『出直し市長選、それは数多の陰謀と野望が支配する魔物との終わりなき心理戦である…いざ、中土佐・秋の陣へ!』
岡村敦規が市長を辞職した…漁野市の合併に尽力するも、騙された赤字を背負わされたようなものだから。しかし、まるで対策を考えていなかったのか、万策の尽きた無力感に支配されたのか、ともかく岡村の市長辞職は“逃げ”とも捉えられて不思議はない。 俄かに慌しくなる周辺…否が応にも、市長の空位は赦されない。“出直し”漁野市長選は公示される前なのに、まるで公示されたかのごとく熱が篭っている。 「…ったく」 ここは桑島の事務所 兼 自宅…苛立っているのか、テレビを消してむべにリモコンを放る。 「騒がしくなりましたね」 「…いい迷惑だぜ、こっちにゃ」 桑島はこのところ、歩けば歩くほど取材を受ける…漁野市議会議員の1人として、いったい岡村前市政をどう見ていたのかとか、市長選への態度表明はまだなのかとか、ともかく桑島からすると雑音ばかりが耳に入ってしまう。記者の1人として、深江もその無節操な行動の数々を桑島が受けていることに、決して他人事ではいられない。 「…横谷さんはどうなるんでしょうか?」 「馬鹿、いちいちあんな野郎に“さん”付けしなくていいんだよ。まあ連中が万一にも出てきたって、何もできねぇで最下位落選は確実…それも、ぶっちぎりでな」 横谷佳彦…あの後の動向がどうにも気になる。素っ気無くあしらっている桑島だが、実は彼とてその後のことが気になってしかたがない。いや、食堂をあの不敵な笑みを浮かべた顔をして去っていったのが気になるのだ。まさか、本気で市長選に挑むのではないか…と。 「興奮しないほうが身のためですね。また議場で会いましょう…」 この横谷の一見は捨て台詞ともいえよう言葉が、未だに脳内にこびりついている。 「ちょっと出かけてくらぁ。あんたも、俺にばっか腰巾着みてぇに引っ付いてっとハイエナどもに狙われるぜ」 何かを思い立ったかのごとく、すっくと立ち上がってドアを開けて外に出ようとする桑島…マイカー“ホンダ・クロスロード 20X”のもとへ駆け寄り、ドアの鍵を開けようとした矢先…幾人かの報道記者らが、桑島を瞬く間に取り囲んだ。 「今回の騒動の件に関して一言!」 「岡村市長の意図を聞かせてください!」 次々と質問を浴びせる記者たち…桑島の気持ちなど、全くもって無視だ。これこそ“メディアスクラム”と呼ばれる、昨今のメディアが抱える倫理問題であるといわれる一端である。 「あのさ、岡村の意図なんて俺に聞いてどうするの?」 素っ気無く桑島が返し、そのまま車に乗り込もうとするがそうは問屋が卸さない。 「市長選、桑島議員が出るとの情報もありますよ!」 さすがに、桑島はその質問を投げかけた記者の前に寄りかかる…そのときの形相は、まるで鬼神が宿ったかのごとく。 「馬鹿か?…そんなデマ、真に受けてんじゃねぇよ」 「…デマだと断言されるからにはここで宣言してください!」 ますます桑島は顔を不機嫌にさせる。いったい何様なのか、最近の報道記者というのは。自分の意見がそのまま、国民や住人の意見や要望であるなどと思い上がっているとしか思えない、横柄なものの言い方だ。 「俺は、市長選なんて出る気はない。100%…いや、150%以上の確率でな」 「…」 本当に宣言するとは思わず、きょとんとする記者たち。無駄な問答など、今はしている余裕はない。そのまま車に乗り込み、颯爽とその場を去っていった。
「どうかお願いします!漁野市を救う力を、私にください!」 桑島が車で走っていると、浦阪との境目にあたる海岸線まで出てきた…そのさなか、海岸線を自転車で走って地声を張る1人の男と出会う。 (あれは…) 男の名は米田幹雄…共産党所属、前・漁野市議会議員。もともと漁野市における共産党の勢力は決して強いわけではなく、議会において18人中たった2人のうちの1人であったが、桑島が初当選した前回の選挙で惜敗して議席を失ってしまった。今は古巣も同然の漁野民主商工会(民商いさりの)のメンバーとしての活動をしている。思わぬ形での選挙…“出直し”漁野市長選への出馬を予定している行動である。 (米田か…共産党系ね。あとはもう1人…) 岡村前市政の後継を名乗る候補が出てきてもよかろう…これで2人、駒があっという間に揃う。すると、ふと桑島の頭内に横谷の顔がよぎった。ふっとブレーキを踏んでしまう…車は何もない場所で急停車した。 (なんで、俺があんな野郎のことを…) 我に返ろうと、車を降りて砂浜へとへたり込む桑島だった…するとそこに人影が近づいてくる。 (誰だ!) …なんと、横谷ではないか。その姿を見て、桑島は思わず身構える。 「…奇遇ですね」 しれっとしたような微笑を浮かべて、横谷は桑島の隣に座り込んだ。桑島は、ただ顔を強ばらせるほかなかった。 (横谷佳彦!) 「なにを身構える必要があるんですか?…僕は何もしませんよ」 「…」 横谷の顔を見たくないのか、桑島は顔を反対の方向へそむける…無言のまま、2人の間には冷たい空気が支配されていく。 「…帰ったんじゃねぇのかよ?」 「どうして帰る必要があるんですか?」 「ほんとにああ言えばこういうんだな、あんた」 すると、横谷はボストンバッグの口を開けて1枚の紙きれを取り出した。 「…これですから、僕は帰るわけにはいかない」 なんと、それは公認状であった…『右、公認する』とあり、その公認候補を送り込むといった張本人である横谷が自ら市長選に出馬するのだという。 「…なに考えてんだよ。そんなの人前で見せるもんか?」 常識なら、そんなことはまずしない。“第三候補”気取り、とでもいうのか。ともかく、相も変わらない横谷の態度に次第に桑島は不機嫌になっていく。 「未常識の世界を導入することこそ、今の窮状を救う最大の手法なんです」 「…未常識、なんて言葉ねぇよ。非常識の間違いじゃねぇの?」 同じような言葉を、どこかのカルト団体かが言っていたようなことをふと桑島は思い出す。横谷は相変わらず、横で微笑を浮かべたままだ…その横谷の顔を見たくない桑島は、すっくと起き上がって車のもとへ戻ろうとする。 「3人目の駒はここにいますよ…お忘れなく」 「…ああ」 横谷の問いかけに振り向くことなく、海岸をあとにする桑島であった…“出直し”漁野市長選の公示は近い。
漁野市内の各地を、工具を持ちながらせわしく回る市役所職員ら…もとい、市選挙管理委員会の人たち。そう、“出直し”漁野市長選の公示日まであと3日と迫っている。市内の学校や主要公共施設、公民館、漁協など各地にはポスター掲示場が次々と建てられていく。『日本新聞 高知支局』と手書きされた立て看板…テナント 兼 住宅といえる物件、中では懸命に記事を書く深江がそこにいた。漁野市長選の特集記事を編集しているのであった…誰かが読んでくれる。そう思うと、深江は一層の気合を文字の1つずつに込めて書いていく。 「…よし、できた!」 そして、プリントアウトしてもう1度読み直す…“誤字・脱字の女王”返上も兼ねているのだ。すると、携帯電話が鳴る…発信主は、やはり清水耕輔だった。 「はい」 「おお、どうだ?…高知は」 「どうもこうも…今は忙しいんですよ」 「はは、わかってるよ。漁野市長選、もうじき公示なんだってな。お前のことだ、特集記事でも書いてみんなに読んでもらおうとか思ってんだろ?」 さすがに清水、心理はあっさりと透かされてしまった。 「ちゃんと立候補予定者の全員分、書いたんだろな?」 「ばっちりです!…ちゃんと、公平に取材してきました!」 「…頼むぜ。日本新聞[ウチ]は分け隔てなくどんな候補でも公平に取り上げる、ってのが社訓だからな。それ破ったら、社主にどやされるどころじゃすまねぇんだぞ」 清水は政治評論家の顔ももっているがゆえ、選挙事情にも詳しい…そして、選挙による大手メディアの報道姿勢にも疑問を通り越して憤慨したこともある。 「あ、でもな…やっぱ、特集記事を載せんだったら公示日当日なんてどうだ?…前後に出すと、どうも厄介なことになりそうなんだよ。いいか?…頼むぜ」 そう言って、せわしく一方的に電話を切る清水…デスクとして、評論家としての顔を掛け持ちしているがゆえ、深江を心配したくてもできないのが実情だ。
公示日が前日に迫り、深江は相も変わらぬ地道な取材を始めようとしていた…いつものとおり、漁野駅前のコンビニに立ち寄って昼食を調達する。すると、目に止まる1つの新聞があった。 「…市長選特集?」 それは、日本新聞を発起した社主・村井が激しく敵意を抱いている我が国の最大手新聞・毎朝新聞の朝刊である。このご時世、コンビ二でも容易に手に入れられるとは考えモノではあるが、取材費と割り切って深江は何のためらいもなくそれを1部とってレジにいた店員に昼食用のおにぎりやお茶などと一緒に渡した。代金を払い、コンビニを出るやすぐに見ようとした瞬間…1台の車が駅前に現れた。“ホンダ・クロスロード 20X”、そう…桑島だ。 「今日も取材でかけまわんのか?…だったら、乗っていきなよ」 「あ、桑島さん!…いつもすいません」 桑島もまた、市議会議員の有志の集まりに急遽呼び出されたがゆえ…そのついででもある。市長選に関して、態度を聞かれるのであろう。桑島の態度は、もうとっくに決まっている…単騎、自主投票。但し、彼の選択肢に横谷は微塵もない。 「…それ、毎朝新聞か?市長選特集だってな」 深江が手に取っていた新聞に気づいた桑島…さらに桑島は続ける。 「どうせ、そん中にゃ2人しか書かれてねぇよ」 「…わかるんですか?」 「…どんな馬鹿でもわかるよ」 毎朝新聞は、新聞メディアとして最大手であることを鼻にかけて、選挙報道に関しても自分たちのルールを法務省の官僚らと共謀して数々の悪事を働いてきた…それは今でも全く変わらない。若きジャーナリストら、特に清水と村井はその巨悪たる組織に敢然と戦いを申し入れている状態が、近年の新聞業界の構図だ。なぜ清水も村井も、毎朝新聞にだけは極端に敵意を示すのか…まだまだ未熟者の深江には、それが未だ理解できないでいた。 「ま、どうせあんたのことだ。横谷も取材してんだろ?」 「…はい」 「どうせ出たって勝ち目はねぇんだ。好きにさせてやりゃいいんじゃねぇの?…あ、でもあんたが先に特集記事載せてたら、こうはなってなかったかもな」 そう言って、コックピット上で笑い飛ばす桑島…なるほど、清水が当日まで記事を載せるなといった理由が深江にはやっとわかった。 「なんでもな、毎朝は1番じゃなきゃ気がすまねぇ…ってとこ。で、横谷は事務所をどこに構えてんだよ?」 「ここです」 そう言って、地図らしき紙切れを渡す。その位置に、桑島はビックリして思わず車を路肩に止める。 「…馬鹿じゃねぇの?浦阪の、それも奥土佐村に寄ってる境目のとこじゃねぇか!」 漁野市浦阪町赤邑…もう少し北へ上っていくと、上新荘郡奥土佐村に出てくる。そんなとこに事務所を置くなど、前代未聞の話だ。普通ならありえないことをなぜ平然と横谷はやってのけるのか、未だに桑島にはわからないでいた。 「“奥土佐村”というところと合併する、ということですか?」 「いや、それはないね。浦阪の比じゃねぇよ…あそこの赤字体質は。あんなとこ吸収しちまったら、完全にオダブツだぞ」 そうこうしているうちに、浦阪との境目にあたる市立南公民館へと車は入っていった。 「あんた、そこで待っててくんねぇか?…すぐ済むと思うんだ。それからでもいいだろ?」 そう言って、車から降りる桑島…颯爽と市章バッジを見せて、中へと入っていく。その中には数々の老齢な男、女が次々と消えていく…全員、漁野市議会議員である。5、6人ほどといったところか。 (いったい、何するんだろう?) 市議会議員同士でいったい、なにを語り合うというのか。桑島が呼ばれそうな感じの人らには、深江には見えなかった。
公民館の小会議室…桑島をはじめ、市議会議員の有志はここに集まっていた。 「であるからして、今回の市長選だが…」 口をあけた1人の老齢議員の男…最も高齢で、“長老”と恐れられる議長を経験した原幸治である。原は齢からは想像もできない健康ぶりで、饒舌が冴え渡る。 「そこでだが、この方針を各会派に持ち帰ってもらいたい…」 「でもさ、俺は会派にすら所属してないっすよ」 すかさず桑島が突っ込む。しかも、この集まりに呼ばれていない議員もいる。どういうことか? 「ま、君にも念を押しておきたいってことじゃ…桑島君」 「貴方に念を押されるまでもない。間違った投票行動なんて、俺はしませんよ」 桑島の答えをさらっと流して、毎朝新聞の特集記事の即興コピーを各自に配っていく原…やはり、候補者は2人しかいないかのような記事内容だった。 「答えはわかるよな?…横田寿彦君、そして敵とはいえ議会の一員だった米田幹雄君」 横田寿彦…横谷佳彦と語呂が似ている。桑島の目つきが若干変わった。 「ワシんとこは、横田君を推しますよ!」 「あたしんとこも!」 次々と有志らは、横田への支持を表明する。得意げな顔を見せる原は、さらに続ける。 「さらに民自党のセンセイ方も明日、さっそくながら応援に駆けつけるそうだ。明日は頼むよ、じゃあ解散!」 会合はわずか10分となかった…民自党の連中?もしや、何を考えているのか?それほど重要な選挙とも思えない。露骨な利権選挙の匂いがしてきた。
「待たせたな。行こうぜ」 コックピットに颯爽と乗り込んだ桑島…傍らの深江は、すっかり夢の中のようだ。 「行くぜ…横谷んとこ」 気持ちよさげな眠りの中にいた深江を、無理矢理に現実世界へと引き戻すかのごとく小突く桑島…ここから浦阪の北部にあたる赤邑地区にある横谷の事務所へ向かうには、桑島の車は必要なものである。 「眠りこけってると、途中で放り出すぜ」 車は所構わず、山道をひたすら走る…そして浦阪町赤邑、その地区へと着く。人も殆どいなさそうな、そんな静けさが残る街並に事務所を立てる横谷の心理は、未だもって2人にはわからない。 「…遠路、はるばるとお疲れ様です」 右往左往する2人の前に、横谷が現れる。 「素晴らしい街並ですね、ここは。事務所にはもってこいの場所です」 「…どうして、こんな山奥に?」 すかさず、記者魂を見せて深江が質問を投げかける。 「山奥だからこそです。僕は、東京の高尾山というところに農場を持っていまして…」 横谷は、自ら農場を経営しているのか?…全くの初耳である。しかし、やはり漁野どころか彼の口から高知に関する話さえ出てこない。聞いてはみるが、桑島も深江も事態を飲み込めない…深江はただメモを取って、彼の言動に集中するほかない。 「僕の農場では、いろんなことを試しています。例えば有機農業。ほかには、そうですね…水素エネルギーを独自に開発することも進めていますね。そして、インターネットでの僕のサイト上で減価機能を持つ地域通貨を試みています。これがことのほか大反響で…」 我が国の通貨は“円”で全国共通…地域通貨、などという概念は認めていない。それがなぜ出回る?…反響を受ける?…ありえない。桑島は、冷静に横谷の言動を分析しようとする。だが、行き着く答えはたったの1つだった。 「…ここが日本ってことだけが、あんたのラッキーなとこだな。もし中国とかなら、国家反逆罪だぜ」 日本には直接的に“国家反逆罪”はないものの、“外患罪”“内乱罪”という罪の規定は未だに刑法に残っている。 「国家反逆罪?…心外ですね。貴方のほうが、むしろそれでしょう?」 完全に横谷は微笑を浮かべて、桑島を挑発しているようにしか見えなかった。何を言っても無駄だ…ああ言えばこう言う、屁理屈を交えて。桑島と横谷、誰がどう見てもあの場で横谷に味方する者などいない。 「…ここで何をしているんです?活動は何かされているんですか?」 メモを取っていた深江が、また質問を投げかける。横谷自身は今度の出直し市長選に出馬を予定している…だが、そのわりには市内のどこを見ても活動の兆候は見当たらなかった。かたや、共産党系の米田とはまさに対照的だ。 「公示されるまで何もする気はありませんよ。公職選挙法の規定を知らないんですか?…ふふっ、それでよく政治部の記者がつとまるものですね」 落ち込む深江に、すかさず彼女の方を叩いてフォローを入れる桑島。 「こんな馬鹿の言うことに、いちいち落ち込んでんじゃねぇよ。時間の無駄だ、俺は帰る」 そう言って、車を出そうとする桑島。 「桑島さん、勝手に帰らないでくださいよ。まだ取材は終わっていません!」 「歩いて30分ぐらいかかるけど、バス停がある。漁野駅前まで出てくるバスだ…けどな、あと2時間ぐらいで終発だけど」 桑島はそのまま、車に乗り込んでそそくさと事務所へと戻ることに…深江と横谷、この2人が赤邑の奥地に残った。 「…いったい何が目的なんですか?東京の人がなぜ高知に?」 「決まっているじゃないですか。この愛する日本がダメにならないうちに、僕が動くんです。そして、変えるんです」 「…何を変える気なんですか?さっきの公職選挙法がどうだとか、米田っていう人はそんな中でも市内を精力的にまわっていたんですよ!」 「…」 深江の質問、それに答えては沈黙する横谷。だが、横谷のその顔に浮かぶ微笑は不気味なオーラを最後まで放ちつづけていた。 「最後に言います。私が市長になれば、漁野市は日本一…いや、世界一の自治体として甦ることになります。とある1つの手段をもって、あっという間に…」 そう言いながら横谷は事務所の中へと消え、ドアを閉めた。世界一の自治体?…国を越える規模の自治体、ということか。ともかくメモが多くなった…今までであった取材対象の面々の中で、横谷は一癖も二癖もあるかもしれない。得体の知れない不気味なオーラを読み取ろうとする。帰ろうとした矢先、また横谷が事務所のドアを開けて顔を出してきた。 「そして、選挙方法も驚かれることでしょう。明日が楽しみです…」 そう言って、また事務所内へと姿を消した横谷。やはり深江には、横谷の人間性は最後まで理解できないと見た。
その日のうちに深江は無事にバスに乗り込み、なんとか夜遅くにはなったが帰宅できた。 そうこうしているうちに、日は暮れて…そして明ける。いよいよ、“出直し”漁野市長選の幕が上がる。市政施行後、初となる今回の出直し選挙には3人の候補が期限内に漁野市選挙管理委員会宛に届け出た。 「岡村前市政が切り拓こうとした、行政・財政改革の流れを決して止めてはなりません!」 さっそく、早朝の新漁野駅前で絶叫を展開する1人の男…漁野市出身、農林水産省四国農林局の幹部であった齢・47の横田寿彦候補。横田は目下、市議会議員らの秘密裏な支援を得ており、今回の選挙戦でも岡村市政の10年間の功績を称え、その岡村が築いた流れを継承することを早々に宣言し、行政府の急激な変革はないことから徐々に名が浸透していっている。いわば、彼は本命である。 「岡村市政が失ったものはあまりにも大きい!…福祉を容易に切り捨て、産業再興と称した税金の無駄遣い。これらをやめることを皆さまにお約束いたします!」 こちらも市街地を貫く国道を、自らのマイクで自転車越しから絶叫する1人の男…10年ぶりの市長席奪還に燃える共産党は、桑島が初当選した前回の市議選で惜敗した齢・63の前市議会議員、米田幹雄候補を擁立した。横田に米田、そして横谷の3人…だが、深江の日本新聞を除いて横谷を取材・報道するメディアはやはりなかった。 「よし、書けた!ようやく完成だぁ〜!」 日本新聞高知支局のテナント…深江は1人で記事を仕上げ、ようやく完成させた。不動産屋の主の紹介もあって、記事を輪転機にかけ、さっそく漁野駅前の通りがかりの人らに手配りを始める…これらの作業、彼女1人でやらねばならない。 「お願いします!」 ビラ配りのように真剣に刷りたての記事を配る深江…購読者が全くいない現状、これしかPRの手立てはない。そこに1台の車が現れる…“トヨタ・センチュリー”、1人の大物国会議員が降りてきた。 「あれは…?」 民自党の幹事長、瀧本太郎…原が言っていたのは、このことだった。瀧本は付き添いの秘書やSPに案内され、横田の演説している選挙カーへと近づき、容易に入っていった。 「どうも、瀧本太郎です。民自党の幹事長を仰せつかっております…総理・総裁より、伝言を預りました。『成長を実感に!漁野に活力をもたらす、確かな成長をお届けします。横田寿彦さんなら、必ず皆さまにそれを実現できることをここに堅くお約束します』…とのことです。以上」 幹部にしては実に素っ気もなければ呆気ない演説だが、一瞬の人だかりが大物の証…そして、颯爽と瀧本は選挙カーを降りて用意された車に再び乗り込む。彼に暇はない…また東京へと帰らねばならない過密スケジュールだったのだ。 一方の横谷…浦阪町赤邑の事務所から動こうとしない。じっとテレビを見ている…傍らには、1人の謎の男がいた。ふと、横谷はテレビごしに呟いた。 「これは面白くなりそうですよ」
|
|