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吉野彷徨(U)若き妃の章 作者:ゲン ヒデ

第10回    伊賀街道
 大海人、讃良の一行は伊勢を目指し、山間の道・伊賀街道を進んでいる。十二年後の壬申の乱では、より北側にある鈴鹿関の道を、東国への逃避行に選ぶのであるが、今は、蝶が舞う山あいの野原を見ながらの、ノンビリした旅である。

 先頭に道案内の郡司と随臣・多冶比嶋が列ぶ。大海人と讃良は馬に乗り、従者らは侍女・誌斐も含め、徒歩の八人、船大工の師弟、それに近在の村人らが、荷を請け負っている。
 先頭では、場違いのような若い僧が、嶋に付きそっていた。
 元興寺(飛鳥寺)から頼まれた同行者が、監視している道行と知って、嶋は警戒したが、最初の宿で
(自分は、日本へ来るとき、新羅の国から諜間を強要され、豊璋さまの周辺を探っていたら、それ、その方が、わたしめを監視されまして、諜間のお役はお払い箱で、ほっとしております)
と僧は、あっけらかんと明かした。 指された、嶋の配下は、苦笑いをした。

 気は許したが、少しは警戒心を残す嶋は、自分のそばに、僧を連れていた。若い僧は、歩きながら世間話を嶋と続ける。
 突然、嶋は、振り返り、大海人の馬の轡を引く十八位の若者に話す。僧を監視していた配下である。
「品冶(ほんじ)よ、ヤマトタケルの命が、伊勢神宮の倭姫さまから草薙の剣をいただくときの、旧辞(くじ)を詠ってくれ」
「急に言われましても……」
 当惑する多(おおの)品冶は、美濃における大海人の封戸の管理人として赴むく。内密には、東国地域の情報の間諜であった。後の世の古事記編集者・太安万侶の同族である。
「では、手拍子をとろう」踊りたくなるリズムを嶋が鳴らす。
♪パン、パ、パンパン ……パン♪
 馬引きは、釣られて詠い出し、嶋が追唱する。

「♪ここにー、すめらみこと、また続けてエーエ、ヤマトタケルの命にイーイー、東(ひんがし)のかたオオーオ、……命(めい)を受けて行くときにイーイ、伊勢のおほんかむのみや(大御神宮)に参りてエーエ、かむ(神)のみかど(朝廷)を拝みたまいてエーエ、……なほ我早く死ねと思し召すまりと……ヤマトヒメのミコト、草薙のつるぎを賜い、 草薙のつるぎを賜い、また火打ちを入れたるみ袋を賜いて、 また火打ちを入れたるみ袋を賜いて……もしにわかの事あれば、ここの袋の口解きたまアアエエーと、言いーたまうー♪」

 馬の上の大海人だけでなく、後ろに続く者たちも、聞き惚れている。
「そこまで!」嶋が止めると、皆は不服そうな顔をするが、気にせず嶋、
「道行どの、解りましたか」僧、首を振る。
 いかに大和言葉の会話にたけた新羅僧とて、歌は断片的にしか解らない。

「簡単に言えば、西南の蛮族を討伐したヤマトタケル皇子に、たった一人の部下だけ連れて、東国(あづまのくに)を征伐せよとの、帝が厳命されてな。困った、ヤマトタケル皇子は、道中、伊勢神宮の叔母ヤマト姫を訪ねたら、神宝・草薙のつるぎと火打ち石をもらった。後は、東国を征伐してから大和に戻る途中、つるぎを尾張の国に置き忘れてなあ、それが、熱田神宮に祭られている神宝だよ。でノボノという所でお亡くなりになり、白鳥に変わり、大和へ飛んで……」
 郡司が東北を指さし、ノボノはあちらの方でと説明する。(鈴鹿と亀山の辺である)
 そちらの青空に向かい嶋、哀調を帯びた調べで

「♪大和はー 国のまほろばー たたなずくー 青垣ー 山ごもれるー 大和しうるわしー♪」
 
 歌い終わると、感極まり嶋は、泣き出す。日ごろ、感情を顔に表さないのに、こんな感激癖があったのを皆は、ほほえましく思うが、僧だけ冷静に、たずねる。
「その剣、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同じ物で?」
 正気に戻された嶋、
「うん…… はて? 品冶、どう思う」振り返り、馬引きにきく、
「今まで気付きませんでしたが、そういえば同じ物かも……」馬引きは考え込む。
 後ろの誌斐が菅笠を上げ、讃良に言う
「出雲タケルを騙し倒し、ヤマトタケルの皇子(みこ)が手に入れたのが、草薙の剣だと、わたしめの一族には伝わっていますが……」
 剣の伝承が、まだ一つにまとまっていなかったのである。
 
 大海人は、馬上から僧に声を掛けた、
「道行どの、宝剣のいわれをなぜ知りたがるのかな」
「宝の地図探しでして」僧は、振りかえた姿で答える。
「宝の地図?」
 僧の説明、彼の先祖は、出雲の豪族であった。出雲が大和朝廷に服属するとき、国中の宝物を一カ所に埋め、そのありかの地図を刻んだ剣を、先祖が守っていた。ある時、大和の兵に襲われ、剣を奪われ、やむなく今の新羅に逃げた、と話す。
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が、その剣だというのか」
「それではないかと」
 馬引きが、怒る。
「どちらにしろ、草薙の剣は、熱田の宮のご神体だぞ……それにあの剣が、人目に触れたら、大王家が、代わるとの言い伝えがある。恐ろしいことを!」

 聞いていた大海人、馬引きに声をかける、
「その言い伝え、本当なのか」
「好奇心で盗み見をした神職見習いが処刑された後に、オハツセワカサザキの命(武烈天皇)のにわかな崩御で、越前のホドホ王(継体天皇)が継がれた事があるそうで」
 横から嶋が説明する、
「語り部の話の一つですが、他の語り部の話では、先帝の跡継ぎがなく、ホドホ王に尾張氏が宝剣を献上すると、王家を継ぐことを決意されたが、即位後、不吉なことが続くので、返還したとの話もあります。三百年も経つと伝承は色々あり、どれが正しいかはわかりませぬ」
 本当に大王家が代わるなら、その剣を持ちたいと、大海人はふと思う。

 新羅僧に
「どんな手で、あの宝物を見るのだね」
「まあ、年数が係りますが、修行して名僧の名声を高め、宮司さまとお近づきになり、こっそりと刀身を盗み見る機会をうかがおうと」
「気の長いことよ。で、出雲の宝とはどんなものだね」
「今の御代では、値打ちのない、錆びた鉄の束かもしれませんが」
「うーん、考えられるな、鉄の産地だから。とすると、そんな物を見つけても、富家にはなれまい」
「それでもいいのです。何が埋めてあるのかを知るのが、先祖代々の夢なので」
 
 実は、この宝とは、近年、加茂岩倉と荒神谷の遺跡で、大量に発見された銅鐸や銅剣なのである。この僧は、調べ間違えて、熱田神宮の宝剣と結びつけたのである。

 道の向こうに、交代の郡司らが待っているのに気づくと、話題はやんだ。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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