『不信任、のち想定外の秋…それでも不敵に嗤う市長の自信の裏に潜む、“成り上がり”政治勢力と相対するのか?』
「横谷佳彦を市長の座に居座らせる気か!」 強い口調で桑島に言ってのけた、1人の男…公安の刑事、逢沢大介。何も知らないまま、おめおめと本部には帰れないという強い意志も伝わる。横谷の名を聞いた桑島の顔が、こわばるのも決して無理な話ではない。だが、横柄にしか見えない逢沢の態度に、桑島は不信感を露にする。 「ある程度のことしか言えないぞ。あんたを信用してるわけじゃねぇんだしさ」 重い口をついに開く…つい先ほどまであった、議場における紛糾劇を。
「議長!」 「…中道彩子君」 2時間ほど前であろうか、横谷が提出した“市長室の分室を彼が経営しているとされる高尾山の一角にある農場に置くための市組織条例改正案”が全会一致で否決された矢先のことだ。 「議長、僕の提出した案はまだ終わっていない」 「…市長は静粛に」 ここでもう流れは決まった…桑島はまわしていたシャープペンを止め、じっと議長を見る。やはり、原幸治ほか桑島を除く17人の議員らが議会の始まる前に極秘で集まって、横谷を追い遣る作戦を練っていたのだろう。こんなことになっても、桑島には想定内であった。ただ、一抹の不安は消えないままだ。 (まさか、初日に出すとはな…吉と出るか、凶と出るか) 珍しく、じっと中道の答弁に聞き入る桑島…それもそのはず、横谷への不信任決議が提出されるのは想定内だ。しかし、議会の初日に提出されるとはさすがに想定外だ。自分以外の17人の総意は、やはり一刻も早い横谷市政の終幕なのだろう。彼らとは異なり、横谷の嘗めているとしか思えない選挙公約への反旗が主な原因である桑島だが、最終的には横谷の市政からの退場を願う気持ちは全く変わらない。 「先の市長選におきまして、市長は民意によって選出されたと仰られましたが…」 中道は饒舌に、目の前に置いた原稿を見ながらではあるがその演説は止まることがなかった。そして、中道は続ける。 「私たちは、とても民意に反した結果が出たという認識で一致しております!」 そこで大勢の議員が、割れんばかりの拍手をもって中道に援護射撃をする…しかし、桑島だけはやはりその輪に加わろうと言う気になっていなかった。中道が気勢よく演説を続けていたとしても横谷にはダメージすら与えている印象がないのが不気味に映るからだ。 (おかしい…) 自分の立場が危なくなる、というのに横谷は平然と中道の演説を聞いているのか否かわからないままの態度を続けていた。いや、よほどの自信があるのかもしれない…すでに不信任決議提出は想定内、といわんばかりに。事実、桑島を除いた17人の議員たちは市長選の結果を受けてすぐさま市内センター街某所にて極秘裏に会合をもって、横谷への議会開会後の不信任決議案即刻提出を満場一致で合意にこぎつけた。そんなことは、会合に出席しなくても桑島にはお見通しだった…全力で横田を支持し、かつ選挙戦にも介入してきた連中がおいそれと横谷を認めるはずがない。単なる情緒先行か、政策の否定か…この差はあるが、漁野市議会議員18人の総意は 「ノー、横谷新市政!」 で完全に一致している…大きなベクトル、という面においての向きのみではあるが。そして、中道の饒舌は佳境を迎える。 「そこで、先の市長選にも大いなる疑問があります!」 確かに、横谷の選挙活動そのものが疑問だ…本命とされた横田寿彦、そして共産党系の米田幹雄の2人と大きく異なり、横谷が選挙活動を始めたのは公示日からである。だから、2人と違って活動時間がたったの1週間…いや、もっと言えば実質はもっとなかったかもしれない。しかも、横田や米田は無所属で出たのに対して横谷は『黎明党』として戦った…漁野市のような田舎町の典型を行く場所で、元来だと横谷の付け入る隙など全くないはずだ。それなのになぜ…桑島さえ、疑問を挟む場所だ。
「なにゆえ、このような不利といえる状況で…逆転などありえない中で、このような結果が出るのか?結果に、不正があるとしか思えません。市長、貴方の選出はどう見ても悪意ある不正が潜んでいるとしか思えない!」 中道の饒舌はさらに激しさを増し、ほかの議員たちも乗じて拍手などを送っていた…どう見ても、不信任決議案の流れは決定的なものである。桑島さえ賛成するだろう…上段の傍聴席にいた深江には、ありありとわかり出した。 「以上をもちまして、市長に対する不信任を決議するに至る経緯であります!」 拍手は最高潮…もはや流れは決まった。その趨勢に逆らうこともなく、桑島までも投票の際に堂々と賛成票を掲げてまたも17対0の満場一致で可決した。割れんばかりの拍手が議場の空気を支配する… (横谷新市政、早くも滅びたり!) 横谷を市長の座から追い遣る目的はありありとわかった…しかし、横谷は可決の瞬間から薄気味悪い微笑を浮かべつづけていた。その薄気味悪い空気を、ただ1人…桑島だけは察していたのだった。 (あいつ!まさか…) そのまさかかもしれない。浮かれる暇があるなら、とそそくさに議場を去っていった。そう、不信任決議案が可決した場合に市長が採れる選択はたった2つしかない。可決した日から10日以内に自らが市長を辞職するか、もしくは市議会を解散させるかだ。前者を目的とした原や中道らであるし、桑島とて前者であればなおさら嬉しいことだ。しかし、 (想定している最悪のシナリオになっちまった…) 桑島は議場を去って、庁舎を出る頃には後援会の会長に電話して選挙の準備にあたるように命じていた。最悪のシナリオ、それは横谷が市長という権力の座にしがみつくこと…すなわち、採る選択が市議会の解散だということ。ほかの誰もがそのようなシナリオを予想していない中、桑島はただ1人予想していたということになる。案の定、議場では… 「ふふふふふ、ふはははは!」 歓喜の空気を一気に沈黙させる、大きな笑い声を発しだした横谷…なにがおかしいのか?そう、桑島の予想は全く外れていなかったのだ。 「こんな真似をして、ただで済むと思っているのですか?…政治の世界から去るのは僕じゃない。貴方たちですよ…」 壇上に立った横谷は、不敵な笑みを浮かべつつ議員たちに豪語した。 「衝撃の宣言を今すぐしましょうか?…不信任決議の提出は僕にとって、全て予想できたこと。前にも言ったはずですよ…僕には透視ができると。ありありと、そのオバサンの手に持っていた不信任決議に際しての代表質問の原稿が見えました」 今までにない、殺気にも似た怒号が鳴り響く。一方、感激しているのかサクラの女たちが泣き出している。深江には相変わらず、横谷の心理が読めないでいた。 「そして、もう1つの衝撃を与えましょう…この衝撃は、貴方たちにとって精神的なダメージは計り知れないものになる」 そう言うや、一呼吸おいた横谷が言葉を続けた。 「……議会を解散する!」 現場の空気が一気に凍てついたのは言うまでもない。とても、万歳三唱を唱える心理にはなれない17人の議員たちである。
「…また選挙かよ」 経緯を聞いた逢沢は、あっさりと桑島に言ってのける。 「俺たちの仕事、増やすなよな」 「…そんな気はねぇよ」 逢沢の仕事が増えようが、桑島にはどこ吹く風だ。ともかく、もう1度議場に戻らないといけない。そうでないと、今度こそ横谷の横暴で漁野市が名実ともに破綻するほかないからだ。桑島の決意は固かった。 「長話なら付き合えないぜ。俺にゃ、やるべきことが山ほどある」 そう言って桑島は、そそくさと逢沢に背を向けて去っていった…もう選挙の準備かよ、と逢沢は半ば呆れ気味だった。とはいえ、横谷が市議会の解散を採るとはよほどの自信があるのだろう。もう、彼のブレーンをはじめとして支持者らが集結しているかもしれない。逢沢にとっては、恰好の資料を再整理するためのサンプル集めとしか思っていないのだろう。しかし、本心は違っていた…逢沢は、横谷の台頭を心底恐れている心理がかなり強いといえよう。 (横谷の裏にどんなとんでもない思想が、宗教が潜んでるか…わかってないんだろうな、あいつ) ともかく、2人の第一印象はお互いに良くないどころか悪いままで終わってしまった。このとき、果たして2人が横谷市政を打倒するために意気投合するとは誰が予測しえただろうか。
自分の自宅兼事務所に戻った桑島…今までにない緊張感の中にいた疲れか、そのまま眠ってしまった。 そしていく時か経っただろうか…騒々しい声で、桑島は眠りから目を覚ました。こういうときの桑島は、実に不機嫌なものであって、グッと空を見ながら近場の漁野駅前を見ていると、見知らぬ男たちの集団が轟音にも似た声を張り上げて演説をしているではないか。 「ったく、近所迷惑ってモン考えろよ…」 その矢先、桑島の携帯電話が鳴る…駅前商店街の不動産屋の主からだ。 「助けてくれよ、恐ぇよ…」 いったいどうしたというのか?…ただの轟音じゃないのはわかった。いてもたってもいられなくなった桑島は、すぐさま不動産屋へと足を運ぶ。猛ダッシュで向かったがゆえ、すぐさま不動産屋についた桑島…姿を見るや、主は一気にすっ飛んできた。 「おいおい、どうしたんだよ…」 「さっきからおかしいんだよ、あいつら…」 あいつら?…なるほど、あの轟音をがなり立てて演説している連中だ。直感でなくても、桑島にはすぐわかった。なにより怒りが彼の感情を支配する…すぐさま、店を出ようとした桑島を主は必死になって止める。 「離せよ!」 「なにやってんだよ、あいつらヤクザだよ…」 ヤクザ?…確かに口調はそれだ。でも、なぜ利益もへったくれもない漁野市なんて場所で街宣する必要があるのか?…ともかくじっと聞き入るほかなかった。それどころではなく、中身さえ把握していなかったのだから。 「良識ある漁野市民の皆さんは、今こそ立ち上がるべきときなんですよ!」 メガホンから轟音混じりの声で演説する1人の男…そして、その男を私的に護衛するかのような布陣で立ち位置にいる数多の男たち。いずれもスーツ姿とか、ともかく喋りだけでは右翼だ暴力団だとかいうオーラは感じさせない。桑島には、それが異様に見えて仕方がない。 「横谷佳彦市長は今、懸命に利権をむさぼるだけの市議会議員どもと争っているんです!たった1人で、四面楚歌の中で!」 同じ意味の言葉を2度も使うな…そういう突っ込みはさておき、男の饒舌は留まるところを知らない。 「今や、この高知県漁野市という場所は全国に数多増えている愛国者の熱い眼差しのもとにあるのです!」 愛国者?…いったい誰のことだ? 「街宣右翼なんてものではない!我々は、この日本を所狭しと動いて憂国を説く愛国者なのです!いわば、保守の新しい運動の道を提供しているのです!」 だが口調が“街宣右翼”そのものではないか。またここで、突っ込みが桑島の脳内で2度目の炸裂となる。 「この日本、外患勢力が今か今かと国内で蹂躙を展開しようとしている非常にまずい状態です!我々はそのような勢力と、断固として戦いを挑んで勝利を掴まねばならないと使命感を持って挑んでおります!」 それが漁野市とどう関係があるというのか?…男の演説はまだまだ続くようだ。 「横谷佳彦さんの漁野市長への就任は、まさにこの漁野市という場所が外患の猛威から守るための最善の選択であるという認識を否定しません。漁野市民の皆さんの良識が、議会にカウンターパンチを浴びせたのです!では外患とはどういうことか?…直近にある国々を思い出せばすぐわかることです。どのような愚民思考でも、すぐにわかるでしょう?…そう、その国とは中国・韓国・北朝鮮!この特定アジアたる3つ以外、果たしてどこがあるというのでしょうか!」 いったい何を言い出すのか、この男は脈絡なく喋っているようにしか桑島には思えない。次第に怒りも甦ってきた。 「しかし、そんな横谷市長を市議会議員どもは1人残らずいじめたおしたんですよ!…まったく、人のやることとは!まして日本人の純粋な血筋を持つ者らのやることとは思えない所業にうって出た!…これは横谷市長に対する最大の叛逆にして、無謀な挑戦としかいえません。こういうのをですね、日本人の面を被った下賎な支那・朝鮮民族の質そのものなんですよ!…醜悪なまでにその姿を晒してくれた市議会議員という怪物どもを蹴散らし、純粋なる日本人の手に漁野市政を取り戻す絶好の機会を横谷市長は与えてくださったのです!」 まるで中国人や朝鮮半島系人種のような扱いを議員らにするその男に、通りすがる市民は内心怒りを隠せないでいた。ただ、相手が相手ゆえに静かな怒りと表現したほうがよいだろう。とても漁野市民という空気を感じない…桑島にはありありと、それがよくわかる。 (どっからどう見ても、人種差別主義じゃねぇか…) しかも、漁野市のことなど微塵も触れておらず、ひたすら自分たちの主張と絡めたり横谷支持を訴えているだけにしかない。市長選の段階でもそうだが、桑島のみならずほとんどの市議の取り巻き方面に横谷へと票を流した面々はいない。 「横谷市長の義挙を支持しましょう!漁野市民の宿命にして義務です。貴方たちが選んだ市長でしょう?…だったらわかることです。漁野市を潰そうと画策する支那・挑戦の工作員を代行しているだけにすぎない市議会議員どもを1人残らず議場から追放できる、そんな正義の1票を市議選の当日に発揮することではありませんか!」 「そうだそうだ!」 「大陸やら半島やら、帰りやがれ!」 「ゴミはゴミ箱に入れるんだぞ、小学生でもわかるぞ!」 何がゴミだ…桑島はもう怒りなんて次元ではない顔つきになっており、主さえも恐れおののくほどだった。そんな感情を表に出していた桑島だが、裏でごそっと動く空気を見逃さなかった…そう、逢沢だ。いや、逢沢だけじゃない…ほかにも多くの空気を感じた。 (公安?…もしかして、マークか?) 主の制止を振り切って、桑島は演説する男たちを尻目に逢沢の元へとしれっと近寄っていく。もちろん、逢沢は桑島に見つかって舌打ちをすかさず見せる。 「俺もまだまだ慣れがないな…」 「慣れてもらいたかねぇよ。正直、俺かと思ったがな」 「…そんなわけないだろ?」 やはり、桑島は逢沢の人柄を受け入れられない…そんな中、ようやく長かった男の演説が終わる。そう思うや、今度は新手の男がメガホンにスイッチを入れて演説を開始しようとしている。 「中本行弘さん、ありがとうございました。では…私は『中本行弘首相[ソウリ]を実現させる市民の会』高知県支部長を仰せつかりました、巽誠直<たつみ・のぶなお>です!」 どうやら、先に喋っていた男の名は中本行弘というらしい…中本行弘、この名を聞いた途端に桑島も逢沢も互いに目を合わせあっていた。 「巽誠直…中本行弘の一番弟子を自称している。まあ、これは事実だろうが高知県出身じゃないのに高知県支部長とはずいぶんとごむたいな話だな」 逢沢がポロッと桑島に話す…巽のことは、それなりにネットや情報屋で情報を掴んでいたが逢沢ほどの情報はなかった。 「あいつら、『〜[ナントカ]市民の会』なんてのを無数に立てているよな?」 「…さすがだな。“中土佐のウルフ桑島”は伊達じゃないな」 「褒めてんのか、けなしてんのか?」 相変わらず逢沢は口が悪い…ただ、逢沢以外の公安捜査係の面々はどうもマークに乗り気ではないようだ。 「無理に引っ張り出したんだ」 「…横谷と無縁じゃねぇんだろ?」 ご名答、と言わんばかりに逢沢が頷く。そうまでして横谷をマークする理由はどこにあるのか? 「ヤツらはずっと、この漁野に選挙が終わるまで張り付くみたいだ」 「どういうことだ?確か、中本ってのは…」 今年夏に行われた参院選で、結党後15年の節目にして4度目の挑戦と相成った右派政治団体『立憲明政党』から出馬した中本だったが、ネット上の人気と反比例するが如くリアルの知名度の壁の前に大惨敗を喫した。もとから、中本が加入した段階から古参支持者や幹部・党員らの不満がくすぶっていたのに、さらに拍車をかける結果にもなっている。まして新体制で中本を党首補佐に抜擢して、前党首支持派を根こそぎ幹部の座から下ろしたがゆえに党内冷戦の前段階にも至る事態だ。 「で、見るも無惨な行動右翼も同然に転落したわけね」 冷静に桑島はことを分析していた。もともと『立憲明政党』の本流と目される前党首支持派の大多数は、他の団体に籍を置く者らとも討議をしあったり、それなりの愛国・愛郷主義をきつく出してはいたものの、あそこまで通り越したレイシズム・ファシズムの次元ではなかった。 「言い忘れたが、あいつらは横谷のいる黎明党とは同盟関係にある」 逢沢の発言は、桑島にとって爆弾発言以外の何ものにも例えられないものだった。両党は政治的にも、かつ経済的にもベクトルの向きが全く逆向きのはずなのに、まるで極左カルトを抱き込んだとされる民自党のようなことをする気なのかと問いたかったのだ。 「立憲明政党は思いのほか、経済のベクトルがふらふらしている。中本派が加わってから、ますます拍車をかけている…経済政策は、黎明党の政策をそのまま採用するんだろう。過去の綱領とか、そんなもの関係なくかなぐり捨ててな」 「要は、立憲明政党の連中が大挙して漁野市議選に参戦して横谷市政の与党を作り上げる…ってぇとこだな」 しかし、立憲明政党は四国4県のうちで高知県にだけは地方組織が発足していない唯一の県だ。どうやって候補者を立てるというのか?
すると、巽が饒舌を鳴らしているその場に、真正面から突っ込んでいく1人の若い女の姿を桑島と逢沢は同時に見た…深江だ。 「チッ…あの馬鹿!」 「何する気だ?」 桑島は呆れ、逢沢はその姿にある種で見とれていた。深江はそんな2人の思惑も関係なく、巽の前に現れた。 「…静かにしてもらえませんか?」 それでも、巽はかまうことなく饒舌を続けていた。そして、彼の周りを複数の男が取り囲んでいく。 「なんなんですか、貴方たちは?」 「見たらわかるだろコラ、演説だよ!」 「横谷市長の義挙を称える演説してんだよ!邪魔すんな!」 もはや、深江に対する言葉の暴力とも言うべき怒号を並べ立てていた。まさに、多勢に無勢を通り越した四面楚歌の状態だ。 「どこが義挙なんですか?…権力濫用の暴挙です!」 「テメェ女、工作員かコラァ!」 ますますその怒号の勢いは火に油を注ぐが如く、深江に容赦ない罵倒を浴びせていく。 「自分が高知になかなか来られないからって、東京に分室を作れなんてわがままです!」 「わがままじゃねぇよ!」 「横谷市長は忙しいんだ!市長だけやってんじゃねぇんだよ!」 だが地方自治法では、議員に関しては特に兼業は厳しい制限を加えているはず…ほとんど禁止も同然だ。まして市長など規定があろうとなかろうと、そのような暇が許されるほど楽な職ではない。そんな中でも、巽は陰に隠れてしまったがとんでもない発言を連発していた。 「いくら愚民思考に冒されていても、もうわかっていることでしょう?…このままでは何も変わらない。民自党が総選挙で負けて、仮に自平連による新政権なんてことになったら日本は終わりますよね?…こうなったら、我々立憲明政党にお任せください。今年夏の参院選では、高知県で4127票!…うち漁野市でも198票が我々に入りました。たったこれだけでも、我々の方針を支持してくれているとあっては希望が見出せます!…一緒に築きましょう!極右軍事独裁による一党独裁政権で、世界一の力強い軍需大国・日本を!そして道路特定財源から軍需特定財源へ!中本行弘さんは、仮に首相公選制が導入された場合にはすぐさま内閣総理大臣選出選挙への立候補をすでにブログで表明していますし、政策もすでに何度となく公開しています!…そして占い師からは、その選挙で中本さんは勝って晴れて公選制導入後の初代内閣総理大臣として、力強く日本人を良き方へ指導してくれると言われました。織田信長を思い出しましたか?…彼もまた古い秩序を破壊して、新しき日本の姿を築いた戦国稀代の名将ですよね?彼の言葉を借りれば『天下布武』です!…この『天下布武』の旗印のもと、日本を新しき姿に変えて保ちます!」 巽の傍らにあった旗が1つ強調される…そこには、確かに織田信長が印鑑に使用していた『天下布武』の4文字と信長の印鑑字体が刻銘されていた。その演説が陰に霞むほど、深江をよってたかって大の男が何人もいたぶるかのように囲い込む姿に、果たして武士の姿が映るのだろうか?…恐怖と悲哀からか、深江はすでに泣きそうな顔つきをしていた。 (助けて…) それでも巽は饒舌を止める気はなく、いたぶる深江を逆な意味で援護射撃するような罵声混じりの饒舌を続ける。 「なにが『天下布武』だ、ざけんな!」 「よせ!」 もう桑島には我慢ができなかった…すると、深江にばかり気を取られていた男たちの目線が一斉に桑島に向く。 「コノヤロー!」 「まだ工作員がいやがったか!」 「許さねぇ!生かして帰すな!」 大挙して男たちが桑島に今にも襲いかかろうとした矢先、また大きな声が駅前にこだまする。 「おうおう、大の男が集団心理にのまれてんのか?『赤信号 みんなで渡れば 恐くない』って、いい言葉だよな!」 そう言うや、駅前バスターミナルへと降り立つ男1人を含んだ老若男女の大集団が現れる。そして、たなびく旗の数々に描かれている紋様には、桑島が何度となく見て馴染みのあるものが描かれていた。 「あれは…」 そう、“三つ鱗”である。 「北条さん…」 その名を聞いた逢沢は、思わず桑島を見た…そう。今をときめく元・民自党にして、現在は自平連の若手衆議院議員・北条照実である。 「なんだテメェは!あ?」 男たちの流れが、桑島からその北条という男に目を向けられる。 「あれからなにも進歩してねぇんだな…いや、なにも反省してねぇんだな」 北条は大挙した中本の取り巻きである男たちを相手にたった1人、しれっと言ってのけた。当然ながら修羅場は必至だろう…身の危険を察した深江は、そそくさとその場を去った。そして、そんな深江の姿を見た桑島は思わず彼女を呼び止め、熱く身を守るかの如く抱擁した。 「もう大丈夫だ…あの人なら。よくやったな…」 安堵か恐怖からの開放か、桑島の胸の中で人目もはばからず泣きじゃくる深江…ますます、あの中本一派への怒りを沸き立つには十分だった。もうすでに、漁野市議選は前哨戦なんて次元ではなかった…もはや選挙戦なのだ。桑島は改めて、怒りを交えて勝って戻ってくる決意を固めていた。
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