『貴方がた1人1人が、地方再生の目撃者になる!空転、驚愕、憤慨…見えぬ炎が燃え盛る南国の地!』
平成18(2006)年6月17日、北海道から全国へと真のニュースが瞬く間に流された。 「北海道夕張市、財政再建団体の申請意向を決める」 今、都道府県・市町村が抱える最大の懸案は長年放置されてきた財政赤字体質…それをわかっていながら、政府は対策として市町村の全国規模での再編を促した。 しかし、夕張市は再編の波にさえ乗れないままだった…それであるがゆえ、財政再建団体への転落は必然と見る論客あり、また国や夕張市ほか全体の問題であるとして警告を促す政治家あり、当時は喧々諤々とまではいかず、まるで北海道ローカルの特有事情として意図的な情報操作をも感じるマスメディアの報道に、ますますの不満を抱く者まで出てきた。 意図的な印象操作のオーラを感じ取れなかったのか、合併特例債という金の麻薬[ヤク]を魅力的なものであると取り付かれた魑魅魍魎な我が国の地方の状態をさらに加速化させ、多くの町や村が格が大違いになって皆に見られることを承知のうえで“市”になっていった。 未だ、その麻薬は全国にはびこったまま…そして、役所関係者・政治家はもちろん住人各自にも麻薬の副作用は我が身に跳ね返っているにもかかわらず、服用を続けるかのような“総マゾ”の状態は続いている。
「それでは、テープカットを宜しくお願いいたします!」 意気揚々なるMCの声が庁舎に響き渡る…この日、新たなる自治体が誕生した。というより、そこは門出というよりは延長線上にすぎない。かつて“下新荘郡浦阪町”だったが、現在はお互いに隣同士にして産業もほぼ合従連衡しあっている漁野市の一地域になった。そう、式典会場はいわずもがな旧・浦阪町役場…今日からは“漁野市役所 浦阪分庁”である。 人口にして約4.5万人と約1.2万人の2市町が1つの自治体となって、人口は約5.7万人。地政学上の戦略観点も踏まえて、この合併は人口減少時代の影響をまともに喰らっているご当地としても、絶対に成功をアピールさせたかった。しかし、現実はそうはいかなかった。
当初、旧・浦阪町は“平成の大合併”と通称されている第3次市町村再編の折に、自らの自治体が抱える比率にして巨額とも言える財政赤字をネックに、周囲の下新荘郡・上新荘郡各町村との合併実現の際に、真っ先に蚊帳の外にされるほどのひどい状況だった。何日経とうとも、その状況は改善どころか悪化の一途をたどるのみ。 県はこの浦阪町が外されている状態に業を煮やし、自ら再編の主導役たりえるように漁野市との2市町合併を間接的に打診する…当時、そこまでの権限が県知事になかった以上、このようなギリギリの妥協手段しかなかったのだ。漁野市としても、浦阪町と同じく旧・下新荘郡にあって地方の核たりえる存在を確固たるものにしたいという思惑があり、2市町の利害が一致して今日の状態に至った。 編入合併につき、浦阪町はなくなって財政赤字対策に専念できるかと思いきや、漁野市側は早々にその善意を裏切られる形を思い知る。赤字額が公表されていた以上の額にのぼり、並大抵の対策では付け焼刃であることをデータで計上してきたのだ。
折りしも、その日は秋も深まって浜風がいっそう冷たく感じるようになってきた。漁野市役所本庁舎の玄関には、全国紙から地方紙・週刊誌までそうそうたる大手メディアの記者たちが集結していた。 「岡村敦規市長が辞職か?」 小さな町が揺れる…昭和29(1954)年に市制が施行されてから、未だかつて1期・4年間のまっとうできなかった市長はいない漁野市で、初の事態が襲い掛かろうとしている。そして、そのメディアの餌食たる岡村の心境とは如何なるものであったろうか…入っていく市役所職員、そして市議会議員らにも容赦ないメディアスクラムが襲い掛かってくる。そんな中に立たされ、市長室では岡村が苦悩している。 「ここまでの沙汰になろうとは…」 それもそのはず、岡村は今まで2期・8年間に渡って市政で辣腕を振るいつづけてきた。漁野市で生まれ育ち、予備校や大学での空白の5年間を除いて漁野市とともに人生を歩んできた実直者にして、愛郷心の裏付けと呼ぶに相応しき行動派であった。そして、現場を目で見てきた上で政策を常に考え、そして市議会との運営方法にも失策なく、時には対立を生みながらも信念をもって取り組んできた。そして今は3期目に入り、市長就任から10年のときが経っている。10年間はなんだったのか、裏切りへの恨みは少なからずあろう。 「…浦阪にやられた、ということですか?」 入ってきたのは、市長公室長の諏訪智興…岡村が気がかりでならず、今日で2度目の市長室への入室だ。 「いや。そうではない、案ずるな」 「…隠さなくても宜しいですよ。私にだけでも、本音を」 諏訪がすかさず返す。 「人がよすぎる…笑っているだろうな、浦阪の連中は」 岡村の心はすでに憔悴しきっている…かつての行動派が、もはや見る影もなき体格の差だ。オーラも全くない…岡村を長年見てきた諏訪には、その岡村の憔悴ぶりを見逃すはずがなかった。 「浦阪はもちろん、県にも責任はあります」 「いや、責任転嫁はいかん。なにより、その悪意を読み取れなかった私の非が全てだ」 誰が悪い、それが悪い…そういうことを言い合う場が、岡村には苦手だった。そういう心を読み取って行動しないと、あとで自分に必ず返ってくる。市町村再編、特例債という甘い言葉の応酬に乗った自分がそもそもの原因…そう考えてこそ、今の岡村の心境は少し晴れることができる。 「…諏訪くん」 立ち上がった岡村は、そのまま窓へ向かい漁野の街並を眺めている。 「明日の午後3時、定例会見で見解と私のことについて語りたい…マスコミにはそう伝えてくれないか?」 悲愴な目を隠して、諏訪にこう話した岡村…言い終わりには、目頭が少し赤くなっていた。 「…はい」 岡村の覚悟をビシビシと感じた諏訪は、それに圧倒されるほかなかった。赤字の遠因は、再編に乗った自分が全てである…岡村の漢らしき背中、哀しき地方政治改革者としてのあまりに呆気ない幕引きであった。
東京…都心の一角に『日本新聞』と書かれた、小さなビル。社内がせわしくなっている。 「なに?…ああ。わかった」 なにやらビックリした様相で電話に応対する1人の若い男…清水耕輔、この新聞社の政治部デスクにして若きジャーナリストのホープである。清水の仕事ぶりは、社内でも右に出るものはいないといわれるほどの現場主義者だといわれ、例えデスクであろうとも自らの見たものしか信用せず、また理詰めで文章をまとめて原稿を計上することを是としている信念がある。 電話を切った清水は、すかさず部下を1人側へと呼び寄せた。 「深江!…こっち来い」 手招きを交えて、清水が呼んだ部下の1人…若い女性のようだ。 「…はい」 「お前、『はい』じゃねぇだろ。なんだよ、この誤字・脱字だらけの記事はよ!」 さっそく、清水から説教を喰らう女…深江友璃子、入社2年目のまだまだ新米の記者だ。 「…やっぱり、載せられませんか?」 「当たり前だ、こんなの載せられるかよバカヤロウ!…ったく、うちにゃ大手と違って校正担当とかいねぇんだぞ。俺がいちいちチェックしなきゃ、記事の1つも書けねぇのかよ!自分が責任もって最初から最後まで手作りの記事を読者に届ける…それがうちのモットーだってこと、お前も忘れたわけじゃねぇだろ!」 「…すいません」 しょげる深江をよそに、乱暴に記事の原稿を放り投げる清水である。 「まあ、いいわ。呼んだのはさ、そんなんじゃねぇんだよ。お前さ、けっこういい記事は書くんだけどな…」 「ありがとうございます!」 一転して記事内容を褒められていると思った深江は、すかさず喜びを顔に出す。 「馬鹿、喜ぶとこじゃねぇだろ。お前、俺と一緒に社主のとこに行こうか?」 突然の誘いに、今度は一気に顔をこわばらせる深江である。 「オイオイ、お前ってほんとに顔が正直に出るよなぁ。馬鹿、セクハラとか考えてねぇよ…うちの社主、そんな女たらしじゃねぇのわかるだろ?」 「…すいません!」 深々とお辞儀する深江をよそに、さらに清水は続ける。 「実はさ、高知のとある小さな市が大騒動になってるんだとよ」 「…え?」 「あ、お前さ…ネットとか、テレビでもニュースとか見てねぇだろ?」 まさに図星、という感じの顔をまたも出す深江である。 「ともかくさ、うちからも一刻も早く高知に…と思ってんだよ。ここだけの話さ」 最後は、ぼそぼそ後えで深江にしか聞こえないように声を絞って清水は言った。 「え?」 「馬鹿、声でけぇよ!…ま、今は下がっとけ」 そう言って、深江を自分の席へと戻らせた。その姿を確認して、すぐさま清水は席を立ち上がる。 「はい、みんな聞いてくれ。ビッグニュースが垂れこまれたぞ!」 手を叩く仕草を見せて、気をひかせようと必死になる清水…深江はもちろん、その場にいる政治部の記者らは注目していた。 「高知の漁野って市で、市長の岡村敦規が辞めるみたいだぞ」 一同、その空気をひんやりとさせる。 「そこの市はな、未だかつて任期満了を果たしてない市長はいなかったんだ。岡村も前に2期連続、任期を全うしてた。なにがあったか、俺にもさっぱりわからねぇ。岡村が失態を犯したか、そんなのも全く不透明だ。でもな、ここをチャンスだと思わねぇでいつチャンスが来るんだ?…そう思わねぇか!」 さらに清水は声を上げて、話を続ける。 「俺、今から社主室に行って高知へ記者を1人送りたいと思ってることを告げに行ってくるわ」 まさか、その1人とは…深江なのか。とうの深江は、もはやどぎまぎとした心境が支配しており、それどころではない。 「深江!…行くぞ」 いきなり深江の側に寄って、肩を叩いて促す清水。どきっとするも、すっくと席を立って清水についていくほかなかった。
『日本新聞』社主室…ノックの音が聞こえてきた。 「…失礼します」 社主の声を聞くまでもなく、入ってきた1人の男…清水だ。 「どうした?」 「折り入った話がありまして…」 社主を相手に、ざっくばらんに話す清水…その姿に、深江はビックリするほかなかった。 (社主って若かったんだ…しかも、デスクと何の関係なんだろう?) そう思うぐらい、清水と仲がよい友達の感覚に見える社主・村井典道は、清水ともどもこの新聞社を発起した1人である。日本の新しいメディアを築くと意気込む、新聞業界のベンチャー企業…それが今の『日本新聞』の実態である。 「で、耕輔…折り入った話ってなんだ?」 「実はですね…」 高知県漁野市の市長辞任をめぐる騒動を、村井社主に相談する清水がそこにいた。 「で、漁野に記者を張り付かせるってぇのか?」 「うってつけのヤツが1人…」 そういって、深江を指差す清水。 「まさか、彼女を高知に?」 「…ええ。止めても無駄ですよ…本気[マジ]ですから、俺は」 こうなると、清水を止められない…あっさりと村井は折れて、深江に辞令を交付することを決めた。 「深江友璃子…明日付けにて、高知支局政治部への異動を命ずるものなり」 「…え?」 辞令を交付されるや、明日付けとは想定外だと言わんばかりの深江の表情だった。 「そういうこと。さっさと荷物をまとめて、高知に行く準備しろ」 清水は、またも深江の方をポンと叩く。 (そんなこと言われても、高知なんて…) 深江はただただ、戸惑うほか道がなかった。
〔後編へ続く…〕
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