飛鳥の、亡き糠手大祖母の住まいに、その日の夕刻には着く予定であった。 そろそろ出発で、外へ出ると、大伴吹負が立ち止まり、神木の二枝の結び紐をじっと見る。讃良が 「どうかなされましたか」と問うと、吹負は、 「わたしの甥(大伴安麻呂・家持の祖父に当たる)の歌集にある、ある歌を思い出しまして。それも世には憚れる歌で」といい、讃良の耳元で、ささやくように、
「♪磐代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を引き結び ま幸(さき)くあらば また還り見む♪」
と詠い、 「有間皇子が、紀の湯へ連行される途中で詠んだとか」といい、吹負は離れた。 驚きながらも、聞いた歌をつぶやきながら讃良は、有間が枝を結んでいる幻を見る。諦めと一縷の希望をもつ悲痛な表情に、締め付けられる切なさを感じた。 ふと気が付くと、誌斐が心配そうに立っている。 「誌斐、さっきの話、有間さまが亡くなる頃のこと?」 「ええ、そうですよ。欄干に出て、山葡萄をむしゃぶろうとなされて、ご注意を……」 「ああ、あの時のこと! それは違うの……」言いかけやめ、神木をまた見る。 大海人が戻ってきて、 「どうした、ここへ戻って来れるための枝結びをしたいのか?」 振り返り、讃良、 「いえ……、運命は自ら切り開くもの、まじないには頼りませぬ。行きましょうか」顧みもせず、讃良は歩き出す。(あれ?)という顔をし、大海人は後を追った。
讃良と並び、寒そうに坊主頭に手をやり 「今年は辛未(かのと ひつじ)、未だ辛くない……か、来年は……(指を数え)……壬申(みずのえ さる)ということは……」 「殿、明日のことは明日のこと、気になさいますな」 「そうよなあ、讃良……」 「何ですか?」 「しっかりしたお前を嫁にして、本当に良かった」にこやかな表情の大海人に 「まあ!」ちょっぴり照れる讃良。
馬のそばでは、待ちくたびれた草壁が、叫ぶ、 「母(おもう)さま早く! 早く!」 十月十九日(新暦の十一月二十八日)の冬空は、どんよりとしていた。 やがて、小雪が舞い始める中、一行は懐かしい飛鳥路に踏み入れた。 第二章 終わり 第二章終筆後記 予想外の長編になってしまいました。とにかく難しかった。素人の歴史考証は、ネット調べでも、なぞだらけでした。情景描写と人物描写もいまいちだったし(プロのように現地取材などできたら、すこしはましでしょうが)、文章も……。 次章は(大后の章)にするつもりですが、解明できない事に、頭をなやましそうです。例えば、大津皇子が、姉の大伯皇女のいる伊勢へ、いつ、何のため、どんな話を、なぜ急いで戻ったか、まったく判らない。あまりにも有名な和歌二首(我が背子を大和へやると……、二人行けど行きがたき秋山を……)は、おぼろげにしか教えてくれず、日本書紀はふれていない。また、飛鳥へ帰った大伯は、持統と、どんな会話をしたか。泣いて抗議したとしたら、持統は? じっくり考えて、ぼちぼち書いて(正確にはキーボードをよたよた叩いて)いきます。完成は、また、だいぶ遅れそうです。
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