草壁皇子が生まれた天智二年には朝鮮半島では、五月に帰国した豊璋を迎え、百済の遺臣らの志気が上がる。また大和の援軍もあり、旧領を半分以上回復した。
が、翌年から、豊璋と鬼室福信の間に、みぞができだす。側近・徳執得の、そそのかしに乗り、豊璋は、福信に不信感を持ち、彼の献策をことごとく退けた。ついには、福信を捕らえ、惨殺するという愚をおかす。六月のことであった。 当然、ほかの遺臣たちは、豊璋への忠誠心をなくす。それを知った唐と新羅の攻撃が、激しくなった。 八月十三日、味方の裏切りの不安から、豊璋は、籠城中の周留城を密かに脱出し、海岸の大和軍船を頼った。それを勧めた徳執得は、同行せずに城にとどまると言ったが、翌朝、城から消え失せた。その夕、新羅軍中で、新羅王(文武王)に報告する執得の姿があった。
豊璋からの救援要請で、二十日頃、天智帝は、本営の建物に諸将を集め、広げられた朝鮮半島の地図を指さし、周留城を救援すべく、全軍を動かせ、と命じた。
その時、讃良はそこにいた。父は喪主として、麻服でいるが、主人・大海人の麻の白装束の喪中の服装を、官服に着替えさせに来たのである。ついでに、皆の集まっているのを覗きに来ていたのである。
命令を言い終え、諸将が分担を話し合っているのを、天智は聞いている。そこへ讃良が近づき、耳元でささやく、 「お父様、皆が出立するとき、計画を変えて……」 言い終えて、 「どう、良い作戦でしょう」誇らしげに言った。 あきれ果てた表情になった、天智 「讃良、おまえなあ、物事をしらぬなあ。全軍を、逆の左回りに新羅へ送り、金城(新羅の都)の背後へ全軍を上陸させ、金城を攻め落とし、百済攻めを止めてあわてて戻ってくる唐・新羅軍を迎え撃つなぞと、夢物語を……」 「おとうさま! 秘中の策を、今、皆の前で話すなんて!」 二人の会話を聞いた諸将、地図に目を移し、驚きの表情を浮かべる。
「何が、秘中だ。よいか、われらは豊璋を助けねばならぬ、そのための正義の戦をしているのだ」 「豊璋ねえ、あんな人は見殺しにしたらいいのじゃないの」 すでに、忠臣を殺した悪評が、那大津では流れていた。 「女が、軍議の席で夢物語をするとは」苦り切った天智がもらすと、 「夢物語じゃないの! 孫ヒンがホウ涓に最初に勝った戦い……鎌足、何だったの?」鎌足から、子供たちと聞いた故事だが、詳しい地名を讃良は忘れていた。 前にいた鎌足、急に問われ、どきまきし 「えーと、桂……、桂陵の戦いですな。ああ囲魏救趙の故事です。はい」 と答え、鎌足、天智に 「陛下、姫の策の方が、勝てる可能性が高いと思われます」 「しっかりしろ、鎌足。豊璋の立場はどうなる。あれを押し立てて百済王にしておかねば、正義の戦の意義がない」 横から讃良、 「お父様、どうせなら、新羅を征服しちゃいなさいよ。新羅王兼任のスメラミコトもいいのじゃない」 父は声をあらげた、 「いいかげんにしろ、讃良! 軍議のじゃまだ、出ていけ!」
出るとき、讃良は、目立たなく隅にいる、大海人を見つける。 居たたまれないふうで、俯いていた。
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