天智七年(六六八)正月三日、天智天皇の即位礼が、大津の宮で行われた。 そして、五月五日には蒲生野で、天智は、諸王群臣を率いて狩りをしたが、この日の端午の節句の薬草採取の行事も行われ、開かれた宴では、額田と大海人の歌垣が人目を引く。例の「あかねさす 紫野ゆき ……」と「紫の 匂える妹を憎くあらば ……」である。この問答歌が人々の口にのぼると、天智が大海人から額田を奪った、と認識されてしまう。天智は苦笑いですましたが、大海人は、(してやった)と思う。 六月に、伊勢の大海人の領地では、嶋が汗を拭きながら、足麻呂の案内で管理小屋に入った。中では、新羅僧・道行が待っていた。 「ご坊、本当に、草薙の剣を盗み出したのか?」 「これですよ」僧は仏絵を納める細長い木箱を、差し出す。 「この中に、入っているのか?」 「刃先が菖蒲の葉のような、三尺に満たない剣でねえ、絹綿で包んでいますが、開けて見られますか」 「恐ろしいから、遠慮しておこう。……ご坊、からだに異常は起こらなかったか?」 「まあ、がっくりしています。ああ、天罰ではありませぬ、宝の地図はどこにも刻まれておりませなんだ」 「すぐに知られるのではないか」 「代わりに、木箱に当世の剣を入れて、元のように赤土で包んだ三重の箱に直しましたから、まずは露見しますまい」 「よくぞ盗み出せたものよ」 「宮司どの一人の病を治しまして、昵懇になり、酒を勧めて、いろいろ剣のことを聞き出し、嵐の中、忍び込んで盗みましたが」 「褒美には、なにがいい」 「別に、なにもいりませぬ。宝さがしが振り出しに戻ったから、途方にくれています」
「しばらくは、難波の配下の元で、身を隠してもらいたいが。何なら、新羅へ帰れるよう、計らおうか」 「いや、この国に骨を埋める気で国を出ました」 「では、ほとぼりが冷めたら、三河の国で寺を寄進するよう計らおう」 「それは、ありがとうございます」僧は合掌する。
置かれた木箱を見て、嶋はつぶやく、 「殿には内密だが、これは、どこに隠したらいいものか?」 「お頭、たしか、吉野の宮は、讃良の妃さまが、先帝さまから頂いたと聞きましたが。あそこなら、見つからないと思いますが」管理人の足麻呂がいうと、 「ああ、それがいいなあ
五日後、吉野離宮の正殿奧では、嶋は、板壁を二重にしていた。その間に、草薙の剣が隠されているのである。
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