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白馬に乗った王子様 作者:かつまた

最終回   1
 午前2時を回って、ますます賑やかになってきた、誘蛾灯のような町。彼は駅からほど近い大通りを、区役所方面へ向かって進んでいた。
 道行く者は誰しも、口を大きく開け目を瞬かせ、目の前を通り過ぎる得体の知れない物体を、食い入るように見つめた。しかし、既に深夜の繁華街で、しこたま酒を飲み、非合法の娯楽にその身を浸しているような輩は、あり得ないものを見てしまった自分の目の方を疑うばかりで、誰も彼に直接問いただすような真似はしなかった。悠々と往来を闊歩するそれは、まさに紳士の態度に相応しい泰然自若たる趣で、タイムスリップか、はたまた進駐軍のパトロールか、とても現代社会に生きる我々の想像からしてみれば、有りうべからざる、前代未聞の風体だったのである。
 まず彼は、馬に乗っている。この国の法律上、馬に乗る事自体は絶対的に禁止されているわけではない。しかしながら、天下の公道で、それも片側3車線の大動脈道において、これほどまでに周囲の交通を乱しながら、顔色一つ変えず進み続けるというのは、一体どういう了見なのだろうか?クラクションには笑顔をもって答え、罵倒するトラック運転手に対しては、さもそちら側こそが街の風紀を乱している無頼漢であると言わんばかりの、抗議の視線を投げつけ、聴衆に向かって手を振っては自分の正義を誇示するのだ。なにぶん真夜中であるから、いくらネオン瞬く街のど真ん中であるとしても、全ての外見をつぶさに観察できるわけではないが、馬は金色のたてがみを湛えた白馬で、近くを通る車にもまったく動じる様子がなく、かなり訓練されていることが分かる。少なくともあの馬の所有者は、相当の資産家であるらしい。彼の服装にいたっても、中世ヨーロッパの貴族か、ナポレオンの肖像画を思わせるような、前時代的着衣である。体に密着する形の、とても着心地が良いとは言えなさそうな上着を羽織っており、窮屈そうではあるが、それをおくびにも出さない身のこなしこそ、逆に彼の高貴なる血筋を表しているのではないだろうか。しかし、最も注目すべきは、彼の頭上である。夜の闇においても、燦然と輝く、眩いばかりの宝石を散りばめた、絢爛豪華な冠が、馬のゆったりとした動きに合わせて、周囲へ光を放っているのだ。ちょっとサイズが大きいのだろうか?時々前にずれ、彼が手で直しては後ろにずれ、億劫そうに冠をかぶっているところが、可愛らしくもあり、微笑ましくもある。即ち、彼の肢体が、挙動の全てが、崇高なる使命を持った紳士の、あらゆる美徳へと繋がっているのだ。
 人々の注目を避けるためであろうか、彼は大通りを左折して、狭い路地裏へと入っていた。手を広げれば両の壁につくほどであるから、恐らくは馬の方向転換もきかず、そのまま直進するより仕方のない小道である。暫く進むと、そこはちょうど料理店の裏口に当たるらしく、生ゴミをまとめた透明なポリエチレン袋が、山となって行く手を阻んでいる。彼は巧みに手綱を操作し、それを何とか克服しようと奮闘したが、若干の袋の破裂は避けられなかった。そこに、店の関係者らしき男がやって来て、彼を一瞥した。
「ちょっと、何やってんの。困るんだよね。まったく。」
「これは失礼しました。あまりに道幅が狭かったもので。」
 彼は恭しく一礼して、自分の乗っている馬の失態を率直に詫びた。
「そういう問題じゃないでしょ。こんな所を馬で行こうとする事自体が、そもそも非常識なんだよ。」
「表通りは人が多くて、この馬が通るには適してなかったものですから。いや、本当に失礼しました。」
 彼は軽く会釈をして、そのまま行き過ぎようと試みたが、馬が糞をしている最中で、てこでも動こうとしなかった。
「お前、ふざけてんのかよ。仮にも店の裏口なんだから、すぐ片付けてもらわないと、威力業務妨害で警察呼ぶぞ。」
「馬とて生き物です。生理現象は避けられません。乗馬をお求めになられた以上、仕方のない事ですよ。」
「誰も、そんなもん求めちゃいないよ。もう分かったから、どっか行ってくれ。商売の邪魔だ。」
 はて、誰かの注文に従って、馬にまたがっているものとばかり思っていたが……。彼は暫く考え込んだ末、馬を下りてしまった。
「希望通りに振舞ったつもりだったのだがな……。まあいい。望まぬのならば、訂正するまでだ。」
 彼は自らの足で歩を進め、裏道を抜けて大通りに復帰した。
「うむ。やはり徒歩の方が進み良いな。」
 元気を取り戻して、電飾で光り輝く街の中を目的地へ向かう。景色を楽しむようにゆっくりと歩んでいき、30分ぐらい経っただろうか、大きな川に架かる橋を渡り、公園沿いに差し掛かる。街灯もまばらで、駐車場の脇に植え込まれた照葉樹が、上空の風に僅かに揺れている。テニスコートをフェンス越しに眺めながら、今は使う人の少なくなった電話ボックスの前を通った。その時、地べたに座って話し込んでいる、数人の女子高生たちと目が合う。何時如何なるときでも、女性への礼節を失する事のない彼は、初対面の彼女らに対してさえも、唇を横に広げて優しく微笑みかけ、首を3度ばかり傾斜させて最大限の敬意を払った。その一部始終を見ていた彼女らは、怪物にでも襲われたような嬌声を上げ、仲間内で大いに笑い転げる。たいそう品のない様子で、散々彼を罵ったあげく、手を取り合いながら、彼の方へ近づいて来た。
「何、こいつ!気持ち悪い!」
「げ!げげげげげ!変な格好!」
「コスプレしてんの?やばいおっさんかな?」
 最初は彼を中心とする半径3メートルの円周上で、徐々にその内側に入って彼の風貌について痛烈に酷評し始めた。彼は勿論、すこぶる気分を害したが、所詮相手は子供である。大人気ない行動をとっては、紳士の面目を潰すことになりかねないと自重し、やり過ごす算段にでた。彼は女子高生の方に微笑を送りながらも、歩みを速めて、半径3メートルの円周外に、彼女らを置いていこうとする。
「無視ってやがる。クスリでもやってんじゃないの?」
「何あれ?変な王冠かぶってる。あれって本物?」
「んなわけないよ。どう見ても、狂ったおっさんだね。」
 ついに彼の堪忍袋の緒が切れた。その場に立ち止まると向き直り、彼女らの視線に向けて、並々ならぬ憤怒の情を表した。
「私は、他人の一般的専決事項について、とやかく言う無礼者を相手にしないが、この冠が正真正銘、本物の玉石によって構成されている事を、あなた方に教えて差し上げましょう。」
 彼はそれだけ言うと、再び彼女らに背を向けて、力強く歩みだした。今すんでのところで守られた、紳士の誇りを噛み締めるように、一歩一歩足を踏み出し、深夜の公園を過ぎようとしている。しかし、女子高生たちが先回りし、彼を通せんぼした。。
「調子乗ってんじゃねえぞ、じいい!生意気な事、ぬかしやがって!」
「そうだ!犯すぞ、こら!やられてえのか、こいつ!」
「あの冠、売ったら相当高いんじゃない?やっちまおうよ!」
 女子高生たちは、一斉に彼目掛けて突進してきた。彼は困惑したが、ここで女性に暴力を使うわけにもいかぬと拳を禁め、体をかわして逃れようとする。実際、武術に長けていた彼は、女子高生のタックルをひらりとすり抜け、闘牛士のように想像上の聴衆に向けてポーズした。その瞬間、彼の背中に千の雷が落ちたような衝撃が走る。体勢を立て直す暇も無く、体中の関節が次々に離反し、そのままアスファルトに倒れこんでしまった。見ると、女子高生の一人がスタンガンを持って近づいてくる。彼はそれを避けようと身をよじったが、まだ痺れが抜け切れておらず、抵抗できないまま、第二の攻撃を太ももに受けてしまう。
「これ、頂戴ね。おっさん。」
「いい人だね。ありがとう。」
「警察いったら殺すぞ。」
 女子高生たちは、彼の冠を奪うと、その場から走り去った。
 何たる屈辱であろうか。彼は肉体の苦しみよりも増して、精神的な衝撃を受けてしまったらしく、5分以上も深々と進む暗闇の底に倒れこんだまま動けなかった。彼女らは女の面を被った犬畜生であったのか?果たして子供の体に、悪魔が乗り移っていたのだろうか?いくら背景を穿ってみても、彼が今まで接してきた秩序の範囲内では、いかなる答えも見い出せなかった。
 彼は立ち上がる。震える膝に手を付いて、鉛のように重い体をコントロールしようとする。このまま地面に平伏していても仕様がない。先を急がねば。足を引きずりながらも、彼の誇りは滅失したわけではなかった。子供や婦人には、どのような理由があろうとも、決して手を上げてはならないとした、彼自身の誓いは今だ破られてはいないのだから。
 やっとの思いで公園区を過ぎると、郊外の住宅地が見えてきた。彼は自分の行動の正しさを私に向けて主張するように、遠くの住宅街に向けて手を伸ばし、虚空を掴むとその拳に口づけをした。目的地までの距離は、限りなく縮まっている。彼はすこぶる疲労していたが、二点を結ぶ直線が0に近づくにつれ、新たなエネルギーが体内で産出されるがごとく、精神は勃興していたのである。
 ふと、道路を黒い影が横切った。彼は先ほどの悪夢を想起して身構える。影は小人以上、大男未満といったところ。ストーカーに悩むOLが、夜のうちにゴミをだしに出て来たのだろうか?いや、もしかしたらストーカーの方かも知れない。
 住宅の植え込みの間から、男が一人、彼の前へ現れた。ぼろぼろの服に、スチールたわしのような頭髪。普通に考えれば、発狂した芸術家かホームレスにしか見えない。直前の失敗が頭をよぎったのだろうか、今度は彼から先に男へ声をかけた。
「こんばんわ。今夜は星が綺麗ですね。」
「うるさい。俺の縄張りに何の用だ?」
「私はただ、ここを通りたいだけですよ。だってここは、万人のための公道でしょう?」
「お前は夜の世界を知らないな。昼と夜とではルールが異なる。人の仕事を邪魔する気なら、容赦ないぞ。」
「言ったでしょう。私はあなたに危害を与えるつもりはありませんよ。」
 どうやら今回は、話し合いで解決できそうだ。多少、相手に勘違いらしきものが窺えるが、このまま会話を続ければ、突破できそうな予感がする。彼は勢い、男に近づいていった。
「どうか、考え違いの無きよう。私はここを迂回して、先へ進んでもいいくらいなんです。ただ、それには若干の時間のロスと、体力の低減を必要としますので、出来うるならば通行をお許し頂きたいと言っているだけなのですよ。」
「そうか。分かった。お前は王子だな。しかも、体に傷を負っている。理由は知らんが、さぞかし先を急いでいるようだ。」
「仰るとおりです。私は一度だって、私を求めている人への道のりを、諦めた事はなかった。しかし、何度生まれ変わっても、途中で誰かに、道を閉ざされてしまう。私は進む理由を知っていても、閉ざされる理由について皆目見当がつかないのです。」
「簡単な事だ。お前は明らかに拒絶されている。お前の存在は世間を許さない。世間に生きる以上、お前が来てはならぬのだ。」
「では、私にこのまま、永遠の途上を続けろと仰るのですか?拒絶するのなら消してください。もう決して、願わないで下さい。虚構を育む己の健全性を、殺し続ける事が出来るのであれば、私の存在など必要ないではありませんか。」
 やにわに男が直近にいて、気が付くと胸部にナイフが突き刺さっていた。彼は絶叫して男を払いのけ、自分の胸につき立てられた凶器を引き抜いて、男の背後に潜む私の部屋に向かって投げつけた。
「ちくしょう!ふざけるな!私の旅を何だと思っている!どんなに拒絶されても、何億年に渡って彷徨ったとしても、絶対に諦めんぞ!」
 彼は膝から崩れ落ち、夜の白み始めた住宅街の真ん中で、顔から地面へ突っ込んだ。咆哮に似た嗚咽を吐き出し、胸を掻き毟りながらアスファルトにキスをする。断末魔の言葉を叫びながら、次第に影が薄くなっていき、気が付くとそこは限りなく無人で、声の聞こえてくる事を除けば、いつもと何ら変わらぬ一日の始まりであった。
「いくらあなたが私を拒絶しても、私は歩みを止められない!いつだって密かに、始まりを告げるのはあなただが、破壊するのもあなただ!しかし、あなたが心の一番奥底で願いを止めない限り、表面上の論破では死ぬ事が出来ない!何度も何度も歩み続けるぞ!一体、解っているのか?私があなたを愛している事を……。」

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Novel Editor by BS CGI Rental
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