、18人全員が横谷市政に反旗を翻している…その体制がそのまま続くようなら、さすがに横谷も危機感を表すだろう。
「じゃあ、今度の市議選は…」
「下手すると定数分の独自候補を立ててくるか、それとも…」
「…それとも?」
「いや、なんでもない…」
 そう言って桑島はトイレへと、その足をめぐらせていく…市議選の公示まで、また日は縮まる。

「…クソったれが、どういうことだ!」
 一方、中本・横谷の陣営も焦っていた…どういうわけか、独自候補を立てるだろうという桑島の予想はあたっていたものの、結果としてはその独自候補を送り込めない状況になってしまった。
「また、あの男の仕業か…」
「あ?」
 口走った横谷に対し、議場にサクラとして動員した横谷の御側人たる多くの女たちが制止しようと側にさらによってくる。
「ダメですよ横谷様、あの御方の名を出すのは…」
「いいから出せよ。別に誰も言う気はねぇんだからさ」
 迫る中本…結果を焦るのも無理はない。前回の参院選で自らとしては不覚の大惨敗を喫したこともあり、自信をもってついてきていた多くの候補者たちを奈落の底に突き落とす結果に導いてしまったことから、かつて本流とされた面々からのきつい目線を目の当たりにしている強迫観念に支配され、もはや一刻の猶予もないと思っているようだ。漁野市長選、そして今回の解散に伴う市議選とステップアップで再興を謀る策略だ。
「すべて、ヤツにはめられた…まだ掌の上、ということか」
「そいつが黒幕なんだな?」
「…なんのために、僕はヤツから権限を根こそぎ奪ったと思っているんだ?」
 中本の介入も無視して、側にいた体格の豊かな女に話し掛けてきた。その女こそ、リーダー格といえる雰囲気を見せている。
「とにかく作戦を変更する必要がありますね…中本さん」
「いまさら、どうにもならねぇんじゃねぇのか?…全部狂っちまったよ」
「そう言わずに、僕を信じてくださいよ」
 不気味に微笑を浮かべて、横谷はすっくと席を立つ…横谷の姿がなくなるや、すぐさま巽が中本に寄ってくる。
「大丈夫なんですか?」
「…大丈夫も何も、横谷を信じるしかねぇだろ。信じてついていく、今の俺たちにゃそれしかねぇよ」
 その後も横谷の怒号が鳴り響く…どうやら、横谷が手配したはずの独自候補の選考がなぜか外部に漏れて、公職選挙法の規定により選抜された18人全員が立候補できなくなったのだという。そして、中本らは高知市内へとその足を運んでいた…横谷の指示であろうか、それとも彼らの独断専行なのか。真意はまだ図りかねるが、彼らは新たなる街宣先として高知市のセンター街を選び、立憲明政党の地盤を高知にも築こうというのだろう。どのみち、市政与党を独自候補を擁立して構成する目論見が外れた横谷は、舵取りの変更を迫られているのだ。
(寵略してやる、と選挙心得に書いたのが間違いだったか…)
 よもや、現職が全員当選したときのシナリオまで想定せねばならないとは、横谷には想定外だった。いや、寵略するといっても桑島だけは取り付く島もあるまい。
「お前を市長の座から引き摺り下ろしてやる!」
 この言葉を片時も忘れていない横谷だが、本格的に牙を向けて叩き潰しておかなければ憂いを断てない。自宅に篭りっきりで考え込む、そんな横谷を尻目に中本や巽たちは高知市内に乗り込んで、センター街に程近いはりまや橋にあるホテルに固まって泊まりこみ、明日の街宣に備えて鋭気を養うためだとして夜の街へと繰り出して、酔うなどして大暴れしたそうだ。

 夜がふけ、朝を迎える…漁野市議選の公示前日。はりまや橋の交差点付近、許可もないままに男や女が大挙して、メガホンなどを準備する。
「まもなく、“日本のメシア”中本行弘先生によります、憂国の街頭演説がここ…高知市は、はりまや橋におきまして、開催されます。日本の現状を誰よりも憂い、そのために神々が地上にもたらした救世主の最高の訓示が開かれます。そのあとになりますが、立憲明政党の入党説明会および漁野市議会議員選挙の展望予想を兼ねた2次会も開かれますので、皆様ふるってご参加くださいませ」
 1人の女が、行き交う通勤客や観光客らに必死に宣伝する…商店街の裏手には、三つ鱗の家紋が描かれた旗を持った者らが何人かいた。そう、北条の後援会員の面々だ。
「メシア?」
「…ただのプータローオヤジじゃないの?」
「北条先生の言うとおりだね…」
 小声ながら、節々に中本の悪口で盛り上がる…もちろん、北条が内偵のために送り込んでいるのだ。そうこうしているうちに、中本が準備を終えてメガホンを受けとる。
「ま、メシアって言われるとくすぐったい気もしますけど…英語だからね。救世主、って意味だそうです…日本は不況に苦しんでいる、ゆえに救世主が望まれる。なんて考えじゃないんですね…実は。外敵から日本を守り、救うために私は立ったのです。皆さん、どうして私を国会に送り込んでくれなかったんですか?…皆さんの選択は、大いに間違っています!民自党の議員の中には、私と思想を共有する多くの人たちが外敵と戦っていますよ!…雇用がどうとかも無縁じゃない。皆さんの職場に、支那人や朝鮮人はいませんか?…それとわかる人もいっぱいいるでしょう?」
 何を言い出すのか、脈絡が相変わらずあるようでない。外敵と雇用、全くわからない。
「衝撃の事実を、メシアと呼ばれている私から皆さんに通告しましょう…彼らは本国の密命を受けてやってきた、工作員なんです!揺るがない事実なんです!」
 いきなり何を言うのか、中本は真顔で彼らに向けて演説を続ける。
「移民構想が先ほど、民自党の勉強会から発案されたと報道がありましたね?…あれの真相もつかんでいます。一部の自平連の議員と、構想をまとめて国会で審議にかけてクロスボーティングを活用して可決させようと陰謀をひそかに企んでいるんです!…その陰謀に加担しているのが、ここを地元としている北条照実なんです!…これで餌を得た支那や朝鮮では、本国で工作員のオーディションをやっているんでしょうね!」
 おかしい…北条は、超党派の若手議員の会合の場で移民構想をバッサリと斬り捨てた。あらぬ疑惑をかけてきた中本に、後援会員が殺意にも似た憎悪を抱くのは自然のことだ。それに、北条が民自党から自平連に転籍したのも、過度に民自党が盲目親米とも言うべき路線が本流を成していたことに対し、失望を抱いたからだ。
「中本さん自身が思っていることじゃないと思います…」
 陰に隠れていた後援会員らに突撃を試みる1人の女…深江友璃子だ。きょとんとする面々…もちろん、名刺も渡して新聞記者だと承知させてもらい、かつ懸命に説得して取材をついに試みた。
「そもそも、昨日の夜はあの人たち…相当、暴れていました」
「なんだって?」
「逮捕者まで出たらしく、高知中央署に抗議街宣まで…」
「現行犯だろ?…当たり前じゃんかよ。不当逮捕とでも言いてぇのかよ…」
「そんな感じでした。警察の人に腕をつかまれたら、『痛い、痛い』とかわめくように…」
「オイオイ、どこのカルト集団だよ!」
 大声になってしまったが、さらに大声での街宣の声にいとも簡単に消されたために不幸中の幸いだ。しかも、中本と横谷はグルだという証拠はないものの、偶然にしてはできすぎている。漁野市議選に関わることであれば、選挙区が異なるとはいえ北条とて無傷ではいられない。
「北条先生も、気になってたところがあるからなぁ…漁野市議選」

 演説を終え、夜はまたもふけてゆく…翌日、ついに漁野市議会議員18の椅子を巡る選挙戦は本番を迎える。桑島の事務所にも、さんさんと朝日の光が注ぎ込まれる。真ん中には
『祈 必勝』
の張り紙が無数に貼られている。そして、目立つところには
『衆議院議員 北条照実』
と左下に申し訳なく書かれている1枚が貼られていた。もともと、桑島と北条は同じ大学の同じサークルに属していた。北条は桑島の先輩にあたり、若気の至りで突っ走る桑島を指導もしたりしたこともあった。桑島は明確に横谷に敵対宣言を公然と表明した…それが災いするかもしれない。この1週間、桑島には眠れない日々が続く。
「…おはようございます」
 そこに深江が現れる…しかし、ソファーのうえで羽毛布団を羽織って桑島は気持ちよい眠りの中に未だいる。しかも、起きる気配は全くない。
「下手に起こしてやるんじゃないよ…」
「あ、どうも…」
 顔を覗かせたのは、桑島と親しい不動産屋の主…深江にも仮事務所を紹介した男だ。
「戦いに備えて、鋭気を養う…ってぇとこだね」
「そうですね…取材しようと1番乗りしたんですけど」
「ほかにもいっぱい来そうだからね。今回は大一番だからな!」
 大一番なのは、なにも桑島に限ったことではない。横谷への不信任案には全員が賛成票を投じた…しかも、その前職18人のうち病気を理由に不参戦を表明した1人を除く、桑島を含めて17人が立候補した。あの横谷のことだ…妨害を仕掛けてくるかもしれない。もはや、同じ会派・党派であっても迂闊に接触もできないし、互いに信用しきることさえできないでいる…疑心暗鬼だ。すると、不意に携帯の着信音が…深江の携帯電話だ。
「…おう。今度は市議選だってな」
 電話の主は、もちろん清水耕輔…実に久々だ。
「予想外でした。市長選のあと、インターバルもおかずに…」
「馬鹿かお前、横谷にとっちゃ都合のよすぎるほど順調なシナリオなんだよ!」
 いったいどういうことだ?…やはり、横谷は妨害を仕掛けるのか。
「妨害とか思ってたら、その時点でまだまだだな。意味をもう1度よく考えろ…選挙って、タダでできるかどうか?」
 タダ?…お金のことだろうか。そうだとすれば、確かにお金をかけないということはありえない。はっと返ろうとした、その矢先に清水は矢継ぎ早な言葉を残す。
「街宣だってタダじゃねぇんだぞ…」
 どういうことだ?…さらに、街頭宣伝だとでもいうのか。演説にも、色々な器具が必要だ。最低でもメガホンがないとやっていけない。まさか、中本も漁野市内に張り付く気でいるのだろうか。そこに横谷…そして、北条とて無縁ではない以上は何が起きてもおかしくはない状態を容易に想像せざるをえなかった。深江は伝えることなく、他陣営にも取材を申し込んだりして精力的な取材行動を続けていた。快く対応した者ら、邪険に扱った者ら…悲喜交々の漁野市議選は、この日の朝8時から1週間の選挙戦に突入する。議員としての生死を賭けた、例年にない壮絶な戦いの火蓋がきられた。

 漁野市の市制施行後50年以上の歴史の中で、市議会が解散に追い込まれた過去はない。立候補者は皆が皆、前職の17人も新人の6人も完全に手探りの選挙戦を余儀なくされている。組織票で固めたくても、よもや横谷が解散に打って出るなどというシナリオは桑島にとっても想定外だった。
「こういうときはな、大手よりも地元メディアに注目してみるのも一手だ」
 清水は深江に、こうアドバイスしたらしい…確かに深江の言うとおり、さすがの最大手たる毎朝新聞もなかなか情勢把握とまではいかず、かつ高知ローカルに張っていられるほど暇ではない。仮事務所でじっと、ローカル新聞に見入る深江…そこに、1人の男が現れる。
「ここでよかったかな?」
 現れたのは、なにを隠そう北条だった…
「あなたは…?」
「あ、紹介が遅れたね…」
 そう言って、北条は名刺を取り出してさっと深江に礼儀よく手渡す…もちろん、深江も自らの名刺を北条に交換する。
「衆院議員…」
「ああ。桑島は、俺の大学の後輩だ…サークルのな」
「え、そうなんですか!」
「なに、あいつから聞いてないの?…ったく、肝心なときに!」
 いきなり北条が現れてビックリするほかなかった、というところなのだろう。
「てか、もうじき公示か…あ、やべぇ!事務所に戻らないと、今日は会合だった!」
 なんと、合間を縫って現れたというらしい…漁野市はもともと高知3区に属しており、高知1区選出の北条にはいくら切り崩したい票田があっても関係ない。そそくさと、その場を去っていく北条を見送る深江…
(なにしに来たんだろう?…桑島さんが気になるみたいだけど)
 桑島は前回の市議選では、7位で当選している…漁野市議会の議員定数は18。それと桑島の議員活動を思うと、どう見ても桑島は安泰としか思えない。どこも心配するところがないじゃないか…清水といい、北条といい、いったいなぜ桑島のことを気にかけているのかわからない。そもそも、この市議選が今後の政界の鍵を握るとも清水は言っていた。しかし、その意味さえ把握できずにいるまま、時の流れは止まることなく予定どおり、この日の午前8時半に漁野市議選が公示された。立候補者の総数は23人、そのうち現職は17人と新人が6人。定数から見れば、競争倍率は低いように思える…しかし、実態は少数激戦。まして、横谷が解散をもって仕掛けてきた選挙戦…誰にも予想のつかないシナリオは容易に想像できる。しっかりと桑島は、意気揚々と市内を駆け回る…引っ掛かる点を抱えながらも、深江も取材に奔走していく。

 一方、高知市センター街…北条の姿はそこにあった。自平連の高知県連が入っているテナントビルの入口…車を降りた北条が、見かけた人影にグッと見入る。しかもその目つきは、まるで眼前の大敵を睨むかのような形相だ。
「…先生?」
「人払いを」
「…え?」
「先に中に入ってくれ、ってことだよ」
 1対1でなければ無理なのだろう…場を読むことだけは、北条の御側にいる男女たちはさすがに国会議員秘書というだけあって非常に長けている。すぐさま、北条の側を離れていく…ただ、上がろうとしてた矢先に1人の男が北条に話し掛ける。
「しかし、護衛まで離すのですか?」
「自分で銃を向けられない、盾にしかならない貧弱な護衛なんて、むしろ要らないぐらいだ」
 そういわれると仕方がない…無言のままうなづいて、男もビルの中へ消えていく。
「…邪魔者が消えて、ようやく本心が言えそうだな」
「その傲慢な態度は、前とちっとも変わっていないな」
「傲慢なのは、むしろお前だろう?…照実」
「年上のヤツに対する口の聞き方、なんとかしろよ。家訓とか無視かよ…」
「そう言うなよ、照実。これでも、俺はお前を謙遜しているほうだ」
 ああ言えばこう言い返す…きりがないほど、北条と相対する人影は憎らしげに映る。
「金沢から何しに来たんだ?…邦憲」
 照実が正体を明かす…人影の正体は、北条邦憲。照実とは、同じ家紋を持つ家系として血筋をわけあった仲だ。ただ、照実の高尾北条家と違って邦憲は加賀北条家…太祖は同じ北条氏康だが、開祖は互いに氏康の息子の氏照と氏邦で異なる。しかも、邦憲は照実に同じく御家の御曹司でありながら性格も180度違えば、態度も非常に問題児といえる。正社員として働いた過去はない…いわば“フリーター”とでもいうのか。
「漁野市というところに、やばい売国奴が降り立ってるって聞いてな…」
「さあ、誰のことだろうな?」
「しらばっくれても無駄だ、正体はある程度つかんでいる。単刀直入に言う、現地に俺も入れさせろ。ヤツらの息の根を今ここで止めなければ、いや…止め損なったら日本という国そのものが滅亡する」
「…そこだけは、利害が一致しているんだな。俺もそう思っていたところだ」
「だけど、お前には行動力がない…俺が動かなきゃ、お前の後輩が落とされる。あっちには、役不足な味方ばっかりだからな…あの横谷佳彦って野郎、俺たちから見ても戦国以来ずっと恨み合ってきた大敵なんだからな」
「…わかっている。しかし、俺とは選挙区は別だ。どうにかしたいと思っても、どうにもならん…」
「その甘さが命取りなんだよ!…後輩が戦死するのを、黙って見てろってのかよ!」
 邦憲は激高し、照実のスーツをグッとつかむ。しかし、じっと目を見る照実…
「血走ってたら、折角の作戦も全て水の泡になっちまうぞ。それでもいいなら、行け」
「…そんな薄情者だとは、知らなかったぜ!」
 怒り任せにスーツをつかんだ手を乱暴に離した邦憲は、すぐさま場を去っていく。照実とは、前回逢って以来ずっとこんな空気だそうだ…政治に首を突っ込みだした途端だ。やはり、政界には国や地方を問わず悪魔が住み着いているのか。照実が呆然と立ち尽くす中、1台の車が道路を県庁へと走っていく…照実の向く方向とは逆方向だ。
「…そうですか」
 車内で携帯電話を片手に話す1人の男…民自党の若手衆議院議員、広島3区選出の毛利俊就。照實と毛利は、ともに同じ選挙で初出馬・初当選を果たした同期の桜…そして、両党の互いのホープ。広島から、なぜ高知に?…民自党も会合を持つというのだろうか。毛利は、このときちらっと照実の立ち尽くす姿を目撃していた。
(すみませんね、北条さん)
 さすがは苗字からも想像できるが、毛利はかの有名な長州藩宗家にして、戦国時代は中国地方全土や九州・近畿地方の一部にまで及ぶ広大な統治領域を誇った“西の謀将”毛利元就で有名な毛利氏の血筋を引くだけのことはある。ますますもって、漁野市議選は他人事では済まされない謀略合戦の渦中に巻き込まれていくのである。

 照実も、邦憲も、そして清水も…なぜか気掛かりにする今回の漁野市議選。その実態は、やはり騙しあいとしかいえないものだった…投票日まであと3日、ラストスパートといえるところまでさしかっていた。最後の中間調査が、地元メディアから報道される。深江は桑島の仮事務所に篭ってじっとそれに見入るのだが、そこには驚愕の中身が書かれていた。
「…嘘でしょう?」
 言葉を失う深江…なんと、桑島は当落線のところまで順位が下がっていたのだ。この事態をほくそ笑むのは横谷しかいない。市長室で景色を眺めながら、こう呟く。
「だから言ったでしょう?…僕に逆らうと、みんなこうなるんですよ」
 驚く深江…言葉を失い、不意に涙まで浮かべそうになる。誰も助けられないのか…そこに、1人の男が入ってくる。
「なにを哀しむ必要がある?」
 そう、邦憲だ…照実から桑島の情報屋の話をひそかに聞き出して単独で接触し、深江の仮事務所の場所を捜し求めていたのだ。
「…ちょっと、あなた誰ですか!」
「時間がないから、単刀直入に言う…桑島ってヤツだけには、何があっても議員の座を守ってもらう。俺たちの仇敵である横谷の息の根を止めるためには、ヤツの議員としての生死が大いに鍵を握っているんだ。ヤツを死なせたら、漁野市はそこでゲームオーバーだ」
「…仇敵?」
「400年来の、な。ヤツのような独裁者は、日本の政治には必要ない」
横谷が独裁者だと?…いきなり現れて、こんなことを言う邦憲を当然ながら深江はいぶしがる。
「…独裁者?」
「黎明党ってのはな、民主的な政党じゃない。全然それとは真逆…横谷の独裁政党だ」
 つまりは、自分に盾突く者は容赦しない…自分が公権力を持っていたら、その公権力でその盾突く者はどうにでも処置を施せるというのだ。ぐずぐずしている暇はないから、早く行動に移して横谷の鼻をあかさないといけない。邦憲はさらに、横谷が市長になったトリックを使って市議選を自在に操ろうとしているという。しかし、深江はおかしいと気付く…当然だ。桑島も含めて現職は全員が“反・横谷市政”のはず…どうやって自在に操って、横谷は市政運営をしていくというのか?…そこに桑島が戻ってきた。邦憲を見た桑島の目つきが、異常なまでの殺気に包まれたものだったのは言うまでもない。
「…誰だお前?」
「お前が桑島庸介…か。なるほど、照実から聞いた噂どおりのヤツだな」
「いきなり土足で入り込んで、失礼な野郎だな。北条さんまで呼び捨てにするとはな…下の名前でよ」
「売り言葉に乗る気はないんでね。今日からこの俺、北条邦憲が選挙参謀につく…お前に拒否権はない。拒否すれば、お前は議員の座から引き摺り下ろされる。横谷の手によってな…」
 場が凍りつく…邦憲の真意を知りたい。邦憲の掌の上に乗れば横谷とまた戦える…ともかく、横谷は邦憲にも共通する敵だということらしい。この手はつかえないはずがない…桑島は不意に微笑んだ。あと3日で、果たして桑島は自らの政治生命の危機を脱せるのだろうか?

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Novel Editor by BS CGI Rental
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