突然、電話がかかってきた。昼間の面倒事を全て片付けて、夕食も終わらせ、妻とワインを飲みながら、後はいかに気分よくベットに向かうか、その事だけを考える、そんな時間帯である。その時、携帯電話のバイブレーション機能が作動し、着信を告げる青いランプの明滅と共に、木製のテーブルと携帯電話本体とのぶつかり合う微振動音が、リビング中に響き渡った。 俺のうなじを撫でながら、ムードを盛り上げていた妻の顔が、一変してお預けを食らった子犬のように、悲しげな表情を浮かべる。俺は妻の髪にキスをして、すぐに済ませると目で合図を送りながら、携帯電話の液晶画面を覗き込んだ。上司からじゃないか。首を傾げて訝しむ。こんな夜遅くに、部下に連絡を取るほどの、仕事熱心な上司とは知らなかった。迷惑千万だが、無視するわけにもいかない。俺は受話ボタンを押して、携帯電話を耳にあてた。 「おお、出てくれたか。家で寛いでいたんだろう?悪いと思ったんだが、なにぶん急な用事でな、どうしても連絡を取りたかったんだよ。」 日ごろは管理者として、地位を利用した会話術を最大限に駆使している上司が、下手に話しかけてくるなんて妙だ。これは何かあったな。俺は頭の中の記録帳をめくり、仕事上のいざこざや問題に発展しそうな危ういエピソードを、過去に遡って思い出そうとした。しかし、俺の記憶は俺に対し、何ら罪を見い出せなかったし、考えれば考えるほどに、品行方正な常日頃の行いが、前面に強調されるばかりだった。 「実はな、お前が手掛けてる例のプロジェクトについて、上層部の判断が下されたんだ。今はもう時間が遅いから、明日の朝一番で、今後の対応を共に考えたい。」 嫌な予感がした。話を渋るのは、良くない知らせだからに違いない。 「プロジェクトってまさか、潰されたんですか?」 「だから、詳しくは明朝だ。電話で出来るような、簡単な話じゃないんだよ。」 場所と時間を告げられ、一方的に電話を切られた。俺は肩をすくめて、やり場のなさを態度で表す。振り返ると、内容の深刻さが妻にも伝わったのだろう、心配そうにこちらを見つめて、何か言いたげに、若しくは何か説明してもらいたげに、黙って口をつぐんでいる。仕事の話は家でしない主義だが、このまま何も言わずにベットに入り、就寝してしまっては、不誠実と取られかねない。 「僕の手掛けている仕事に、上層部の圧力がかかっているらしい。研究費の使いすぎかな?でもまあ、どうせ、ちょっとした行き違いなんだよ。この手のトラブルは、日常茶飯事さ。」 楽観を強調しすぎて、かえってわざとらしかったようだ。 「大丈夫?顔色が悪いわよ。」 「ああ、問題ないさ。それより、明日の朝は、早めに出ないといけなくなった。今日はもう寝る事にするよ。」 妻の額にキスをして、寝室に向かう。妻の眉間に刻まれた皺からして、不安はまったく解消されていない様子だが、ここから先は明日になってみないと、俺にも説明不可能だ。この期に及んで、更に不確定要素を積み上げるジェンガをして、互いの心をすり減らしても意味が無いし、たとえしこりが残ったとしても、明日になれば、嫌でも白日の下となる。じたばたせずに、時間が過ぎるのを待とうではないか。俺は自分に言い聞かせるようにして、ベットに潜り込み、静かに呼吸を整えて、瞳を閉じた。確かに俺の手掛けている仕事は、誰にでも大手を振って自慢できるような種類のものではない。しかし、だからといって、誰もこの仕事をしないで済むほど、世界は慈愛に満ちているわけでもない。勿論、俺はスパイでもマフィアでもない、ただの一研究員である。俺一人いなくなったって、今のこの国において人々は何のダメージも受けないだろう。それでもだ。もし、俺にもう少しだけ時間と費用を与えてくれさえすれば、きっと、停滞する世界情勢を変えるだけの、素晴らしいアイデアが実を結ぶ。その時が来れば、俺はもう世界にとって欠くべからざる存在になっているはずだし、妻だって、今の安月給に生活を切り詰める必要もなくなる。なに、もう少しの辛抱だ。絶対的な正義が、時間の壁ぐらいで駄目になるはずがない。 一人、考えを巡らせていると、隣で衣擦れの音がして、肩に温かなものが触れるのが判る。俺はそいつを撫でながら、やっと安堵の心持を手に入れて、あとは容易い眠りの道程を、夢に向かって泳ぎ始めた。 翌日。起き出そうとする妻を制して支度を整え、朝食もとらぬまま、まだ薄暗い朝靄の中、家を出る。タクシーを拾って、一路指定されたビルへと急いだ。 実際、俺の仕事は評価されていた。俺が最初にアイデアを上司に持っていったとき、上司は事の重大さに気付かず、ただ小難しい理論の微に渡り、質問を繰り返すばかりだった。しかし、次第に上司の顔色が変わっていくのが分かる。認識したんだ。このアイデアの凄まじさを。俺はすぐにプロジェクトの立ち上げを命じられ、有能で口の堅い、一部の同僚と共に、特別な任務に取り掛かった。確か、その週の終わりに、給与がいきなり倍に、そのまた次の週に3倍にと、あからさまな激励を受けた事を覚えている。それもそのはず、このプロジェクトの実現如何によって、研究所の未来は真っ二つなのだ。俺は、おれ自身の能力の全てを、この計画に注ぐ事を誓った。 街の中心部でタクシーを降り、この辺りで一際威圧感を放っている巨大な超高層ビルへ向かう。朝早いせいか、人影もまばらだ。ビル内にテナントを持つ、コーヒーショップに入った。約束の時間にはまだ20分以上ある。俺はカフェオレと、サンドイッチを注文して、こんがらがった頭に栄養を与えるべく、それらを腹に入れながら上司の来るのを待った。 今思えば、確かに二週間ぐらい前から、研究所内は妙な空気に包まれていた。建物に出入りしている関係者たちも、どこか浮き足立って、我々の仕事の進捗具合を聞いて回っていた。しかしそれは、どんなプロジェクトにおいても、完成に近づけば必ず起こる、一種の興奮状態に起因するものであり、むしろ研究所全体として、好意的に捉えられていたムードだったと記憶している。俺はそのプロジェクトの中心メンバーで、それこそ無和夢中で研究に没頭していたため、周りがどんなに騒がしくても、まったく気にならなかった。そう、このプロジェクトの要は俺であり、開発に際して眼前に立ちはだかった困難を克服する、新しい着想や特許技術を生み出したのも、全部俺だ。この研究が生産ラインに乗れば、間違いなく全世界の運命が変わる。家を焼かれ、愛する人を失う悲劇を、永久に撲滅する方法が、俺の頭からコンピュータへと移植され、完璧な設計図となって具現化するまで、あと一週間もかかりはしない。 俺はノートパソコンのスイッチを入れ、冷めたカフェオレの残りを口に含んだ。ディスクを挿入し、データを表示する。ここに俺の全てが詰まっている。その内これが、実物大の大きさで生産され、羽根を持ち、世界中の戦地に向けて羽ばたいていく。美しい円錐状の飛行物が、敵地の上空で爆発する様が目に浮かんだ。人類が有史以来初めて、争いのない世界を手に入れる瞬間だ。こんな大事業が、まさか上層部のちょっとした判断ミスで、闇に葬られてたまるものか。頭の固いじいさん共も、金の匂いには敏感だからな。少し視野を広げてやれば、すぐさまこちらの意見を受け入れるだろう。合目的的な性質だって、逆手に取れば立派なモチベーション。人類の英知ってやつも、そう捨てたもんじゃない。 店の壁にかかっている時計に目をやった。不審に思い、今度は自分の腕時計を見やる。変だな。約束の時間を過ぎても、一向に上司の来る気配がない。もしかしたら、既に上層部と、ひと悶着始まっているのかも知れない。そうなれば、俺の出る幕もなし、晴れて研究に集中できるわけだ。俺は勤めて、明るい想像だけをチョイスして膨らませた。どちらにせよ、これが俺にとって最初で最後、しかも最大の勝負どころである事には変わりない。悪戯にマウスを弄んでいると、心痛が指先に伝わったのだろうか、カーソルが画面上で迷走した。 誤って、電子メールの送受信欄を開いてしまう。すると、新着メールの存在に気付いたので、あえて逆らわずに、時間の浪費をメールの整理に費やす事にする。 研究所の同僚から二通。タイトルは、「Very important.」と、「Hurry !」だ。昨日の深夜に30分違いで送られたメールらしい。何か不測の事態でもあったのだろうか?どうも俺の周りでは、渦巻きのように皆をあらぬ方向へ押し流す力が働いているのに、より中心部に近い俺の位置する場所では、どうやら暴走する回転の目に当たるらしく、いっかな静けさを打ち破る兆候すら見受けられない。力が俺の一歩手前で危うい均衡状態を保っているのだとすれば、それは裏を返せば、豪雨を溜めに溜め込んだ決壊寸前のダムのように、時間の経過に比例して濁流のエネルギーを着々と蓄えている計算になるのだから、今現在、自分に対する被害がゼロだからといって、このままで済むとは到底思えない。むしろ、早めに多少なりとも実害を受けておいた方が、全体把握のためにもいいような気さえしてくる。 俺は一通目のメールを開けてみた。
夜分、遅くにすまない。突然だが、俺は研究所を辞める事に決めた。お前も薄々感じてるとは思うが、どうにも周りの雰囲気がきな臭い。俺たちは泳がされている段階を終えて、実質的な隠滅工作の渦中にいるのではないだろうか?これは、長年付き合ってきた友人としてのアドバイスだが、例のプロジェクトは今すぐ破棄しろ。お前ほどの能力のある奴なら、こんな危険な橋を渡らずとも、幾らでも金を稼げるはずだ。軍事産業は奥が深い。どんなに神経を鋭敏に保っていても、誰がどこで糸を引いているのか、末端の研究員には想像もつかない。これが現実なんだ。使われるだけなら依存はないが、権力闘争に巻き込まれるのは御免だからな。繰り返すが、友よ、今すぐ計画を破棄するんだ。お前の命に関わる問題に、発展する前に。
俺は腰を抜かしそうになった。目の前が真っ暗になる。しかしそれは、未来に対する不安ではなく、過去に対する自分の評価が、周りの人間たちと著しく乖離している事への不安からだった。何だ?この追い詰められたような文章は。あまりにも、俺の認識と異なっている。俺はただ、研究を続けているだけじゃないか。しかもその研究は、おどろおどろしい細菌兵器でもなければ、人間の生存権を脅かすような、大量破壊兵器に関するものでもない。血の一滴たりとも流さずに、全てを解決せしめる、対心理用長距離弾道ミサイルだ。戦争を終わらせるためは、報復の応酬を止めさせる以外ない。それを実現するのは、物質的アプローチではなく、心理誘導である。敵の憎悪を破壊するミサイル……、完璧じゃないか。よもや、この発想が論破されたとは思えない。これの一体、どこが悪い?お偉方は、何が気に入らないというんだ?人間を蹂躙する兵器を造る事によって生活してきた、俺たち軍事産業に従事する者からしてみれば、まさに罪滅ぼしのための、千載一遇のチャンスなんだぞ。俺は勿論、自分の身が可愛いが、それ以上に、自分の良心から沸き出でた理想が可愛い。それを放り出して逃げるなんて出来ないし、そもそも何故逃げる必要がある?この兵器が完成すれば、俺たちは死せずして天国に行けるんだぜ。 徐々に苛つき出した全身の筋肉が、長時間固まったままの姿勢に耐え切れずに、細かく震え始めた。壁の時計を見上げる。また自分の腕時計に目をやる。遅い!遅すぎる!まさか上司までもが、研究所から逃げ出したのではあるまいな?それとも、もう既に危機に見舞われて、とてもここまで辿り付けないとでもいうのか?さっぱり要領を得ない、俺の周辺を取り囲む情報に、不安が作り出した妄想が相まって、まるでこの超高層ビルの窓から、外に向かって投げ出されたような心境だ。 まだ二通目のメールが残っている。「Hurry!」と記されたメールのタイトルが、否が応でも神経をさかなで、視線を捕らえて離さない。俺はそいつにカーソルを合わせ、しつこく付きまとう胸騒ぎの正体を突き止めるべく、クリックした。
考えている事は皆同じらしいな。つい今しがた、後輩から電話で相談を受けた。そいつも自分の身の振り方について、真剣に悩んでいる様子だった。その時聞いた新しい情報によると、今回のプロジェクトに、現政権の中枢にいる人物が並々ならぬ興味を持っているらしい。ようするに、目を付けられたわけだ。俺も詳しくは知らないが、たとえばライバル会社にとって、俺たちの研究が完成するか否かは、直接的な死活問題になりかねない。また、現在俺たちの国と争っている奴らにしてみれば、自分の身を脅かす兵器が出来上がる前に、何としても潰しておきたい、そう思うのは自然じゃないだろうか?あくまで想像の範囲内だが、誰かが金を握らされて、俺たちを裏切ったのかもしれん。 丁度10年前だ。最新鋭の兵器開発を手掛けていた研究者が、自国の政府高官に雇われた殺し屋に命を奪われた話、まだ覚えているだろう?誰が敵で、誰が味方なのか、分かりゃしない世の中なんだよ。 俺は電話で、感情的な話などしたくないから、メールでお前に最後の別れを告げる。恐らく、お前にとっても、人生の大きな分水嶺となるはずだ。いいか?自分の身の安全を第一に考えるんだ。プロジェクトを諦めろ。もう止めたという事を態度で示さなければ、話の通用しない連中には伝わらない。宣言するんだ。もう手を出さないと。さもなくばお前、自分の理想に殺される羽目になる。
愕然とした。同僚とて、このプロジェクトには、相当程度の労力を傾注してきたはずである。それがこの書き様。一体、彼に考えを改めさせるべく、どれほどの圧力が行使されたというんだ。俺の決意も、少なからず動揺した。逃げるという選択肢を、あまり軽視しない方がいいのかも知れない。それにしても、逡巡と決断の間には、いまだ乗り越えがたい大きな隔たりが存在するのも事実である。命の危険に晒されている自覚が、同僚の提言以外まったくないし、ただおぼろげな恐怖心だけで、積み上げてきた苦労を棒に振ってよいものやら。俺は未だに信念を裏切れないでいる。 俺の願いは、今、全世界に住んでいる人類の願いと、完全に一致しているものとばかり思っていた。どこかで誰かが、この崇高な願望に対し、苦々しい反発の念を抱いていたなんて、考えもしなかった。俺は厳しい業界に長年身を置いて、世論を形成しているような生ぬるい平和主義者とは、一線を画しているつもりでいたが、心のどこかではより確かで合理性のある、現実的な平和に至る道筋を、あれやこれやと思い描いていた。それが、このプロジェクトの発想に繋がったといってもいいだろう。しかし、それすら甘かった。徹底的に未熟だった。俺の想像を凌駕して存する世界の暗黒部分で、よりシビアな緊張状態をプロデュースする、何者かが活躍していたのだ。そいつの血に染まった手が、俺のそれとは比べものにならないほどの、緻密でおぞましやかな現実世界を、創り出していたわけだ。 俺はそいつの顔を拝みたくなった。逃げるにせよ、留まるにせよ、そいつの顔を一度見ておかないと、俺の未熟な理想とて浮かばれない。そのためには、やはり上司との接触が不可欠だ。 その時である。まるで俺の出した結論に同調するかのように、携帯電話のアラームが鳴り出した。見ると、上司からではないか。俺は慌てて、携帯電話を耳に押し当てた。 「俺だ!すまん!俺が悪かった!」 上ずった上司の声。切迫した様子が伝わってくるようだ。やはり、上司も何事かに巻き込まれていたのか? 「今すぐそこを離れてくれ!お前は狙われている!すまん!俺のせいなんだ!俺がお前の居場所を奴らに伝えた!でも、もう耐え切れない!俺は人殺しの手伝いなどしたくない!」 「何があったんですか?落ち着いて、状況を説明してください。」 「そんな事を言っている場合じゃないんだ!頼むから!お前を死なせたくないんだよ!」 上司はかなり動揺しているらしく、詳細を訊ねても、さっぱり要領を得ない。俺は一瞬、殺し屋にでも狙われているのかと、周りの人々を見渡した。すると、いつのまにか数を増している、何十という目に射竦めれ、まるで逃亡者のような気分だ。携帯電話に向かって大声で喋っていたせいで、図らずも皆の注目を集めてしまい、たとえ誰かが俺を狙っていたとしても、こう視線が多くては発見できない。 「私が狙われているって、どういう事です?殺し屋を差し向けたという意味ですか?」 「違う!そんな生易しいものじゃない!もっと巨大で、恐ろしい陰謀が、お前のすぐ際まで迫っているんだ!」 「お願いですから、詳しく説明してください。でないと、何から逃げればいいのか、どこまで離れたら身の安全が確保されるのか、分からないじゃありませんか。」 「ちくしょう!いいか!よく聞け!お前のプロジェクトは、既に政府を始め、軍関係者の知るところとなっている!奴らは始め、それを大いに歓迎した!奴らとて、表面上は平和構築を宿願しているという建前をとっているのだから、支援者へのアピールとして使えると思ったわけだ!研究所は実際、政府関連の莫大な補助金を得た!それが最近になって、雲行きが変わってきたんだ!政府内部には、軍事産業と大きな繋がりを持っていて、事あるごとに金の無心をしているどうしようもない連中がいる!金の見返りとして、軍事産業に有利な政策を打ち出し、外交面では国民の不安を煽って軍事費を吊り上げさせる、犬畜生がいるんだよ!そいつが金づるの売国奴から耳打ちを受けた!「例の研究所で行われているプロジェクト。あれが実現すると、今まで我々に金と権力を保障してくれていたシステムが、マスメディアと共に創り上げた国民扇動の方法が、失われてしまうんじゃないですか?」とでも言ったに違いない!するとそいつは考えた!自分の手を汚さずに、プロジェクトを破壊する方法を!」 「あんまりだ!汚すぎる!俺の理想は、そんな身勝手な連中のために、駄目になってしまうのか!」 「今度ばかりは相手が悪すぎる!奴らは自らの目的を達成するためなら、どんな輩とだって手を組むぞ!実際、奴らが考え出した方法とは……、ちくしょう!あまりに屈辱的だ!恐ろしすぎる!」 「誰です?奴らが組んだパートナーとは、一体誰なんです?」 「人々の恐怖心を煽って、金と権力を握り続ける!奴らとまったく同じ性質を持った輩が、地球の裏側にいるじゃないか!緊張状態を維持していた方が、自分に有利な状況を作り出せる!そんな話に乗るのは、あいつ等しかいない!」 「ま、ま、まさか!て、敵と組んでいるんですか!」 俺は愕然とした。今日まで俺を支えていたエネルギーの源が、実は俺を蝕む最大の醜行を為していたなんて。俺はそんなものに頼って、明日の希望をせっせと紡ぎ出していたというのか?体中が汚物にまみれたような、正義を信じる心が踏み躙られたような、圧倒的な憎悪が、喉を突いて込み上げそうになった。しかし、しかしだ!冷静になって考えてみろ。俺を狙っている人物が敵国の輩だとすると、どうやって国内に侵入したというんだ?幾ら政府とグルだからといって、そう易々と国境を突破できるわけがない。軍服を着ていない進入者でもないかぎり、とても自由を標榜するこの国の土を踏めないはずだ。 「どうした!早く逃げろ!考えてる暇はないぞ!」 「誰です?私を狙っているのは!教えてください!」 その時、電話口から、非常に激しい騒音が聞こえてきた。 「あれは、ひ、人なんかじゃない!駄目だ!もう間に合わない!来るな!こっちに来るな!向こうに行け!ちくしょおおおお……。」 「え?近くにいるんですか?もしもし!一体、どこにいるんです?」 電話が切れた。俺は混乱のあまり立ち上がり、なおもその場に立ち尽くす。逃げなければならないのに、この場から離れなければならないのに、体が言う事を聞いてくれないのだ。 次の瞬間、目の前が真っ暗になった。いや、外の何かが、太陽の光を遮ったらしい。俺は窓の方へ近づこうと、一歩足を踏み出しかける。しかし、それきり動くのを止めてしまった。有り得ないものを目の当たりにして、我と我が身の憎悪は粉みじんに砕け散ってしまう。 このビル目掛けて、巨大なジャンボジェット機が突っ込んできたのだ。
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