大海人皇子の秘密
不意に、階の上から声がする。 「お二人さん、お仲がいいですな」 振り返れば、皇太弟・大海人皇子が、笑い顔をしている。 讃良は、日頃のさわやかな笑顔と違う、作り笑いに感じる。 「あら、叔父様、いつの間にいたの」 「横の階を上がったら、逃げる讃良を有間が、追いかけていた、始終を見ていてね。恋の邪魔をしたかなあ。ごめんよ」 と言い、姉(?)の間人に会いに行こうとして、思い出したか、振り返り、 「有間皇子(ありまのみこ)、高麗の大使が、君にことづけた秘密の軍事同盟の件、母と相談したんだけど、いい場所を考えてくれないかね。大使たちが、こっそりと待機できて、楽しんでおれる所がいいが」 驚いた顔から、平静に戻った有間 「はあ、考えてみます」気のなさそうに答えた。 大海人皇子が、奥へ去ると 「ああ、驚いた。まさか、大海人皇子がいたとは。聞かれたかなあ。まずいなあ」 「あら、叔父に聞かれても困る話はしてないでしょう」 有間は、真面目な顔をして、 「姫、あなたの叔父は、童顔ですが、お父上より四歳は上の兄ですよ。それも叔母上(斉明)の養い子です。知っていた?」 「どういうこと?」 「ここではまずい。人に聞かれる。今から、叔母上の所に参内するけど、道々話そうか」 二人は階から立って、歩き出した。
この二人に離れて、何気ない顔で、大海人皇子の従者が、聞き耳を立てて、つけだした。 今で言う、忍びの者である。二人は気づかず、しゃべっている。 「蘇我入鹿が、叔母上の最初のお子なんですよ」 「この前、婆さま、そう話していた」 「じゃあ、知っているのかな。蝦夷に入鹿を引き取ってもらい、しばらくして、通ってきた男の子供を身代わりに自分の子として育てたのだよ。漢皇子、それが大海人皇子だよ」 「漢皇子? その人、子供の頃に亡くなっったと聞いてるけど」 「舒明天皇との間にあなたのお父様が生まれた頃から、実の親の里で育てられたんだ」 「でも、なぜ、弟になっているの」 「叔母上が、何を考えて、そうしたのか、判らないけど、大海人皇子が、童顔なので、弟を産んだふりをしたらしい。身内では絶対の秘密だよ」 「婆さま、変ねえ」 「ああ、急ごう。義母(はは)の所で、時間を取られてしまった」
つけていた男は戻り、間人皇女のご機嫌伺いを済ませた大海人皇子に耳打ちをする。 ため息をついた皇子 「有間に、軽皇子(孝徳帝)が教えていたか。殺(や)るか」 「若、あの娘はどうなさる」 「大田(自分の妃)の妹だから、手荒なことは……。妃にするか」 向こうから来る豪族を見付る。 「赤兄か、あいつを使おうか」 脂ぎった顔の、蘇我赤兄は、出世願望が強い男だが、傲慢そうで、人気はなかった。 この男に、大海人、有間を陥れるように、何日もかかって、そそのかす。 直接、有間をはめろとは言わない。 思わせぶりもなく、有間を陥れることを連想させる、上手な話術を、大海人はするのである。 大海人皇子は、爽やかな顔とは裏腹な、謀略家であった。
叔母と甥と孫 昼の御座所へ参内する有間に、讃良が付いてくる。 恋人と歩いているような、るんるん気分である。 「有間さま、わたしを、どう思う」 「どうって?」 「きれいとか、好きだとか、いろいろあるでしょ」 おませな讃良に苦笑して、 「姫は、かわいいね。ちょっとお転婆なところもすきだなあ」 「お転婆じゃないの。元気なの」ちょっとムクレタ顔をする。 「アア、お元気だねえ。じっと静かにしている人よりも、いいなあ」
斉明帝は御座所にすわり、五歳の孫・建(たける)が、まつわりついている。 「ああよしよし、建や。婆々が高い ゝ をするぞ。それ! 高い ゝ 」 持ち上げられた幼児は笑顔であるが、うめき声を上げている。 生まれつき口が、利けないのである。 この障害を持った孫を不憫に思い、斉明帝は、猫かわいがっている。
入ってきた二人を見て、孫を侍女に渡し、 「おお、有間や、遅かったなあ。讃良も一緒か」 「義母(はは)上様に挨拶にいって、話が長くなりまして……」 「そうか、アア、さっき、大海人から、話があったが、高麗の使節との盟約の場所だが、どこぞ下調べしてくれぬか」 「新羅には、知られぬような場所となると、はて……」考え込む有間 「ね、ね、有間さま、温泉地はどうかな。有間さまは有間(馬)の湯で生まれたから、有間と名付けられたのでしょ」 「温泉なあ。案外いいかな。どこか探すか」 「それは、いいかもしれんのう。そうじゃ、そなた下調べには、病の湯治に行ったことにして、病が治ったと、皆の前でわしに勧めるのじゃぞ」 「わかりました」 「それはそうとして、讃良が一緒なのはどうしてじゃ。……あれ、お前たち、相愛になったか」 慌てた有間 「いえいえ、そんな関係では。付いてきてもらっただけで……」 「ふーん……。お前達が夫婦になると、好都合じゃがなあ。……ああ、恋患いにせよ」 「はあ?」 「湯治に行く病は、讃良に惚れた恋患いがいい」 吹き出して、有間、 「叔母上、『薬師でも、有間の湯でも、効かぬは、恋の病ぞ、恋の病ぞ』と囃していますよ」 「まあ、いいではないか。讃良も満足げな顔をしておる」 「ハハハ、わかりました。毎日、讃良姫の顔を思い浮かべて、切ない気持ちになるよう務めます」 「嫌だァ、恥ずかしい」 「これこれ、お前達、のろけるな。ハハハ」
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