■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

Governor's O&D 〜“さと”とは、“くに”とは〜 作者:本城右京

第4回   妖牙乱舞
「最も醜悪な一週間が幕開く時…利権と策謀、たった1つの玉座を巡る椅子取りゲームの終着点は?」

 漁野市の市制施行後、初となる“出直し”市長選が公示された…横田寿彦・米田幹雄、そして横谷佳彦の3人の候補者らは、支援者やボランティア各自を伴って、秋の夜長をも感じさせぬ熱い選挙戦を繰り広げていた。
 しかし、世論調査において公示から3日経った今でも、横田の圧倒的優位は変わっていない。米田はセンター街や、住宅供給公社が焦がした工業団地跡の住宅街の住人らを中心として少しずつ支持を広げるも、全域に広がりきれず苦戦は必至。横谷に至っては…もはや、どうなっているのかさえ知る者は殆どいない。いや、公平に地道な取材を続ける深江友璃子を除いては、誰一人として知らないのだろう。

 その深江もまた、せわしく市長選に関する記事を書くのに忙しい日々を過ごしている…今日も各候補者の一日の動き、そして発言の数々をメモにとって、いつになく記者らしい真剣な眼差しで彼らを見ている。対して桑島はどうなのかと言うと、何をするでもなく自分の仕事を淡々とこなし、市長選にはどこ吹く風ともいうべき態度をしている。いや、その中でも桑島は深江から新聞を拝借しては、市長選に吹く流れを感じ取ろうとしていた…外に出て、事務所に篭って。その繰り返しの日々、というのが妥当だろう。
(やはり横田が圧倒的に優位、と見るしかねぇなぁ…ま、つまんねぇけど)
 横田に勝たれても、別に市議会とはなんら影響があるわけでもない。市議会の“長老”といわれる大ベテラン議員・原幸治が横田を推し、また議員らも次々と横田を推す。もはや、議員の周囲の票において共産党系を除くと横田にほぼ一本化されたのは言うまでもない。
(岡村のやり方を継承する、って…芸がねぇのかよ、横田の野郎は)
 岡村市政の改革路線は、予算においても急激とも言えよう歳出の見直しとカットの繰り返しであった。また公立保育所や学校給食の従事者、市立中央体育館は次々と民間委託へ移行していった。そして市立会館も統廃合を重ね、残った会館は地元の地域町内会に管理権限を移行させ、一部の議員や米田が煽った不安などものともせず、じっくりと強力に市政改革を順調に行い、財政赤字を少しずつ圧縮していた…その矢先、県からの指令もあっての浦阪町の編入である。折角の努力さえ水泡に帰すほどの赤字の増額に、岡村としては為す術がなかったのだろう。
そんな思いとは裏腹に、3候補の状況などを事細かに記事にしていた深江…すると、携帯電話が鳴る。
「…はい」
「悪いな…俺だ」
 気掛かりだったのか、電話の主は清水耕輔である。
「しかし、田舎の市長選ってぇのは何かにおうよな…特に漁野は。初の出直し、やりすぎだぜ」
「…本当にそう思います。どの陣営も決死の選挙戦を展開していますね」
「馬鹿、どの陣営も…って、横田寿彦と米田幹雄の一騎打ちだろ!」
 どの新聞の高知版を見ても、今回の漁野市長選は横田と米田の一騎打ち…だが、そこは小規模な市であるがゆえオール与党系と共産党系の対決である。大都市圏と異なり、まだまだ共産党系の不利は否めない。やはり、さすがの清水の冷静な分析をもってしても、横田の圧勝と見るほかないのだろうか。
「でも、このままでいいんでしょうか?」
「大丈夫だ。でも、残るもう1人…横谷佳彦、だったかな?」
「私も取材してるんですけど、どうにも…」
 横谷の選挙戦は、横田・米田の両陣営と異なって極端な省エネ作戦とでもいうのだろうか…ともかく、ポスターを貼った箇所は漁野市役所本庁舎の周辺5箇所と、自らが選挙事務所を置いた浦阪町赤邑の1箇所のみ。しかも、横谷本人が謎の男を伴って2人で漁野駅前での長時間に及ぶ辻立ちを、休むことなく3日連続で敢行している。
「でもさ、意外と…その横谷ってヤツ、俺は大穴だと思うんだな」
「どうしてですか?メディアでは報道されていないどころか、存在さえ無視されているのに…」
「馬鹿、ネットの話だよ…横谷のこと、ネタにしてるヤツがいるんだよ」
 さらに、清水は深江に衝撃の推論を返す。
「それに横谷ってヤツ、俺は今から言う2つの可能性のうちのどっちかだと思うんだ。1つ、すでに勝ちを諦めて開き直ってやがる。もう1つ、すでにヤツなりの勝算を汲んでのことである。どうだ?…その真意を最後に暴けるように、そっから先はお前次第だぜ。頼むぞ」
 そう言い終わるや、慌しく清水は電話を切った。横谷の真意、果たして本当に勝つ気でいるのか?…それとも、敗北を承知でからかいの立候補なのか。それとも、政策などを鑑みて田舎の自治体にはめったに現れない“第三候補”たりえる存在なのか。いてもたってもいられない深江は、その足で再び市内を駆け回ることになる。

 この日も漁野駅前や新漁野駅前を中心に、市内各地を所狭しと横田・米田両陣営の選挙カーが動き回る。そして、横田の辻立ち演説には民自党高知県連の幹部や、地方議員出身の国会議員らも軒並み集結してエールを送るなど、まるで県知事選並みのスケールの大きさにまで発展している。選挙戦も中盤から佳境へと差し掛かる4日目、まさにスパートをかけるには絶好の時期である。
 対し、メディアの下馬評では完全に蚊帳の外を通り越して存在なき者の扱いさえ受けている横谷は、動じることなく淡々と今日も漁野駅前で辻立ちを朝から敢行していた…傍らには、のぼりを持った謎の男を伴って。いや、厳密には数十人程度のサクラらしき若い女性らも伴っていた。深江もその場面に出くわす…日ごとに、女性の数が増えているのが気になっているのだ。そこに、深江の肩を叩く1人の男がいた。
「おう!」
 その男は、やはり桑島だった。3日ぶりの再会である。
「…桑島さん!ビックリするじゃないですか!」
「馬鹿、声でけぇよ!」
 思わず、大声で叫んだ深江を黙らせようとする桑島。なぜ焦るのか?
「話はあとだ。もうじき横田が漁野駅前[ここ]に来るぜ」
 横田と横谷が鉢合わせになる、というのか?…とうの横谷は、選挙期間中はずっと9時から17時まで8時間ぶっ通しで辻立ち演説をやるのがお決まりだ。たとえ、誰が入ろうとも一度辻立ちした場所から離れることはない。下手すると、この2人が最悪の事態を巻き起こすとでもいうのか?
「そんなんじゃねぇよ。楽しみとかじゃなくてさ…」
 いったい、それだと何が目的なのか?…深江には、未だに桑島の目的がわからなかった。
「選挙は公示のときゃあ、すでに流れが決まるといわれている。いや、そこで決まらなかったとしても期間が1週間なら最初の3日間が肝心だと…現にそうだろ?俺や共産党の1人を除いて、議員周辺の集票は完全に横田がつかんでる…岡村のやり方を踏襲する、と宣言してる以上は行政府の急激な変革は万に一つもないからさ。こんな田舎くせぇ市じゃ、急激な変革も議会との険悪な対立も住人自身が望んじゃいねぇこと…だから、世論調査なんかで横田は完全に図に乗ってやがる。もはや、横田自身が圧勝を疑っちゃいねぇしな…米田なんて眼中にない。ましてや横谷なんて、存在そのものさえメディアは裏協定で抹殺状態…ただ1人、あんたを除いてな」
 その頃、米田も市内有数の観光地の1つである躯沢[むくろざわ]海岸の周辺を選挙カーで走っていた。市境にも位置する躯沢地区は、中世史における悲劇の舞台として有名であり、長年にわたってオール与党系の牙城といわれている地である…岡村市政の影響もまともに喰らっている以上、米田は今までの共産党の持つ組織力での集票のみでは横田に負けるどころか屈辱的な完敗を喫してしまう。米田自身は焦りもある…はや、3日目にして淡々としている横谷を除いて動き始めているのだ。
「俺は、この日が今回の選挙戦におけるたった1つのターニングポイントだと思う。ここを逃したヤツが、この選挙の敗者だ…」
 その敗者の中に、すでに横谷はいるのだろうか?…深江は、清水の発言が気になってしかたがない。
「台風の目か、開き直りか…ま、こんな市にゃ“第三候補”ってぇのはめったに現れねぇよ」
 桑島があっさりと答える…オール与党系でも共産党系でもない、どんな支援さえも受け付けない純粋な候補者であり、かつ明確な政策をもって挑む。そういう候補を、桑島を中心に“第三候補”と呼んでいる…この“第三候補”の存在は、大都市圏では選挙戦の更なる流動化を招き、予想を非常に困難にさせるほか、共産党系にとっては脅威の存在でもある。
「横谷さんは、その“第三候補”の概念に当てはまらない…とでも?」
「…ああ、全然な。こんな田舎の市長選に“諸派・新人”で出る馬鹿はいねぇよ」
 桑島と深江…2人が小声で会話を重ねているうち、1台の選挙カーがこの漁野駅前に現れる。
「お、主役のお出ましだぜ」
 横田が車から降りる…付き添っていた高級車からも、何人もの男たちが降りてくる。
「オール与党というより…」
「まるで民自党のマリオネットみてぇで滑稽だな、横田の野郎」
 そして、横谷と対峙するかと思いきや横谷とは反対側に陣取って演説の準備を始める。最悪のシナリオを想定していた深江は、ある種でホッとした心理であろう。
「ホッとしてる暇ねぇぞ。問題はそこじゃねぇ」
 何が問題か、じっと横谷を見る桑島…もしや、横谷が墓穴を掘るというのか?
「最初の時点で、墓穴を掘っちまってる…勝つ気がねぇなら、はじめから出てくんなよな。あとは横田…あいつもどうにかなんねぇのかよ」
 いわば、横田も横谷もどっちもどっち…どっちに票を入れようが、桑島からすれば損得勘定も加わらざるをえない。ということは、横谷に票を入れても何の得にもならないと思いつつある…いや、横谷が市長になれば漁野市は確実に破綻の道をまっしぐらに進むだけだろうとも考えているのだ。
「それにさ、あんたも聞いてたろうけど…どう考えても横谷は勝てる確率0、逆転ホームランなんてないってな」
 確かにそうだ…深江を除いて、まともに横谷を取材しているメディアは何1つない。その現状をふまえても、知名度は横田どころか米田にさえ遠く及ばない…実際、演説の際にも横田に覇気は感じられず、どこか勝利を確信しているような感じの言動が目立つ。すると、横谷がいったん演説をやめた…小休止、といったところか。のぼりを持った謎の男と2人、駅前のコンビニへと消えていく。

 そして10分ほどが経ち、饒舌に横田が演説をしていた傍らで横谷と謎の男が戻ってきて、再び演説の準備を始める…そして、マイクを持った横谷は、滑らかに淡々と自説を主張し始めるのだった。
「皆さん、現世は驚くほどまやかしによって操られている…そんな風に思いませんか?思うだけじゃないんです、本当に現在置かれている現状がそうなんですから」
 いきなり何を言い出すのか?…まやかし、とはどういうことか?
「前市長・岡村敦規は、決して責任をとったんじゃないのです。自分勝手に、自らの欲だけで市長をやっていただけに過ぎないんです。だから、辞職と称して簡単に逃げられる…そうじゃないですか。とっておきの特効薬があるのに、それを使おうともしないで辞めていく無神経な男なんですから」
 口を開けば、今日は岡村に毒舌を振りまいた…いや、この次元になると一歩間違ったら誹謗中傷の範囲に首を突っ込んでいるかもしれない。そんな言葉を、表情を変えることなく横谷は淡々と喋っている。不気味なオーラを感じ、桑島はもちろんのこと深江も首を傾げつつあった。とっておきの特効薬がある?…財政赤字を立て直すためのだろうか。やはり、横谷という男の人間性は全く読めない。その苛立ちが、桑島の心を次第に支配していった。
「北海道夕張市…財政再建準用団体の申請を決定しましたね。負債が500億とも600億とも言われる大赤字を抱え、降参したとでも言うところですか?…いや、降参したじゃないんです。進化の道を選んだんです。私は、市長の決断を英断として称えたいと思っています。市民の皆さんも、この英断を称えようじゃありませんか」
 この発言には、その場にいた面々…横田はもちろん陣営の面々、そして桑島も深江も耳を疑った。何を言い出すのか?…無神経にもほどがある。財政再建団体は、別名として“赤字再建団体”と揶揄される代物…過去に何度か、この“赤字再建団体”に転落した地方自治体はあるが、例外なくその自治体に待っているのは住人をはじめとして、公共サービスへの多大な影響を受けてしまう。
 そのような自治体の死を意味する行為に対し、英断だと?…称えよ、というのか?なぜ称えねばならないのか。むしろ叩かれてしかるべき行為ではないか。ここまでくると、桑島はもはや嫌悪を通り越して憎悪にまで発展するかのような顔つきで、横谷を横目で見るほかなかった。
(それじゃ、次のヤツら…生まれてくるかもしれねぇ俺らの子供の未来はどうなってもいいってのかよ。ふざけてんじゃねぇぞ…横谷の野郎!)
 そんな思いは露知らず、批評を通り越した誹謗中傷の領域の発言は、今度は眼前にいるはずの横田へと目線を向けられる。
「今の世の中、小手先の手法なんて通用しません。それは既存概念に支配されているからです…永遠の成長を続けなければならない、それこそが呪縛なのです。停滞してもいい…衰退してもいい。将来に渡って栄えれば、それでいいことじゃないですか。そして、そのような劇的な手法が世界にたった1つだけあります…私はそれを実践して、この窮地に陥っているとされる漁野市へと降り立ってきたんです。このたった1つの手法で、できないとされるものまで含めて全てを改革できるんです。信じてください…私はやります。漁野市を日本一…いや、世界一の誇れる強い自治体へと生まれ変わらせます。そのための第1段階として、財政再建準用団体への早期の申請を敢行します」
 現場が一瞬、凍りついた。“赤字再建団体”への転落を公言したのである…ついに政治家を志す者として、パンドラの箱を堂々と開ける行為に出たのである。言ってはならないことを、横谷は堂々と発言してしまったのだ…意味を全くわかっていない。それでも、横谷の饒舌は止まることなく無表情に進められようとする。傍らで見ていた桑島は、もはや憎悪から殺意へと変わりそうな形相で横谷をグッと見ていた。
 確かに横田には芸がない…岡村前市政のやり方をそのまま踏襲、聖域のない財政再建を口実にした経費の削減を敢行するというのだから、確かに横田はその猿真似を指摘されても不思議はないだろう。黎明党が1度も選挙に出たことがなく、この横谷が初の参戦とあって息巻くのも無理はないのだが、それでもやりすぎている。何が財政再建準用団体の申請だ…騙されるものか。それは、いわば自治体に対する死の宣告だ…そう、横谷は自爆してしまった。
「…桑島さん」
 そんな機嫌の非常に悪い桑島に、何を思ったのか小声で深江が声をかける。ぎっと睨む桑島…
「恐いです」
「…あ、悪い」
 急にしれっとした顔に戻す桑島だが、やはり横谷の発言は胃酸の出る思いが引っ掛かる。
「横谷さん、公示の日からずっとあの調子なんです。9時から5時まで、8時間ぶっ通しで漁野駅前だけで辻立ち演説。まるで新興宗教の説法みたいな感じですよ…」
「みたいな、じゃねぇよ。新興宗教そのものじゃねぇか…」
 9時から17時まで8時間連続でずっと演説…しかも、どこにも行かずに漁野駅前でずっと辻立ち。正気の人間がやる選挙戦ではない…なおさら、選挙をなめているとしか思えない行動の数々に心が躍っているのは、横谷の周りを囲む節操なきサクラだけである。
 時はあっという間に過ぎ、投票日前日に発表された毎朝新聞主催の世論調査の結果は以下のとおりである。

【漁野市長選挙 直前世論調査】
『貴方は、今回の“出直し”漁野市長選の投票に必ず行きますか?』
82.47% はい
17.53% いいえ

『上の質問で「はい」と回答した方…では、意中の候補者は?』
36.17% 横田寿彦(無所属・新)
20.97% 米田幹雄(無所属・新、共産党の推薦)
0.49% 横谷佳彦(諸派・新)
42.37% まだ決めていない。

 そして、運命の投票日当日を迎えた…その日の漁野市内は、朝から雲ひとつない快晴だった。
(すげぇ眩しいな…)
 桑島の朝は、日曜日といえど6時に始まる…否が応にも、今日の深夜には新しい漁野市長が決まる。横田寿彦の圧勝…さすがの桑島も、それしか思いつく答えがなかった。
(ふん、勝ち馬に乗ってやるか。そのあと、どうするかな…)
 一方、東京の日本新聞が入っている小さなテナントビル…静けさが残る政治部の部屋にたたずむ1人の男、それはもちろん清水だった。
(どうすっ転んでも、逆転はねぇな…ちっ、つまらねぇ!)
 持っているのは2枚の紙…毎朝新聞の直前世論調査の結果、そして深江が必死になって書いた記事である。どう見ても、横田の圧勝…やはり番狂わせも何もないのか。それはさておき、漁野市内の投票所に指定された小学校や公民館などには、朝から投票の入場券を持った有権者らが多く来ていた…おそらく、前回の市長選よりも投票率は上がるだろう。注目の横田と米田も、各自に投票を済ませる…桑島も早朝、7時過ぎにはすでに投票を済ませていた。
(ま、戦場で待ってるぜ…横田寿彦。別に俺は、あんたの味方でも敵でもねぇよ…)
 だが、投票会場のどこにも横谷は現れなかった…それもそのはず、未だに高尾山に本籍を持っており、住民票を漁野市内に移していないので、今回の市長選において選挙権そのものがない。浦阪町赤邑に構えた掘建ての事務所で、謎の男と2人で朝からビールなどを飲み明かしていた。
「…いよいよ動きますね!」
「…そうですね。山が動く、そして変わる。今に見ていなさい、フフフ…」
 不敵な微笑を浮かべる横谷…まるで勝ち誇ったかのように、堂々としたたたずまいである。だが、現実には世論調査において本当に微々たる支持しか集まっているとしか思えない低得票が予想され、過去に行われた漁野市長選における史上最低得票数・得票率が大幅に更新されるとさえ囁かれているほどだ。現に毎朝新聞は横谷に関する記載を一切外し、横田と米田の一騎打ちと記事で煽った。いや、他の新聞とて例外ではない…深江の日本新聞を除いて。
 そして、運命のとき…時計は20時を指す。そのときを見計らって各投票会場では一斉に投票箱を閉め、総合体育館のメインアリーナに集められる。各自が固唾を呑んで見ている…いや、それよりは余裕の顔も多い。桑島もまた、嘆息交じりに深江と2人で結果を見ようとしていた。
「見たって意味ねぇけどな…」
「どういうことですか?」
「…もうじき出るよ。横田の当確、ってな」
 果たして、どれだけの得票差か…横田のあの支持の広がりぶりを感じるに、思いのほか大差になっている可能性が考えられるが、それにしても横谷の発言は赦せるものではなかった。わかる人間はわかる…横谷に票は、何があっても流さない。流せば、それは漁野市の“自治権放棄”を意味することになる。国にタダで売り飛ばす…いわば、小規模な売国行為ではないか。桑島はそう考えていた…これが常人の発想だろう。
「…桑島さん!来てください!」
 深江は、大きなソファーで眠りかかっていた桑島をたたき起こす。いったいどうしたというのか、時間は20時半をまわっていた…だがおかしい。元来なら、20時過ぎにはすでに当選確実の情報が流れているはずだ。前回の選挙、岡村もそのぐらいにはすでに情報が流れていた。そして今回、流れた情報は…深江や桑島のみならず、漁野市の全域を震撼させるには十分すぎるものだった。
『漁野市長選で 横谷佳彦氏(諸派・新)が当選確実』
 あまりにも想定外…さすがの桑島も、そして東京にいた清水もそうだ。あの程度の結果しか出なかった世論調査から、まさに一発逆転ホームランを決めたのだ…しかし、なぜ横谷は勝てたのだろうか。今度はそこに考えが移ってしまう…当の横谷は、事務所で謎の男と2人っきりでささやかな祝杯をあげている。
「フフフフフ…皆さん、これをどう見ているのでしょうかねぇ?」
「このような結果、私以外は誰も予想できなかったはずです」
 この結果に対し、圧勝は当然とされた横田の陣営では嘆き声やすすり泣きが聞こえる…現世の生き地獄、とでもいうところか。そして、当の横田も結果を受け止められないでいた。
「うぉあーーーーーーーーーー!!!!!」
 泣き崩れる横田を、誰も慰められなかった…いや、慰めるどころではなく陰ながら応援してきた原幸治をはじめとした漁野市議会議員らは、今後の動向を全く予想できないでいた。
「…どうするんですか?」
「どうするもこうするもない。追い払う!」
「ともかく出迎えはするな」
「そうだ!目にもの見せてやる!」
 ここまでくると動揺でもある…中には、常識からしてありえないことさえいう面々さえいた。
「まさか、桑島が…」
「あいつならやりかねん!」
 作戦を立てるとか、もはやそれだけではなく横谷や桑島への私怨しか支配するものがない冷え切った現場である…相変わらず、横田はその場で泣き崩れたまま立ち上がれないでいた。圧勝といわれ、そのプライドを完全にずたずたにされたようなものだから。

 思い思いの夜は過ぎ去り、翌日…横谷が市役所本庁舎に現れる日がきた。朝9時、横谷は誰も伴わずに1人で歩いて現れてきた。そんな横谷の姿を、市役所職員をはじめ市議会議員でさえ誰1人として出迎える気配を感じない。異常だ…いや、こんな異例の事態はそうそうあることではない。いや、どこの自治体でもありえない事態だ。横谷新市政を歓迎しない…市役所から発せられた声明にも感じ取れる。しかし、それでも横谷の顔は終始微笑を浮かべたままである。
「…やはり、貴方だけでしたか。僕を歓迎してくれるのは」
 正面玄関前、1人で立っていたのは桑島…だが、横谷を見るその目は憎悪に溢れていた。
「歓迎?…ケッ、馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ」
「…威勢だけは1人前だ、フフフ」
 相変わらず、相手を鼻であしらう横谷。そして、桑島がまた口を開く。
「いいか、あんたを市長の座から引き摺り下ろす…絶対にな」
「…できもしないことを言うものじゃありません」
 そう言って、横谷は正面玄関から市役所の中へと消えていった…その憎らしい後姿を、桑島はグッと睨んで目に焼きつかせていた。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections