大海人、讃良の一行は伊勢を目指し、山間の道・伊賀街道を進んでいる。十二年後の壬申の乱では、より北側にある鈴鹿関の道を、東国への逃避行に選ぶのであるが、今は、蝶が舞う山あいの野原を見ながらの、ノンビリした旅である。
先頭に道案内の郡司と随臣・多冶比嶋が列ぶ。大海人と讃良は馬に乗り、従者らは侍女・誌斐も含め、徒歩の八人、船大工の師弟、それに近在の村人らが、荷を請け負っている。 先頭では、場違いのような若い僧が、嶋に付きそっていた。 元興寺(飛鳥寺)から頼まれた同行者が、監視している道行と知って、嶋は警戒したが、最初の宿で (自分は、日本へ来るとき、新羅の国から諜間を強要され、豊璋さまの周辺を探っていたら、それ、その方が、わたしめを監視されまして、諜間のお役はお払い箱で、ほっとしております) と僧は、あっけらかんと明かした。 指された、嶋の配下は、苦笑いをした。
気は許したが、少しは警戒心を残す嶋は、自分のそばに、僧を連れていた。若い僧は、歩きながら世間話を嶋と続ける。 突然、嶋は、振り返り、大海人の馬の轡を引く十八位の若者に話す。僧を監視していた配下である。 「品冶(ほんじ)よ、ヤマトタケルの命が、伊勢神宮の倭姫さまから草薙の剣をいただくときの、旧辞(くじ)を詠ってくれ」 「急に言われましても……」 当惑する多(おおの)品冶は、美濃における大海人の封戸の管理人として赴むく。内密には、東国地域の情報の間諜であった。後の世の古事記編集者・太安万侶の同族である。 「では、手拍子をとろう」踊りたくなるリズムを嶋が鳴らす。 ♪パン、パ、パンパン ……パン♪ 馬引きは、釣られて詠い出し、嶋が追唱する。
「♪ここにー、すめらみこと、また続けてエーエ、ヤマトタケルの命にイーイー、東(ひんがし)のかたオオーオ、……命(めい)を受けて行くときにイーイ、伊勢のおほんかむのみや(大御神宮)に参りてエーエ、かむ(神)のみかど(朝廷)を拝みたまいてエーエ、……なほ我早く死ねと思し召すまりと……ヤマトヒメのミコト、草薙のつるぎを賜い、 草薙のつるぎを賜い、また火打ちを入れたるみ袋を賜いて、 また火打ちを入れたるみ袋を賜いて……もしにわかの事あれば、ここの袋の口解きたまアアエエーと、言いーたまうー♪」
馬の上の大海人だけでなく、後ろに続く者たちも、聞き惚れている。 「そこまで!」嶋が止めると、皆は不服そうな顔をするが、気にせず嶋、 「道行どの、解りましたか」僧、首を振る。 いかに大和言葉の会話にたけた新羅僧とて、歌は断片的にしか解らない。
「簡単に言えば、西南の蛮族を討伐したヤマトタケル皇子に、たった一人の部下だけ連れて、東国(あづまのくに)を征伐せよとの、帝が厳命されてな。困った、ヤマトタケル皇子は、道中、伊勢神宮の叔母ヤマト姫を訪ねたら、神宝・草薙のつるぎと火打ち石をもらった。後は、東国を征伐してから大和に戻る途中、つるぎを尾張の国に置き忘れてなあ、それが、熱田神宮に祭られている神宝だよ。でノボノという所でお亡くなりになり、白鳥に変わり、大和へ飛んで……」 郡司が東北を指さし、ノボノはあちらの方でと説明する。(鈴鹿と亀山の辺である) そちらの青空に向かい嶋、哀調を帯びた調べで
「♪大和はー 国のまほろばー たたなずくー 青垣ー 山ごもれるー 大和しうるわしー♪」 歌い終わると、感極まり嶋は、泣き出す。日ごろ、感情を顔に表さないのに、こんな感激癖があったのを皆は、ほほえましく思うが、僧だけ冷静に、たずねる。 「その剣、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と同じ物で?」 正気に戻された嶋、 「うん…… はて? 品冶、どう思う」振り返り、馬引きにきく、 「今まで気付きませんでしたが、そういえば同じ物かも……」馬引きは考え込む。 後ろの誌斐が菅笠を上げ、讃良に言う 「出雲タケルを騙し倒し、ヤマトタケルの皇子(みこ)が手に入れたのが、草薙の剣だと、わたしめの一族には伝わっていますが……」 剣の伝承が、まだ一つにまとまっていなかったのである。 大海人は、馬上から僧に声を掛けた、 「道行どの、宝剣のいわれをなぜ知りたがるのかな」 「宝の地図探しでして」僧は、振りかえた姿で答える。 「宝の地図?」 僧の説明、彼の先祖は、出雲の豪族であった。出雲が大和朝廷に服属するとき、国中の宝物を一カ所に埋め、そのありかの地図を刻んだ剣を、先祖が守っていた。ある時、大和の兵に襲われ、剣を奪われ、やむなく今の新羅に逃げた、と話す。 「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が、その剣だというのか」 「それではないかと」 馬引きが、怒る。 「どちらにしろ、草薙の剣は、熱田の宮のご神体だぞ……それにあの剣が、人目に触れたら、大王家が、代わるとの言い伝えがある。恐ろしいことを!」
聞いていた大海人、馬引きに声をかける、 「その言い伝え、本当なのか」 「好奇心で盗み見をした神職見習いが処刑された後に、オハツセワカサザキの命(武烈天皇)のにわかな崩御で、越前のホドホ王(継体天皇)が継がれた事があるそうで」 横から嶋が説明する、 「語り部の話の一つですが、他の語り部の話では、先帝の跡継ぎがなく、ホドホ王に尾張氏が宝剣を献上すると、王家を継ぐことを決意されたが、即位後、不吉なことが続くので、返還したとの話もあります。三百年も経つと伝承は色々あり、どれが正しいかはわかりませぬ」 本当に大王家が代わるなら、その剣を持ちたいと、大海人はふと思う。
新羅僧に 「どんな手で、あの宝物を見るのだね」 「まあ、年数が係りますが、修行して名僧の名声を高め、宮司さまとお近づきになり、こっそりと刀身を盗み見る機会をうかがおうと」 「気の長いことよ。で、出雲の宝とはどんなものだね」 「今の御代では、値打ちのない、錆びた鉄の束かもしれませんが」 「うーん、考えられるな、鉄の産地だから。とすると、そんな物を見つけても、富家にはなれまい」 「それでもいいのです。何が埋めてあるのかを知るのが、先祖代々の夢なので」 実は、この宝とは、近年、加茂岩倉と荒神谷の遺跡で、大量に発見された銅鐸や銅剣なのである。この僧は、調べ間違えて、熱田神宮の宝剣と結びつけたのである。
道の向こうに、交代の郡司らが待っているのに気づくと、話題はやんだ。
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