(話を戻す) 自分も茶を飲み終えて、ふと高台院、 「のう、内府殿、そなた様の前世は大友の皇子で、亡き信長公は父親の天智天皇だとか」 突然の言に、しばらく間を置き、家康、安土城での事を思い返し、 「ああ、持統女帝の遺文のことですか……詳しい内容を、信長公は教えてくれませんでしたが、どうも先の帝の工作の作り話と思いますが……」 最初は、その内容を信じた家康であるが、その数年後、謀反を企てたとして、自分の嫡男・信康を、信長が処刑を命じた経過に、その遺文の内容が関係しているのかと、家康は疑い、あれは、時の帝・正親町帝と公家らが謀り、神職らを動かした偽文だ、と考えていた。その証拠として、黄ばみもせず異様に真っ白い紙の地が、宙に舞っている光景を思いだした。
「いえねえ、その文には、亭主の前世が孝徳帝だと、信長さまから明かされたと、亡くなる前に、亭主がふと話してくれたのですよ」 「コウトク帝?」 「何でも、大化の改新のとき、天智天皇が即位を辞退し、斉明女帝の弟である軽の皇子が即位したのが、孝徳帝だとか」 「はあ……」吾妻鏡の愛読者の家康は、源平争乱から鎌倉時代には詳しかったが、古代歴史には、簡略な知識しか持っていなかった。
「で、それに関して、気になることが、ありましてねえ……」 高台院は昔話をはじめた……
持統帝の手紙を信長が読んでから、五年も経つ頃、秀吉は中国方面へ遠征指揮官として赴いていた。で、奥方・おねは、長浜五万石の留守を守り、領主の代行をしていた。 ある日、村名主が、捕らえた乞食き坊主を、城に引き立ててきた。何でも、村人を惑わし、物品を奪おうとしているのを、見かけ、捕らえたとか。 白砂に座らされたその僧、蝦蟇蛙のような容貌で、ニタニタと、名主の訴えを聞き終え、 「いやはや、真言僧侶になり損なった名主どのが、そばで見ていたのに気づかぬとは、この果心にあるまじき失態でした。ははは」 坊主を縛った縄の端を持った名主、驚き、 「果心……お手前、まさか、あの有名な果心居士!」 松永弾正が(自分を怖がらせる妖術を見せよ)と戯れに言うと、数年前に亡くなった妻女を出現させて、震え上がらせた話は、世上に流布していた。その有名な幻術師が目の前にいたのである。 この名主、子供の頃、高野山にやらされ僧侶の道を歩もうとしたが、兄らの死去でやむなく還俗して家を継いでいたのである。果心居士は、どこか修行僧らしい雰囲気から、名主の経歴を見抜いたのであろう。
「そうじゃよ、わしは果心じゃが……妖術とはいえ、いい思いの夢を見させて、駄賃をもらうから、悪いことをしたわけではないがなあ」 「何を、言われる! 女に言い寄られる幻を見させ、銭を取ろうとしたのは盗人の所行ですぞ」 「ここの御城主さまは、他国の領地をすべて奪おうとなさる信長公のために、働く盗賊の手下、それに比べれば、愚僧など、ささやかな布施をもらおうとしただけの乞食坊主にすぎぬ」言い終えると、グウと腹をならし、果心は、ため息をついた
おねは吹き出した。 「これこれ、名主殿、妾に免じて、許されなされ。果心居士どの、ほほほ、世に有名な果心居士どのに会えて、これほど嬉しいことはない。お腹が鳴っておられるような。奥に上がられて、茶漬けでも食べられませ」
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