天智十年(六七一)九月(一説には八月)に、天智は発病し、十二月初めに四十五歳の若さで亡くなったが、日本書記の記述では、病名は分からないが、後の平清盛が罹った瘧(おこり、日本固有のマラリア)ではなかろうか。
父が寝込んだことを知り、讃良は九月末、見舞いに行った。二十七歳の讃良は、九歳の草壁も連れて行く。 病床では、右大臣・中臣連金(なかとみのむらじかね)が控え、なにやら天智にささやいていた。讃良を認めると、一瞬驚きの表情を見せ、すぐ平静な表情に変わり、 「これはこれは、讃良姫さま、ごくろうさまです。まつりごとで、陛下と打ち合わせをしていましたが、しばらく下がりましょう」と、場を遠慮しようとするが、 「気にせず、いて頂戴」 「それでは」と場をゆずったこの人物は、鎌足の従兄弟である。亡くなった鎌足から、大海人を警戒せよ、と聞かされ、大友の将来を不安視する天智に、調べた大海人の人気の高さを、先ほどまで話していたのである。
病床によって座り、讃良、 「お父さま、どう?」 天智、けだるそうに、 「三日ごとに熱が出てなあ、その時はつらい」 「風邪じゃないみたいね。薬師は何と言っているの?」 「瘧だといっている、……どうも完治は、難しいらしい」弱気に言う父に、 「弱音を言うなんて、お父様らしくないわ。『やっとなれた、大王だ。あと二十年は手放せるか、こんな病ごときに負けられるか』と気力! 気力!」 表情を苦笑いに変え、天智、 「おまえは、いつもきついことを言うのう……大王の位か……子供のときから切望したが、なってみても、難しいことに追われまくり、楽しいものではなかった」 「お父さま……」 ちらっと草壁を見、 「草壁よ、よく学び、よく遊んでいるか」 子は、こっくりとうなづく。 「これ、草壁、お祖父さまに、お話をしなさい」と讃良は促すが、 「よいよい、おとなしいのう。大津の方はわんぱくだが、それぞれの個性がある。大らかな気持ちで育ててやれ。母(斉明)の、お前は大王になるのじゃ、の口癖の呪縛でおかしくなった、わしみたいにならぬようにな。……たしか、おまえ、昔、奇妙なことを言ったな『天皇は国の象徴で……』か、象徴……お手本か。あまり良い手本ではなかったなあ」しばし目をつむり、と息を吐き、話を続ける、 「思えば、おまえには、むごいことをした。……有間のことだ。あれにお前を添わせて、婿にしておけばなあ。……いまさらながら、とりかえしのつかぬことをした……」泣き出す父に、 「お父さま……」讃良は、声が続かなかった。
讃良の帰りぎわ 「讃良、おまえが男に生まれてくれていたら!」 母親の出身の低さから、大友皇子がすんなりと後を継げるか不安を持っていた天智は、讃良の秘めた才能を羨んだ。
残っている、右大臣が病床に寄ると、天智、口をひらいた、 「どんなことがあっても、讃良は生かせろ、殺してはならぬ」 「ですが……」 「にせ弟はいざ知らず、わしのお気に入りの娘じゃ。これ以上、身内を殺したくない」 右大臣、金は困惑した。
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