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Governor's O&D 〜“さと”とは、“くに”とは〜 作者:本城右京

第10回   滅工興農
「不祥事の真相究明は、議会へと賽を投げられた! 農本原理の推進か?それとも工農一体の維持なのか?」

「あなたは…私を、拷問するんですね?」
 不意に、北条邦憲の眼前に映った1人の若い女。恰好そのものも奇抜だ…明らかに一世代前と見間違うばかりのゴスロリといえる風貌、かつそれが絵になっているのだから余計に邦憲には疑義を持たせるに十分なところだ。
「これ以上、怯える姿を曝したくありません…」
 女は言葉を続ける。ただ、事態を飲み込めない邦憲にはどうしてよいのかわからないでいた。邦憲の理解をはるかに超越する存在、としか思えないからだ。
「…何を言いたいんだ?俺にはさっぱりわからないんだが」
「止めてください。刃向えば、拷問されるんです…」
 誰が拷問されるというのか。止めるべき相手は誰だ、と邦憲はふと考える。
「まさか、桑島庸介のことを言っているんじゃないだろうな?…もう無理だ。新荘川流域環境総合センターのエネルギー回収プラント納入を巡る談合疑惑の再燃は、横谷を追い落とす絶好の機会の1つ。ここを逃したら、横谷の恐怖政治によって漁野市はあちこち簒奪される…それに加担するだけだ。どうしようもないツケを、全国に発信してしまうだけだ」
 そのとき、女は全身をわなわなと震えさせ、時に怯えるような表情を見せながら涙する。
「刺激しないでください!」
 ありったけの大声が、市役所本庁周辺をこだまする…思わず邦憲は、女の口を片手でふさいだ。
「何を考えている?…ここに俺以外誰もいないとは思っていないよな?」
「また、拷問される…」
 まったく、邦憲とその女との間に会話が成り立っていない。むしろ、横谷の仲間なんじゃないのかと思う邦憲がそこにいる。
「さっきから、いったい何に怯えているんだ?…あと、どうして俺たちの邪魔をする?」
「邪魔などしていません。拷問の恐怖を知らないから、そんなことが言えるんです…」
 おおよそ、この時点で邦憲には察しがつき始めていた…おそらく、横谷のことだろう。横谷と女には、浅はかならぬ因縁が潜んでいるかもしれない。
「その拷問の恐怖とやらから、俺たちが必ず解き放ってやる」
 怯える女をそっと優しく、邦憲は抱擁していた。一方、桑島はすでに議場で淡々とそのときを待っていた。突如として沸いているに等しく、ましてや横谷には専門外といえよう環境プラントを巡る諸問題…切り込めるはずがない、光友電工を追い落としたい四菱電機グループや武田信伴の野望の存在にも気付いているはずがない。その思いは桑島だけではなく、背景を懸命に調べた深江友璃子でさえも傍聴席から真剣な目つきで見ていた。
(あれでいける…絶対に、横谷さんは桑島さんに勝てない!)

 ついに緊張の一瞬…横谷が議場に現れたのだ。桑島の顔の剣幕が一気に鋭くなる…すでに心理戦は幕開けていたのだ。そんな強張った桑島をよそに、横谷は一時も表情を変えず微笑を浮かべたまま薄気味悪く市長の指定席に着席した。議員たちは方々で談笑やらを続けたまま…横谷を不信任決議で追い込んだ自信なのだろう。次も出せば必ず可決し、今度こそ横谷は市長の座を追われるからだ。
「いいか。決して、ほかの議員どもに不信任決議を出させるんじゃない」
 不信任決議を出させ、疑惑を再び曖昧にすることは何を意味するか?…議員の中に、談合疑惑に絡む者がいるという状況証拠を露呈するだけだ。そして、ほかにも理由はあると邦憲は桑島に釘をさしていた…しかし、そこまではまだ説明されていないが選挙には公金が投入されるとあっては桑島には容易に想像がつく。
(わざと破綻に追い遣るためだろうな…やっぱ許せねぇよ、あのヤロウ!)
 破綻の意味をわからせてやる…夕張のような転落を、骨を埋めると決めた漁野で見たくはない。真の愛郷心を持つのは誰か、それが表面化すると桑島も自信を覗かせている。そこに議長が表れる…臨時議会の開会の言葉が、1日遅れで発せられた。
「まずは市長の…」
「議長!」
 高らかと、桑島は声をあげながら挙手する。
「…桑島庸介君」
 すっくと桑島が立ち上がる…長く文を綴った原稿を片手に、壇上にあがる。
「市長は、本日朝刊の一面を飾った記事を存じておりますか?」
 漁野市ほか高知県中土佐地方の複数の自治体が互いに出資して、ごみ処理工場として建設した新荘川流域環境総合センターに納入するエネルギー回収プラントを巡る入札で談合があったという疑惑に踏み込んだのだ。しかし、これは岡村前市政のときにも1度疑惑が浮上したが踏み込めずじまい…市職員の1人に過ぎなかった桑島にも、苦い思い出だ。そこで背景を続々と調べなおすと、確かに光友電工は大きく関わっている。そして、裏にまわれば市職員や岡村前市政の当時の市幹部や助役たちを味方につけようと訪問するのが地元建設会社はもちろん、電機・重工業系の企業まで多く訪れていたという。プラント事業を巡っては、プラントそのものの耐用年数をふまえて今が30〜50年周期の終盤に差し掛かる…いわば、旧い機械を新しく換えるのと原理は同じことだ。そして、光友電工をはじめとした旧来のプラント事業における勢力図に底辺から急激に台頭してきた企業の存在も明らかにした…いや、その企業はもともとシェアがなかったのではなく発電所での実績をふまえて、ごく一部ではあるがエネルギー回収プラントにも自治体で世話になっているところがある。その自治体が漁野市ほか新荘川流域とは別の地域ではあるが、同じ高知県内にある…暗に企業名を伏せたが、四菱電機とその系列たる四菱環境プラントであることは調べれば明々白々だ。それも、武田が社長に就いてから顕著な傾向を見せている…武田にとって光友電工は最も眼中の商売敵であり、その武田との癒着にも一部踏み込んだ内容を、桑島は丁寧にも長い原稿を懸命に読み上げていく。その間、他の議員たちの野次が止まることはなかった。
「野次っておられる議院の皆さん、貴方がたの中に触れられたくないことでもあるんでしょうか?…利権のための赤字は、一刻も早く根を絶たないと市そのものを滅亡に追い遣るんですよ。それとも、意図的に高知市に吸収されたいのでしょうか?」
 強烈なカウンターパンチに等しい発言を、桑島は壇上から言ってのけた…元議長・原幸治ほか中道彩子をはじめ、ほかの議員たちは桑島にとって大敵に等しい利権談合共産主義者の一味であることはこの数年ですでに判明している…いや、市職員の時代からずっとそういう疑義を持ちつづけていたことが確信に変わりつつあるだけだ。
「さて、皆が黙り込んだところで…宜しいですか?」
 横谷が待ってましたと言わんばかりに、高らかに挙手する。普通は戦慄が走るのだが、至って桑島は自信もあったせいか冷静だった。
(何を言っても無駄だ。まずは門を破ったぞ、お前の巨城のな!)
 意外といえば無礼だが、横谷は突拍子もないところもあるがそこは冷静に理知を披露しているせいか、彼の中では完璧なまでに理論はでき上がっていた…資本主義を、近代国家を超克した新たなる社会構造・政治体制を築ける。桑島に負けず劣らず、いや…桑島よりもはるかに自信に満ち溢れていた横谷がそこにいる。そんな横谷の姿に対し、傍聴席にいた深江は違和感を感じないではいられなかった。そう、サクラたちはいつものとおり陣取っていたのだが黄色い声を出していないのだ。
(いつもなら、ここで出るはずよね…横谷さんの答弁だっていうのに)
 横谷と入れ替わるように、桑島は自らの席に戻っていった。そして、答弁書も何も持たず手ぶらのまま横谷は壇上で声をあげる。
「先ほどから何を的外れな…僕には全てわかっていましたよ」
 桑島に負けないカウンターパンチを浴びせた…横谷の心理はまさにそれだ。横谷は、さらに言葉を続ける。
「いいでしょう。徹底的に談合疑惑とやらに踏み込んで、皆さんの羨望であろう不信任決議の再提出は阻止してやります…まあ、不信任決議をもう1度可決して僕を追い遣れると思ったら大間違いですけどね」
 そう、1度目で議会解散の選択をした横谷にはもう市長辞職しか手がなかった。短期間で2度という、異常事態を通達されそうな出直し市長選が幕開けることになる。ただ、辞職したから2度と出られないという規定はどこにもない…横谷は何度でも、蘇る可能性があるということだ。
「光友電工は、布石に過ぎません…彼らは大罪をすでに犯しています」
 大罪?…光友電工は談合に加担していたと認めるのか?…そのとき、議員たちの野次がまたもあがった。
「黙って聞けよ!」
 制止する桑島…堂々と、光友電工の名を出しているぐらいだ。確証を見つけたかもしれない…いや、正確には横谷の発言の意図が全く読めないでいた。
「そもそも、漁野市に光友財閥が進出したことが市の衰退の原点ではないでしょうか?」
 “工農一体”を掲げてまちづくりに励んでいた漁野市の黎明期たる、昭和30〜40年代…現実に高度経済成長期にも差し掛かり、農作物や海産物をまちの特色にしつつ他の雇用問題の解決にも貢献したいという意図と、固定資産税や従業員らの住人税の大幅増収を目当てに大手企業をはじめとした工場や大型事務所を誘致する運動が活発に行われていた。漁野市の当時の市政も積極的に参戦し、高知県中土佐地方とはいえ県のほぼ中央部にある地理感をPRし、海面に即した天然の良港を持つと行脚していった。その結果、ついに折れたところがあった…旧・光友財閥の新たな工場を建設したかった思惑と完全に一致し、光友鉄鋼が漁野港の近くに高知工場を建てた。もともと、旧・光友財閥の中でも鉄鋼と電工は特に密接な関係にある事業が多く、プラント事業もその1つであった。
 以後、光友鉄鋼グループの多くの従業員ほか、法人間契約による協力会社の社員はじめ光友電工からの強力なバックアップもあって、漁野市は和歌山県紀州市とともに人口は約3万人前後と小規模ながら“工農一体”を具現化したモデルとして注目を浴びた。人口も最大で約4.6万人にまで増加した…互いにモデルとして扱われた好からか、紀州市と友好関係を持ちながら互いに切磋琢磨していった。紀州市にある戦国時代の山城として最大規模の遺構・箕嶋城址は、市や県の指定重要文化財のみならずついに国に認められた…一方、歴史的な遺構はほとんどないものの漁野市も光友鉄鋼高知工場の一帯を“土佐光友城”といわれるほどに環境を整備し、公的なバックアップのもとさらなる飛躍の代名詞にもなった。しかし、漁野市も紀州市も現在は中長期的展望の不透明化に等しい乱脈的な公立施設の建設と都市回帰が重なって減収に減収を重ね、多額の累積赤字に苦しんでいるのも共通項だ。
「前にも言ったはずです。僕が市長の職務を全うしたときには、きれいさっぱり累積赤字は消えていると…そのための手法も聞かないで、僕を市長から追い遣ろうとするとは笑止千万と言うほかないですね」
「そんなこと、聞いてるんじゃねぇ!」
 一斉に野次が飛ぶ…光友鉄鋼の工場を誘致した自負を、大いに傷つける発言への激昂だろう。
「江戸時代の日本は今と違って、理想といえるとても素晴らしい国づくり・まちづくりではなかったでしょうか?…この漁野市のあたりもそうです。土佐高知藩の藩政において、実に約260年間もの長い平和と至福のときを過ごせていたではありませんか」
 確信に変わりつつあるものがあった…やはり、横谷に愛郷心はない。漁野市を愛しているわけではない、と。悲哀の歴史を全くわかっていない…漁野市をはじめ高知県全域は土佐国とよばれ、その一国・21万石の藩主として君臨したのは山内家。しかし、戦国時代に至るまで土着していた国人衆はじめ、かつて本拠としていた長曾我部氏の旧家臣団はそのままに長曾我部宗家だけは断絶させられたに等しく、特に初期は彼らの抵抗が激しかった。冷遇と弾圧の歴史を、完全に知らないというのか?…漁野市も含む新荘郡一帯でも例外ではなく、藩主宗家たる山内家に怯え、憎みながらも堪え忍ぶ生活を送らねば一家丸ごと弾圧される始末だ。そんな山内家の統治方法を、自らの理想だというのか?
「議長!」
「…桑島庸介君」
 再び桑島が立ち上がる。反論を述べる、というところだ。ここまでは全て想定内…横谷が回答した内容は、全て昨晩6人で懸命に想定していったシナリオとほぼ合致している。
「光友鉄鋼の高知工場が完成し、それからが衰退だとすれば論理が全くわかりません。漁業や農業はそのままに、新たに工業でも雇用を創出し、かつ彼らも立地からして漁野市に多く移住してきました。雇用の創出は同時に固定資産税・住人税の増収に無縁ではないでしょう。かつ、市民1人あたりの平均年収にも影響がないわけではない…飛躍的に、まちづくりにもよい影響を与えているではありませんか。そして、彼らの地道な技術の継承と力をもって漁野市のみならず高知県、いや…全国にブランドを身につけた製品らが出まわっているではありませんか。衰退の意味が本当にわかりません…市長は、光友鉄鋼にどうしろと言うのでしょうか?…光友電工に対して、疑惑の究明に協力しろと本気で仰っているのでしょうか?…新荘川流域環境総合センターの運営参画から、果たして撤退するつもりなのでしょうか?」
 次々と浮かんだ…いや、予め想定していた疑義を横谷にぶつけた。すると、微笑を浮かべたまますっくと席を立って横谷は挙手しながら壇上に向かった。桑島は壇上を去り、また元の席に戻る。
「ふふふふふ…」
 まるで小ばかにしたようにクスクス笑いをとる横谷…桑島の表情が、一瞬にして緊張した。
「これほどとは…いや、僕に逆らうヤツはことごとく程度の低い連中ばかりですが、例外はないようですね」
 逆らう?…党内で粛清を繰り返してきたヤツが何を言う?…ますます、桑島の表情は強張っていた。その事態、若い女を抱きかかえたままの邦憲には飲み込めないでした…それもそのはず、まだ庁舎外にいたからだ。いや、中本行弘の一派が庁舎周辺から退散するまでは安全を確保できないという事情もある。
「そろそろ、1つ目の門を破る頃合だろうな…横谷の居座る、難攻不落の巨城を陥落させるための第一歩だ」
「お願いですから、やめてください。刺激しないで…」
 相変わらず怯えるその女は、必死に邦憲から離れようとしていた。ついに痺れを切らした邦憲は、言葉をあげる。
「いったい何をしに来たんだ?…何に怯えている?…どうせ、横谷だろうな」
 横谷の苗字を邦憲から聞くや、女は乱暴に手を解いた…そして、その勢いで邦憲の右頬を平手で叩いた。
「そんなに拷問されたいんですか!」
「…さっきから、拷問拷問とうるさいぞ。俺たちの邪魔をする気なら、横谷の味方とみなさざるをえない」
 邦憲はありったけの心理をぶつける…言動を見るや、極度の恐怖症に陥っているとしか考えられないという判断だ。一方、桑島は横谷の答弁が始まろうとしてた矢先、ふと邦憲の言葉を思い出す。
「政治家の中で、真剣に第二次産業の現実を見ようとしてない連中が多すぎる」
 それは、国政にしても地方行政にしても例外はない…第二次産業、建設業の関係者はいるがいずれも重役ばかりで現場経験者の本音が政界に届く事情をふまえていない。製造業に至っては、もはや潰滅に等しいだろう…重役も現場も、それどころじゃないところも否定できないが、最もサイレントマジョリティーたる存在ではないか。
「ふははははははははは!…ここまでの愚か者揃いとは、僕も随分となめられたものですね!」
 甲高く、議場どころか庁舎内を恐怖に陥れるかのような声をあげて、横谷は高笑いする…そして、横谷は言葉を続ける。
「僕が共産主義者だと思っているでしょう?…それこそ、世界一のカルト勢力として現在も日本を近代国家という形で冒しつづけている資本主義経済の呪縛にとり付かれている証拠ではありませんか?…断言しましょう、僕は真の愛国者と呼ばれる資格はあっても、共産主義者とか売国奴などと蔑まされるような政策を出した覚えは微塵もないはずですが?」
 馬鹿な…横谷は、利権談合共産主義者の一味と見て間違いないはずだ。共産主義者じゃない?…どこがだ。富が何もしない状態で平等に行き渡るなどというのは、現世の論理をふまえて人間の名誉欲をはじめとした四大欲を完全に無視した論理でしかないのは明々白々だ。動揺する桑島…政治的にも、経済的にも横谷と合うところは微塵もない。それなのに…なぜだ?…果たして、今回の談合疑惑をどうする気だというのか?
「前にも言ったはずです…この談合疑惑は、徹底的に究明すると。桑島くんの思いと、そこは共有しているはずなのですが…そうか。細かい方法が違うんだな…まず僕から結論はこうあるべきだと、予告しておきましょう。光友鉄鋼高知工場はすぐさま閉鎖をすべきですね…そして、新荘川流域環境総合センターのあらゆる運営をはじめとした機能から、漁野市は撤退することが最善の道と考えます。そのうえで、日本全国のどの自治体にもない最高の循環社会というもののモデルを環境省に見せつけるために率先して私が政策を出してまいりますので、皆様の満場一致の賛同をもって実践に移しましょう。だから、あらゆる入札からも漁野市は参加いたしません…光友電工に対して、市独自の経済制裁とでも申し上げればよいのでしょうか、ともかく入札不参加こそ彼らへの大打撃というものです。今こそ、近代を築きあげていた虚業の真相を晒して、彼らこそ共産主義者であると知らしめるべきです!」
 怒号が飛び交うのは至極当然だ…恐怖のシナリオとしか思えない。金融事情がどんどんと揺らいでいるのは、日本新聞の経済部ですでに先刻承知の内容であり、労働者政策・経済政策の抜本的な転換を図らねばならないと主張していた。畑が違う深江には、そこまではさすがに及ばないが横谷のシナリオが漁野市をさらなる不況の荒波へと追い遣ることぐらい、想像できないはずがなかった。そして、あれだけ自信に満ちていた桑島が恐怖する姿をまともには見られないでもいた。もはや、議場内は収拾がつかないほどの怒号の嵐であった…桑島には、その怒号すらどこ吹く風と言わんばかりに突っ立ったまま放心していた。全てのシナリオが無駄になっていく…そんな虚無感に支配されていた。
「静粛に!…休憩といたします!」
 元来、ここで休憩を挿む予定はなかったが、議長はたまらず休憩を宣言した…こうなると、論戦は持ち越されたままだ。

 一方、市役所庁舎周辺で演説を延々と繰り返しているのは、横谷の盟友というよりは操り人形にすぎないといってもよいだろう中本行弘や巽誠直など、『立憲明政党』中本派の面々を主力とした、いつもの面々であった。
「不正を認め、選挙をやり直せー!」
 意味もなく声を出せば全てが通るとは、もちろん常識に溢れている者の発想ではない。所詮は本丸ではない…とはいえ、そこに1人の人影が現れる。
「その姿、自分で滑稽だと気づかないのですか?」
 毛利俊就…なぜ?北条照実とともに、東京にいるはずだ。もうすでに用事を済ませていただけではあるが、そのような情報網が中本たちにあるとは思えなかった。
「だからなんだよ…」
「もう少し、賢くまわることを覚えないと自分たちに跳ね返りますよ」
「なんだてめぇ、毛利!コラァ!」
「なめんじゃないわよ!」
 取り巻きたちがあっという間に毛利を囲む…涼しげに、表情を変えることなく毛利は言葉を続ける。
「まだおとなしいほうですね…北条さんだったら、こんな程度じゃ済まさないでしょう?…海外から移民を多く受け入れるべきだと主張していた。そうですね?」
「そんなこと聞いてんじゃねぇんだよ!」
「まあ、興奮せずに落ち着いてください。僕がどこの党の議員か、わかりますよね?」
「…聞かれなくてもわかるよ。民自党だろ?」
 中本派には、民自党を指示して権力を分けてもらおうという魂胆をもつ者たちも少なからずいることを毛利にはすでに先刻承知のことである。それを逆手に、毛利は中本に提案をぶつける。
「気が変わったんです…中本行弘さん、でしたか。貴方の援護射撃を、私はこの場で申し出たい…これまでの情報、自平連の外交政策、なんでも貴方に提供できるものは持っていますよ」
 その微笑を浮かべた毛利の姿、まさに民自党の今を憂える右派系の面々の1人でもある毛利の看板にすがりたい面々には、この上もない感謝の申し出と疑わないのだった。しかし、一部の者は未だに疑義を挿んでいる…なぜ、ここにきて毛利は裏切りにも等しい行為に及ぶのか?桑島や北条照実らとつるんでいる、とあって警戒はなされている。
「大丈夫なんですか?毛利は…」
「わかんねぇよ。でも、俺たちに有利な情報が垂れこまれるってだけでも話を聞く価値はあるだろ」
「でも…」
「民自党だぞ、自平連じゃねぇ。信用できる!…俺が今まで逢ってきた民自党の議員どもは、全員信用できるヤツばっかだったよ」
 中本は根拠があるのか、実態はただ単に騙されているだけだとも知らずに、民自党の名を挙げるだけで信じ込んでしまう悪弊が長年染み込まれていった。間違いなく、横谷よりも中本のほうが利権談合共産主義者の一味と転落しているというのが毛利の推理である…いや、毛利だけではなく誰しもがそう考えるところだ。
「やはり、貴方は見どころが他人[ヒト]と違いますね。民自党と自平連には、互いに埋め難い溝と申しますか…我が国が今後目指すべき基本方針に、乖離が生じてきているのです」
 自平連を構成している一派の面々が、『立憲明政党』結成当時の主力であることは先刻承知の上ではあるが、中本派は自平連とのパイプを切らしていくように仕向けているに等しい。
「どうします?…乗るんですか?乗らないんですか?」
「コラァ!やっぱ信用できねぇな!」
「貴方には聞いていない!…私は、中本さんに回答を求めているんです。答えてください!」
 ひるむことなく、横槍を入れてきた男を睨みつつ中本をグッと見なおしながら毛利は力強く言う。いったい何を企んでいるというのか?…本気で、桑島や照実・邦憲・深江たちと敵対する気でいるのだろうか?

 毛利の裏切りにも似た行動はつゆ知らず、庁舎内では邦憲がそれを察して言った。
「どうやら、上手くいったようだな…ふっ、毛利のヤツ。どんな手を使ったか知らないが、中本たちはもうこの近くにはいないようだ。よし、門を破った瞬間を見に行ってくるか…」
 そういって、邦憲は女を尻目に議場へと向かっていった。
「やめてください!やめてください!…本当に拷問されちゃう!」
「いい加減にしろ!…俺たちに時間はないんだ!どけ!」
 抱きついて話そうとしない女を乱暴に解いて、邦憲は議場へと一直線に走る。休憩が明けていた…いよいよ、談合疑惑は本丸に入っていくようだ。
(全ては俺のシナリオどおり…横谷、談合疑惑に触った瞬間からお前は負けを覚悟しなければならない)
 しかし、それは表面上のことにすぎない…邦憲は、自らの詰めのわずかな甘さを突かれることをすぐ痛感することになる。横谷にとっては、“工農一体”のまちづくりから極度の“農本原理”に則った社会構造へと漁野市を改革するという、現世の論理に大いに抗う構想を実現させるための第一歩として、漁野市内から製造業・建設業ほか工業全般の滅亡を目論んでいた。
 横谷の口からこのあとに出るのは、毛利が桑島に指摘した破産に追い込まれた自治体の実例において実施された経済政策と、その裏に潜む倫理観の露呈である。横谷の築いた倫理の巨城は、未だに城門さえ破られていなかったのだ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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