翌日、十月十九日、大海人は宮中に参内し、天智に(これから修行のため吉野に向かいます)といい、宮中をでて、そのまま吉野へ向かう。 宇治までお見送りしましょうと言い、左大臣・蘇我赤兄、右大臣・中臣連金、大納言・蘇我果安など近江朝の重臣らが付きそうのだが、宮中の門から出ると、讃良ら、大海人の妃らと子供らが、旅姿で待っているのを、彼らは驚いた。 一行は妻らと侍女ら十数名、舎人十数人、草壁と忍壁の二人の子の大所帯である。
人けのない処で、大海人一行を襲うつもりだったが、妃の中には、金の姪・氷上姫と八重、赤兄の娘もいる。ましてや、天智の娘二人もいる。 そこへ(大和へ帰るのだが、ぜひ同行を)と、大伴吹負という豪族の一団が来て、大海人は許した。彼らは、嶋から護衛を頼まれたのである。
重臣らは暗殺はあきらめて、家来らを帰し、道中では、大海人と差し障りのない話題をした。 赤兄が娘と話していると、讃良の馬が赤兄の馬に近づき、 「左大臣さま、若い頃に失礼なことを申しました、お許しを。あなたさまには罪のないこと、命じたお方が悪いのに」と讃良は云い、大海人の方を見る。 有間皇子の事件のことである。 赤兄は、(ああっ! 大海人に踊らされて、有間殺しの役をさせられたのか)と気づくが、平静な顔に戻り、 「昔のことですなあ、忘れておりました。ところで、出家なされた大海人さまに、多くのご妻子さまがたが同行なさるのは、なぜですか」 「殿の病の手当に、皆が付いていないとねえ」 「病?」 「女狂い、なかなか治らない病」 深刻そうな顔の讃良を見て、赤兄は哄笑する。
宇治の橋の処で、大海人一行を見送る重臣らの一人が、つぶやく。 赤兄である、 「虎に翼を付けて、野に放したようなものだ」 世人の解釈と違い、大海人という(虎)に讃良という(翼)がついた恐ろしさ、を感じたのである。
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