有間皇子の悩み
階を駆け下りた讃良の後を、追おうとした有間は、階を踏み外し、転ける。 呻く声を聞き、気づいた姫は、戻り、心配そうに 「大丈夫?」 「参ったなあ。私としたことが、そそかしいことを……。ちょっと打っただけだよ」 起き上がり、 有間は、尻をさすり、照れくさそうにする。 飾らないその表情に、讃良は惹かれた。 共に階の端に座り、尻をさすりながら有間、 「姫、私の家来が、気に障ることを言って、申し訳ない。でも、人は育つとき、急に一時背が伸びることがあるけど、いつまでも続かないようだよ。わたしは十四の時、急に三寸伸びたけど、後あまり伸びずに、今は普通の背丈だけどね。私を超えても、見上げるほど、高くはなりますまい。ああそう言えば、お父上(中大兄)は、私より二寸、背が高いですね。人様々ですよ。ああそれから、今のこと、どうか、お父上には話さないでください」 「なぜなの」 ため息をついて、有間は 「お父上に会うと、なにやら、嫌っておられる感じがするんです。これを聞かれたら、もっとひどくなるかもしれませぬし」 「あら、ていねいに、あなたさまに接しているけど」 「表面上は、そうですけど、心の奥底で、私が皇位を望んでいると、警戒なされているみたいですよ」 「あら、有間さまも、父の後を継いで、皇太子になれるんじゃないの」 「そのように思われるのが、大変困るんですよ。……入鹿を殺したケガレで、お父様(中大兄)は、帝になれず、ほとぼりがさめるまではと、代理で我が父が、帝になったでしょう。でも、父は欲もあったのか、まつりごとに精をだして、お父上の影を薄くしようと、計ったのです。だから、お父上も、周りの人達も、亡き父の子の私を、警戒しているのですよ。帝になっても、支えるもの全員に、ほったらかしにされたら、みじめを通り越して、世間の笑いものです。父のような身になぞ、なりたくない。皇族を捨てて、心安らかに和歌を楽しめる生活をしたいなあ」 目の前、正殿に立ち、はためく日輪の長旗を見つめ、有間は黙る。 「有間さま、年寄りくさい言い方よ、アハハ」 「まあね、でもそれが私の夢だよ。この頃、切にそう思う」 「皇族を捨てる、……て、できるの」 「叔母上(斉明)に相談しようかと思うんだが……。世の中は色々あるなあ。皇族は簡単には臣下になれないのに、臣下の者が、皇族になれるとは」つぶやいた。 「有間さま、それ誰のこと!」 「ああ……、何でもない」口を濁した。
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