王家の者たち全員が、飛鳥へ戻り終えたのは、年を越して、天智三年(六六四)春であろう。そして、留守居をしていた大祖母・糠手皇女が 六月に薨去した。齢九十近くで天寿を全うしたこの女性は、子の舒明天皇の陵に合葬されたのであろうか?。 この女性の喪に服すため、即位礼の延期を鎌足は天智に進言し、政務に専念せねばならぬので、天智はそれを受け入れた。
その年の末頃、後岡本宮近くの大海人の屋敷では、讃良の差配で、大掃除が行われていた。 讃良は、使用人や他の妃らを指図するだけでなく、汚れた所に気が付くと、自分でも進んで雑巾がけをする。 大海人の住まいの正殿では、踏み台に乗り、長押(なげし)の上側を覗き、 「わあ! 蜘蛛の巣が……、誌斐、雑巾をちょうだい」 拭き取りを終え、代わりの雑巾と交換するが、 「濡れ過ぎよ、もっと絞って」と後ろを振り返らず、雑巾を返した。 桶に水滴が落ちる音がして、男の声で、 「はい、姫さま、どうぞ」 振りかえ見下ろすと、安倍比羅夫が笑顔でいた。横の誌斐はいたずらぽい顔でいる。 「あら、太守、戻ったの」 「はい、唐の使いの帰国を、報告しに。……お手伝いましょう」袖まくりして、比羅夫は大掃除を手伝った。
大掃除が終わり、讃良があらためて礼を言ったら、比羅夫が、柳箱(やないばこ・柳の小枝で編んだ蓋付きの小箱)を差し出し、 「これは、蝦夷遠征将軍に就いた祝いに、皇子(有間)からいただきました。墨、筆、紙帖が入っております。どうかこれをお使いくだささい」 「それは、そなたが持っておくべきでしょう」 「いやいや、わたしめが、大事にしまっているより、姫さまがお使いになる方が、皇子はよろこばれるでしょう」 讃良は、比羅夫の好意にすなおに従い、受け取った。
「お姉上(太田)さまは?」 「風邪なの。尼子(あまこのいらつめ・高市の生母)さんも寝込んでいるのよ。このごろの風邪は、きついわねえ」 「韓の地から持ち帰った、疫病かもしれませんなあ。わたしめも、熱が上がり、咳もはげしくて、往生しました」 当時の人々には、インフルエンザは知り得ない。
「皇弟さまは、ご不在ですな。まだ謝罪に飛び歩かれておられるので?」 遠征の戦死者は、大和の国だけでも、千人近くもいる。大海人は、遺族への詫びの役目を天智に命じられ、一軒一軒を訪れていた。 「泣き謝るのも、いい加減うんざりすると、殿は、こぼしていたわよ」 ……このときの大海人の態度に諸人は好感を持ち、壬申の乱で味方に参じる者が多くなるのだが、……
「泣き疲れですか……。この度の戦の犠牲者は、多すぎました。まだ、今も……」 比羅夫は深いため息をはき、つぶやくように、詠う、
「♪韓衣(からごろも)裾に取り付き 泣く子らを 置きてそ 来ぬや 母なしにして」 (袖に取り付いて泣く子供たちを置いてきてしまった。その子らには母もいないのに)
「太守! その歌は?」 「東国から連れてこられた防人が、詠いました」 「防人が……」子供らの泣いて父親にすがる光景が浮かび、讃良はやりようのない心の疼きを覚える。そして嘆く、 「わたしは、とんでもないことを言い出したのねえ。浅知恵であんなことを……」 「これは、よけいなことを詠いました。……あれは、女帝さまのお告げです、姫さまに罪はありませぬ。……それに、あれしか、国を救う方法がありませぬ」あやすように、讃良を慰め、 「下々(しもじもの)のそういうことも配慮するよう、陛下に進言しましょう。長居をしました。では、姫、お元気で」
退出した安倍比羅夫と、讃良は二度と会うことはなかった。彼は太宰府で客死してしまうのである。 これよりのち讃良は、父へのまつりごとの意見をしなかった。
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