ヒノキ葺きで入母屋作りの賢所の中では、三女性が佇む。 前には、櫃が祭られている。その中には、天照大神の御霊代(みたましろ)としての神鏡が納められている。もちろん伊勢神宮の神鏡を分霊したものである。 この賢所は、天皇、皇后、皇太子、とその妃以外は、皇族といえども、むやみに立ち入ることが出来ない聖域である。 本来なら、賢所に仕える巫女らは、讃良姫の入所を拒むのであるが、嶋皇祖母命(しまのすめみおやのみこと)と尊称される糠手皇女の 「近い内に、讃良を伊勢神宮に代参させるから、ここで祝詞(のりと)の手本を見せたいのじゃ」の言葉に従った。 手本を示すため、間人(はしひと)が神前に進み、拝礼の儀式の後、祝詞を読み上げた。 「度会の宇治の五十鈴の川上に大宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて、称辞竟へ奉る天照坐皇大神の大前に申し進る天津祝詞の太祝詞を、……大中臣太玉串に隠り侍りて、今年の六月の十七日の、朝日の豊栄登に称へ申す事を、神主部・物忌等諸聞食せと宣る。荒祭宮・月読宮にも如是申して進れと宣る」 拝礼を終えると、巫女が横紐を引き、鈴を鳴らす。天照大神が聞き届けた、とのしるしであろう。 「どう、讃良、簡単でしょ」 戻った叔母は、祝詞(のりと)の紙を渡す。平かな、カタカナはまだ考案されていない時代なので、万葉仮名がぎっしりと書かれている。 「これを覚えるの」うんざり顔の讃良 「唱うように調子をとって、暗記すればいいのよ」気楽に叔母は答えた。 大祖母は、しばし考え込み、 「まあ、それでも、不都合はないが、妾の話し方で、してもらいたいが」 と言い、祝詞の紙を受け取り、前に出て祝詞を上げた。 ゆっくりと話しかけ、情感がこもった願いを述べる口調である。 終わり、振り返った大祖母は涙を流していた。 巫女は、しばらく鈴を鳴らすのを忘れ、気づき鈴を鳴らした。 「これは、亡き我が母が、毎朝、伊勢を向いて祈っていた口調じゃ」 敏達天皇の妃になった菟名子夫人(うなこのおおとじ)は、伊勢国からの采女であった。采女には、地方豪族からの人質の目的もあったらしい。
「望郷の念から、毎朝、天照さまに祈っていたが、帰ることなく亡くなった。その思いを、讃良、お前の代参で、果たしてもらいたいのじゃ」 老婆は、母を偲んで、しみじみと言った。
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