三月始め、斉明帝は、吉野行幸を終え飛鳥の宮へ戻ると、休む暇もなく、近江の平浦(滋賀県大津市志賀)への行幸をした。越の国の太守・阿倍比羅夫の蝦夷遠征のための軍船建造に協力した、近江の船作り部の者らへの褒賞のためである。 ……同行した中大兄は、この時の見聞から、白村江の敗戦後、近江の地(滋賀県)を、百済難民らの開拓地にしたり、大津京を造るようになるのであるが…… 斉明が近江へ出発してから数日後、遅れて倭姫が、吉野から戻ってきた。侍女を伴い、帰りの挨拶をしに、倭姫は、昔は蘇我馬子の屋敷の地だった糠手皇女の宮に入る。
中では、老婆は紡車を回し、麻糸を紡ぎながら、讃良の祝詞を聞いていた。 「……大中臣太玉串に隠り侍りて、今年の六月の十七日の、朝日の豊栄登に称へ申す事を、神主部・物忌等諸聞食せと宣る。荒祭宮・月読宮にも如是申して進れと宣る」讃良が唱え終わると 「『六月の十七日』はまずいのう。祝詞の日に変えて……」 入ってきた倭姫を認め 「おお、倭(やまと)よ、吉野から戻ったか」 「大婆さま、ただいま戻りました。あら讃良もいるの」 「お帰りなさい、お義母さま」 父・中大兄の正妻は、十五歳年上の讃良の従姉妹でもある。
「おや? 顔色が明るくなったように思えるが」 と曾祖母が言うと、付き添った侍女、 「役行者という坊さまを、陛下がお呼びになり、古市皇子さま十三回の法要を執り行なわさせ、先に御帰りになるとき、お妃さまの心の病を、法力で治すようお頼みになりまして……」 (役行者?ひょっとしたら、あの役小角《えんのおつぐ》のことかしら)讃良は、日に焼けた修行僧を思い浮かべた。 残る倭姫の病平癒のため、役行者は孔雀王呪の行法を行った。羽を広げた孔雀が、毒蛇をついばむように、ありとあらゆる悪病、悪鬼を取り除く呪法である。
「行者さまのお祈りが終わると、わが前に父母が現れ、『お前をいつも見守っている。我らを心配させないように、生き甲斐になることを探し、明るく生きていくのじゃ』と言われ、始終あったうっとうしい気分が、消えまして」倭姫は起こった体験を話した。 「ほう、古人がなあ。で、生き甲斐になることは、何じゃ」 「それが、思いつかなくて」 すかさず讃良、 「まずは、和歌作り。これはなかなか奧が深いわよ。それから……」 倭姫を見ながら考え、 「織物! お義母さまの中断している織物を完成させたら。あのままだと惜しいわ」 倭姫は織物上手であったが、父母の惨殺を聞かされた衝撃で、まともな営みが出来なくなっていた。放置された生地を、日ごろ讃良は残念がっていた。 「うんうん、それはよい考えじゃ。機を織るのは心の鍛錬になる。根気強く、平静な心でしか、美しい織物は出来ぬ。心乱れて織られると、直ぐさま折り目に乱れができる」 「じゃあ、私の分の機(はた)を、お義母にお譲りしましょう」 「そうじゃな、……あれ! 讃良、お前、機織りをさぼる気か!」 当時の皇族の女は、家の中でじっと座っているわけではない。普通の主婦としての仕事もこなし、皇族の女性共同の機仕事もあった。侍女らにすべてを任せては、いないのである。
「分かった、へへ、……私さあ、単調すぎる仕事は、嫌いなの。もっと面白い仕事はない? 学問でもいいけど」 「女に学問はいらぬ。こざかしい知恵で、大海人をやり込めると嫌われるぞ。それより、心を込めて織り、繕った衣装を夫に着せたり、喜ばれる料理を作ることが大事じゃ」 「裁縫と、料理は何とか出来るけど、生糸の元の蚕が、うじゃめくのを思い出すとだめなの」 「お前、虫嫌いだったのか。でも麻は大丈夫だろ」 「麻は、織り加減が難しいの」 「横着よのう」呆れる婆さん。 二人の会話に笑う倭姫。かって無かった笑いである。それを聞いて、婆さん涙ぐむ。
思い出したかのように、婆さん、 「讃良、王家の子らの学び屋の手伝いをせよ」 「私は、読み書きの初歩しか知らないのよ」 「六、七歳の子の書きぞめを見て回るのじゃ。書記らは、このごろ忙しくて、子らに自習させることが多くてな、お前でも務まるじゃろう」 「書きぞめを見てまわるのねえ……」讃良は、気乗りなさそう。 「じゃあ、蚕の世話をしろ」 「いや!それだけはいやよ!」 悲鳴を上げる讃良に、皆は笑った。
|
|