間人皇女の住まいにて 斉明元年(六五六)の冬、板葺宮は失火にあい、西の川原に宮を移した。 仮宮であったのか、その翌年末、元の板葺きの宮跡で、造営がなった後岡本宮(のちのおかもとのみや)に移った。 斉明三年(六五八)5月、讃良は、叔母・間人皇女(はしひとのひめみこ)の住まいへ、遊びに行った。 先帝・孝徳帝の皇后であった女性であり、同じ宮中の中で、住らしている。 高床の階を上り、入り口を開ける。 建物の中では、侍女らと衣服の繕い物をしていて、二人の男が控えている。 「叔母さま、お早うございます。フーン、服の仕立てをしているの」 「讃良かい。いやね、有間が来ると聞いて、差し上げる服を用意していたのだけど、有間たら、大きくなっちゃって、服が合わないのよ、慌てて手直ししているの」縫いつけに夢中の、二十八歳の叔母は、姪に答えた。 そこにいる、貴人の少年と、側近の男を、姫は見る。 ……中年の男は塩屋コノシロという家臣であるが…… 翌年、謀殺の悲劇にあう、有間皇子(ありまのみこ)はこのとき、十八歳。 亡き孝徳帝の一人息子であるが、叔母の子ではなく、他の妃の子である。だから間人皇女は、義理の母にあたる。 生母は前の右大臣・阿部内麻呂の娘だから、この皇子の毛並みは高かった。 後ろ盾になるその祖父は、八年前亡くなり、なまじ皇位継承にちかいので、立場が危うくなっている。 この若者、みずら(左右に8の形の髪型)を結っている。昔の伝説の倭タケルとみまがう姿である。 浮かぬ顔をして、義母の裁縫を見ている。 讃良、側に座り 「有間さま、干し柿、食べて」讃良は、叔母にと、持ってきた串柿の一つをだす。 受け取りながら、明るい表情になり、有間皇子 「ああ、ありがとう、讃良姫、……この前、会ったときより、大人びておられるね」 「有間さま、何だか元気なさそう。病気なの」 干し柿をかじり、 「この頃、夜ねられないことが多くてね」 と有間は答えて、お互いの近況をおしゃべりする。 しばらくして、 「出来たわ、有間、こちらへ来て」 皇子に、青い上着の袍服を合わせ、 「アア、若い男の匂いが知るわ」と、有間の首すじに顔をよせる。 有間は、どきまきしている。 「叔母様、いやらしい。生母じゃないけど、親子でしょう」 「いいじゃない、讃良。さわやかな気分になれるの」 「それ、危ないんじゃない」 「讃良、わたし、有間に変なことをしないわよ。……ああ、有間、変なうわさを言われているけど、わたし、兄(中大兄)と何もないのよ。お父様(故・孝徳帝)が寄こした歌から、皆がうわさしているけど、気持ち悪いわ」 異母の子の婚は許されていたが、大昔から、同母の子間は、忌まわしい近親相姦としてタブーであった。皇太子とて、その禁をおかせば、流刑にあったくらいである。 「アア、叔母様、えーと、『金木(かなぎ)着け 吾が飼う駒を引き出せず 吾が飼う駒を人見つらむか』だったでしょう」
【厩で首を木に結んで、外に出さずに大事に飼っていた我が馬《=間人》を、人《=中大兄》は見つけただろう《=できていた の解釈もある》】
「叔母様、本当に、父となにもないの」 「なにもって……。亡き、あの人に悪いけど、男と女のすること、わたしは嫌いなのよ。他の人は堪らなく楽しいと、いうけどねえ」 「へえー……」不感症の告白を聞いて、讃良は目を丸くした。有間も他の者も驚いた顔をする。 「でもさー、帝様を残して、皆で、難波の宮から帰ったじゃない」 「あれはね、母が、難波の宮が水に合わない、大和に帰りたい、帰りたい、というからよ、わたしも海の潮風が、いやだったから、あの地を出たの。でも、今から思えば、兄や鎌足が、母にたきつけたのよ。……いまは後悔しているの。有間ごめんなさいね」 思わぬ詫びごとに、皇子まごつく。 「へー、そんなことで、帝様は一人きりになって、亡くなっちゃったのね」 「兄の嫉妬がさせたのよ。政事を進めていく名声が、うちの人に集まるから、拗ねたのよ。兄は皇位が欲しい、だだっ子よ」 「いえる、いえる。確かに父様は、そんなところがある」 讃良が笑うと、間人も笑った。 突っ立ている、有間は、ため息を出しそうな表情をした。
「ああ、さっきの歌だけど、あれ間違っているんじゃない。叔母様はいつもあっちこっち動いてるんじゃない。じゃじゃ馬じゃないの」 笑う讃良につられた、有間の家臣が笑う。 「ははは、面白いことを姫は仰せになる。大妃様も、乗馬がお得意で、駆けて何処へでも、お行きになられましたなあ」 「そうよ、建物の中で、じっとなどしていたら、気が狂いそうになるわよ。でも外へ出るからって、変なことはしていないわよ。あの人だけに尽くしていたのよ」 「信じますぞ。大妃さま。歳の差がある、あなた様を、先帝は宝物のように大事に、大事になされた」 「でもねえ、この頃は、母に、皇祖神への儀式作法を教え込まされて、大変だわよ。外へ気晴らしに駆ける事も、許してくれないし。兄に教えたらいいのに……。母は、何を考えているのかしら」 聞いてた皆も、首を傾げた。 間人を中継ぎの女帝にして、中大兄の即位を遅らせようと、斉明帝が思っているとは、誰も思わなかった。
座っている讃良を見ていて、思い出したように間人、 「ああ、讃良、こちらへいらっしゃい。上着を見繕ってあげるから」 讃良が立って、叔母と侍女が、萌葱色の反物をひろげ、あてがう。 交代に有間は元へ戻って座る。 見ていた家臣・塩屋コノシロがいう 「はて、姫様は十五におなりですか?」 「今、十二、今年中に十三歳になるの」 【本来なら数えで、十四と記するべきですが、現代に合わせて、満年齢で話を進めています】 「それにしては、よくお育ちですな」 百五十センチを超えた背丈は、もう少しで有間の背に追いつきそうである。 「ここ、二年のうちに背が、のびてなあ」叔母が説明する。 「いや、まっこと、お背が高い。若と同じくらいですな。大人になられたら、若をはるかに、追い越してしまいますなあ。ハハ」付きの家臣が笑う。 「これ! コノシロ」慌てて、有間が家臣を叱る。 讃良は、表情を変え、泣き出し、外へ飛びだして行く。 後を有間が、追いかけていった。
シマッタという顔をしている家臣に、ため息をついた間人は 「やれやれ、まずいことを……。讃良を有間の妃にしたかったのに……」 「申し訳ありませぬ」塩屋コノシロはひれ伏した。 …………………………………………………… 後に有間の皇子が、処刑されるとき、この家臣、連座して処刑されるが、首を切られる前、この時の出来事を後悔し、つぶやくのである。 「……思うに、愛でて、小高きこと、つぐれば……」 (思えば、ほめて、讃良姫の背が高いこと、口を噤んでいたら……今頃は我が主人は、中大兄皇子の娘婿になれていたのに……) 首切り役が 「ん? 何のことですかな」 「いや、別に」口を濁して、死についた。 日本書紀に伝わっている、最後の言葉は、「願令右手作国宝器」(願わくば右手《めて》をして、国宝のうつわを作らん)と意味不明な聞き違いを、載せている。 この言葉の報告書が、斉明帝に届くと、首を傾げた帝、考え込んだ末、伝えた少年、大伴安麻呂に、有間の皇子の遺歌を含む、万葉集を作ることを命じたのである。 (家にあれば、笥に盛る……)の『笥』と『器』を関連づけた、深読みの勘違いである。 ………………………………………………………………
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