仕切の几帳が取り払らわれた室内では、斉明帝、中大兄、大海人の家族十数人が、にぎやかに会食をしている。そして、隅に座った楽人らが、鼓、笛、琴、鉦やらを鳴らし、祝い歌を唱えていた。
「♪我が家は 帳(とばり)帳(ちょう)も垂れたるを 大君来ませ 婿にせむ 御肴(みさかな)に 何良けむ 鮑(あわび)栄螺(さだを)か 石陰子(かせ)良けむ♪」 (私の家は 御簾や几帳を垂らして飾ってあります 大君さまおいでなさい 婿入りなさいませ お酒の肴は何にしましょう アワビかサザエか、それともウニがお好みですか) *注1
斉明五年(六五九)二月の中頃、讃良姫の住まいに急ぎ当てられた、宮中の建物の中での、所顕(ところあらわし)の宴がおこなわれている。三日間続いた、大海人皇子の妻問い婚を終えての、親類縁者への結婚の披露宴である。 楽人らの祝い歌が、次から次ぎに続く。彼らの持ち歌が終わり、飛び入りを楽人が勧めると、中大兄は、昔交わした和歌を詠おうぞ、と鏡王女(かがみのおうきみ)を連れだし、歌垣の踊りを初めた。
「♪妹(いも)があたり 継ぎても見ぬに 大和なる 大島の嶺に 家居(お)らましを♪」 (そなたの家のあたりを、いつも眺めていられるが……、 大和の大島の嶺のうえに我が家があったらなあ) 中大兄は、滑稽なしぐさで唱歌し、楽人らが合奏と追唱をする。 次ぎに鏡王女が、優美な踊りでこたえた、 「♪秋山の 樹(こ)の下隠(がく)り 行く水の 我こそまさめ 思ほすよりは♪」 (秋の山の木々の下をこっそりと流れてゆく水のように、 会いたい思いは、あなた様より私の方が強うございます) *注2 鏡王女は、藤原鎌足への拝領妻になった後だが、特にこの宴に招かれていた。 年末には、不比等が生まれ、不比等の実の父親が、中大兄(天智天皇)とのうわさが、後世におこるのだが……。
*注1 (催馬楽の原、訳文は、『紅玉薔薇屋敷』様のサイトからの引用) *注2 (原文、訳、共に『平成万葉・千人一首』さまのサイトからの引用)
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