八月二十八日の白村江の海戦での大敗の知らせが、那大津に届いたのは、翌月の初めである。それからしばらくして、ぞくぞくと引き上げ船が百済難民を伴い、那大津の港に戻ってきた。
まもなく本営では、阿倍比羅夫が、敗戦の報告をしていた。そのとき、こっそりと讃良が入ってきた。
「……で、わたしめは、唐船の陸からの補給を断つ、特に飲み水を断つため、兵を陸の上にあげて占領する策を言いましたが、豊璋どのは、一気に雌雄を決せよ、と強硬に主張なされ、……海戦では、唐の軍船に挟み撃ちにあい、いいようにあしらわれ、投石機からの油の火の玉が、雨あられと、わが軍船に襲い……」 聞いていた天智、いらだち、 「もうよい! それよりも、豊璋の乗った船は、北へ逃げたのじゃな」 「おそらく、生き延びて、高句麗(こま)にかくまわれておりましょう」 「なんという男だ、あんな愚かな奴のために、我が国は……」 「おそらく、側近の徳なにがしが、豊璋に福信と離反させて殺させ、籠城中の城から逃げ出させた。また、海戦での勝利が戦局挽回だと信じ込ませたのでしょう。……姫、こちらへ」
讃良が前に出てくるのを見た、天智は 「また、お前は!」 すかさず、比羅夫、 「陛下、お聞きしたいことがあるので、姫さまをお呼びしました。あの金城の絵を、姫さまに見ていただきたいのですが」 もらった紙を、比羅夫は讃良に渡す。 「どうですか。姫さま、姫が十歳のころに描いた未来の城に似ていませぬか」 讃良がうなずくと、 「先の女帝さまは、あの絵を陛下に見せられましたか」 「私が描いた図から神殿造りの大事業をしだしたと、父らが知れば大反対する、と婆さまは、言っていたけど」 「で、陛下は見ておられぬか。が、豊璋だけには、見せられたか」 比羅夫、天智に向かい、 「陛下、新羅にいる草忍らのこと、豊璋に明かされたましたな」 天智の驚愕した顔を見て、比羅夫 「やはり……、その徳なにがしは、新羅の間諜ですな」 隅で、聞いた大海人、 (徳執得が、間諜! だが、親の代からの家来だが、……、まてよ? 確か、父親は豊璋が百済から呼び寄せた養蜂家……そうか、二代続きの草忍か)あわてて前に出て、天智にいう、 「徳執得が間諜だとすれば、我が国の貧弱な守りの実情が、唐、新羅に知られてしまう! いま、余勢を駆って、我が国を攻めて来られたら、どうしようもない」 深刻な雰囲気のざわめきのなか、讃良が、 「大丈夫よ、あなた、唐は、百済を治めるのに手が一杯だし、攻めるとしたら、近くの高句麗(こま)が先じゃないの。それに、唐からはるか遠くはなれた、この国を攻めるのもたいへんだし」 比羅夫が、 「おそらく、姫さまのご意見のように、まずは、唐は攻めてきませんな。ですが、捕虜の引き渡しで、唐から使節が来ますと、下手(したで)に出ねばなりませんが……」 「建国して五十年にも満たぬ唐なぞに、長い歴史の王家のわしが頭を下げられるか」 「陛下は、大和に戻られ、この九州に、朝廷の出先の役所を作り、使節に当たらせては。なんなら、わたくしめが、師(そち)となり、大使に頭を何度でも床に付けますが、遠い都の陛下は、大使に会わぬとなされたら」
鎌足が反論する。 「それでは、負けたのに臣下の礼を取らぬ、と唐は攻めてくるかもしれぬ。あの国は、中華の誇りを踏みにじられると、損得もなく他国を攻める。命取りとなった隋の高句麗攻めの例がある」 はて?と、比羅夫が思案していると、讃良は目をつむり、低い声を出す、 「よいか葛城、悩むことはない。国の存亡のときじゃといい、東国から防人(さきもり)を出させるのじゃ。それからな、わが命じた神殿造りで、狂心の渠(たわぶれごころのみぞ)と不平を言った工人らを呼び寄せ、堅固な防壁造りの指導をさせよ。敵の使節にそれを見せ、我が国の底力を知らしめるのじゃ」 斉明帝が乗り移ったと、皆が驚いていると、目を開けた讃良、きょとんとする。 すぐさま天智は、母のお告げを検討せよ、と命じた。 皆が会議している中、讃良は父に近づき、悪戯っぽく、 「どう、婆さまの口まね、上手だった? じゃあ帰るわ」
あ然とした天智、出ていく讃良を見、苦笑する、 「讃良め、ふふふ……」 帝の声に気づいた鎌足、 「陛下、どうなされた?」 「何でもない」といい、ひとりつぶやく、 「讃良が、男に生まれてくれていたら……」
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