続々と入ってくる報告で、危険が迫っていると判断した大海人一行は、六月二十四日、吉野を脱出して、険しい山道を、遠く美濃へ目指す。別に、舎人三人を古都飛鳥の留守番役人の所へ駅鈴をもらいに行かせた。が、役人は駅鈴を与えるのをためらった。 で、一人の舎人は、近江の高市皇子と大津皇子に脱出させる使いに行き、一人はすぐに大海人一行に追いついて報告した。もう一人は大伴吹負らに決起を説得しおえ、大海人の後を追った。
妊娠三ヶ月の讃良は、輿に乗って行動を共にしていた。一行の姿を見た人々には、まだ事態がよく分からない。輿を見て、高貴な方の行幸かと思っていたので、討ち取って手柄にしようと思う者はいなかった。が、大海人一行は内心冷や冷やものであった。 現在の大宇陀町にさしかかると、二十数人の猟師らが近づいてきた。弓矢を携えている。 一行が緊張していると、頭らしい者が近寄り、 「大海人の皇子さま、われらは鏡王女さまの家来筋の者です。あなたさまのお味方に馳せ参じました」と平伏し、皆の緊張が解けた。 それから、行く先々で、じょじょにだが、味方が増えてきた。 近江から脱出した高市皇子と現在の伊賀町で出会い、大津皇子とは、朝明川で合流する。 行軍中に、讃良の体調が悪くなり、小屋を焼いたりして暖をとらせること数回に及んだが、強行軍のせいか、流産し、二十六日以降、桑名で静養し、大海人は軍の指図で忙しい中、讃良を気遣って桑名に留まった。 が、高市皇子は、派遣されている不破の関からの連絡の悪さから、行宮を近くにするよう懇願してきた。 伏せっている讃良に、大海人は、 「高市が、不破に来てくれと言うが」 讃良はじっと考えて、 「殿、関ヶ原という地名はありますか」 「関ヶ原?、聞かぬなあ」 「では松尾山は」 付いていた舎人が言う、 「不破の関の南の、山ですが」 「となると、遙か後の、天下分け目の合戦とかある関ヶ原は、不破の関のこと……不破の関とは、どのようなところで」 「四方八方からの街道が交わる、要衝だよ」 「では、その背後数里の所で行宮を決め、そこで勝利の知らせを待たれたら」 「そうするか」 「ああそれから、その前に、皆の前で、高市にこう言って、『近江側は左右大臣以下優れた群臣らが軍略を練っておる、それに比べてわしには、知謀の軍師もおらぬ。お前たち、幼い子だけだ、どうしたらいいものか?』と」 「そう言うのか」 「高市には、こう答えるよう教えています、『近江の群臣は多いけれど、父上には皇祖代々の天の助けがあります。父上はひとりぼっちだと仰いますが、この高市、天地の神々のご威光をうけ、父上の代わりに諸将を引きいて、敵を征伐します』と」 「なるほど、ではわしは、高市を褒め、総大将にして、『ゆめゆめ、油断してはならぬぞ』と言うのか」 「さすが、天下を取るお方、お偉い」 「これ、主人を誉めるな、照れくさい」大海人は苦笑いした。 讃良の世話をしている、詩斐と大伯は、笑った。子供ながら大伯は懸命に叔母の世話をしていたのである。
|
|