本来ならば、弘文元年と言うべき天武元年(六七二)一月末、吉野宮の大海人は、天智の菩提を弔う法要をしていた。にわかな出家の大海人は、お経を、たどたどしく唱えている。控える妃たちは、火桶の側で、笑いをかみ殺しながら、聞いていた。 雪こそ降っていないが、外は冷え冷えとしている。 前列の讃良に、横の大江が、火桶に手をかざしながら話す、 「お父さま(天智)たら、先例にない手を使って、伊賀(大友皇子)を即位させたでしょ。まったく無茶だわ」 「そうねえ、いまわの際(きわ)の出家で、譲位の形をとり、伊賀を即位させるとはねえ。お父さまも考えたわねえ。でも、あれはお祖母さま(皇極・斉明)が、軽の帝に譲位した先例もあるから、文句はいえないのよ」 大海人が振り向き、 「静かにしろ! 気が散って、お経が唱えられぬではないか」 皆は、黙って笑いを堪える苦行を続けた。
大海人のほとんどの家族は、後を追い、吉野へ来て、近江宮に残っているのは、高市皇子と大津皇子と取り巻きの舎人、他家に入り込んだ舎人らで、多治比嶋が、指図して密かに諜報活動を続けていた。そして大海人に逐次、大津の宮の出来事を知らせていた。 十分もすると、ふいに、大海人、皆の方に座り返り、 「読経は、切り上げる。兄を偲んでの、歌会にする。みんな歌を作れ」 「あれあれ、殿は、お気が変わりやすいこと」讃良があきれ顔で言うと、 「まあいいではないか。まず、わしから」と言い、しばし考え、和歌を詠った。 皆が次々に詠い終えると、法要は終わった。
|
|