天智の親心 天智十年十一月二十一日(グレゴリー歴でいうと六七一年十二月三十日)の朝、近江宮正殿の天智の病床へ、太政大臣・大友皇子と五人の重臣らが見舞った。 天智に、大友が心配そうに、 「父上、ご気分は?」 「苦しい…どうも、年を越せそうもない」少しあえぎ答える父に、 「そんな……」大友は顔をくもらせた。 「で、なんの話だ?」 「明日の新嘗祭は、取り止めにし、準備したものを片づけますが」 「新嘗祭か……」天智は、諦め切れなそうな表情を浮かべた。 新嘗祭(にいなめさい=しんじょうさい)とは、十一月の中ごろの卯の日に行われる宮中での儀式で、天皇がその年の新穀を、神々に供えるのである。だが、今の状態の天智には無理な話である。
天智は、ある考えが浮かぶ。そして皆に言う、 「取り片づけはせず、わしが今から話すことの準備に使え、まず、……」 聞いた内容に、皆は驚く。 大友が言う、 「父上、そのような事、前例がありませぬ。そもそもスメラミコト(大王)が……」 「あった、厩戸王(聖徳太子)の父・橘豊日命(たちばなのとよひのみこと・用明天皇)が亡くなるときに、……」 「ですが、父上……」子の話をさえぎり、天智は喘ぎながらも、あやすように、 「よいか……伊賀、それは、お前のために出来る、わしの最後の親心だ」言い終え、父は目をつむる。 大友は、嗚咽した。そして重臣らは、うなだれ、涙する。
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