笑顔の大伯は、どこか弟の大津のそれに似ている。それを見て、大海人がぽつりと言う。 「大津は、元気だろうか……。わしが謀反をおこさぬ証拠として、人質のように近江に置いてきたが……。こうなるなら、讃良の言うとおり、大津と大伯を、わしの手元で育てていれば良かった」 大伯は、あれという表情をし、讃良を見る。 讃良が 「大津は伊賀(大友帝)と仲良しですから、大丈夫ですよ。あなたさまが野心を持たないかぎり」 「そうだな、反乱軍を率いる力のない、わしには夢だなあ」 「やはり、大王になりたいのですか」 「なりたいというより、何とか民の暮らしを楽にする政策を強力に押し進めたい、という思いが強い」 「伊賀でも出来るでしょう」 「あれは若すぎる。取り巻きの大臣らは、権力欲が強い者ばかりだ。民の暮らし向きをよくしようとは思わず、権力闘争をするだろう。ひょっとしたら、まず、わしを共通の敵として攻めてくる可能性もあるが」 「辞めさせた形をとった家来らは、諸所で見はってくれていますから。でも、近江側におかしい動きがあれば、ここを逃げ出さねばなりませぬけど」 「領地のある美濃(岐阜県)しか頼れぬが、……、途中の尾張はどう動くか。あそこの太守(国司)は親しげにしているが、見逃してくれるかどうか……?」 「尾張の太守は、どんな方ですか」 「小子部(ちいさきこべ)の連(むらじ)キヒチといい、尾張一族の有力者と姻戚を結んでいる」 「ちいさきこべ? たしか大泊瀬(おおはつせ・雄略天皇)の帝の家来で、雷の丘で雷神を捕らえた者の子孫では?」 「だろう。尾張に派遣されていて、土着したいらしい……。我が乳母の里(凡海人氏)の話だと、尾張家に取って代わりたい野心があるみたいだ」 「ちいさきこべ ねえ。野心を持つにはふさわしい姓ではないですねえ」 「ハハ、面白いことを」
庭先から、釣り竿を持った子供二人が来る。 「父上、魚釣りに早く行きましょうよ」 草壁・十歳と忍壁・八歳である。 「殿、出家された身で、魚つりをされますの?」 「まあ、堅いことを言うな。皆の食材にアマゴを釣ってくるさ」 「川も冷たいでしょうし、暗殺隊にも用心しませんと」 「ああ、三人ほど、舎人を連れて行く」 「では、食事の準備をしてきます。大伯、あなたも手伝って」 「はい、叔母様」二人は台所へ行った。 吉野宮では、大海人の家族は、近江側の兵が襲う不安の中でも、穏やかな暮らしを続けていた。
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