夕暮れの宮殿にて その日の夕刻の時、斉明帝は、宮殿渡り戸の欄干から、夕焼け空を眺めていた。 また、孫娘が来る。 「婆ちゃま、どうしたの?」 「夕日を見て、考え事をしておる」 「ふーん」 後ろから、若い女性が駆けてくる。 「讃良姫、かってにどこかへ行かれては困ります。今日は本当に困りましたぞえ」 この女性は、志斐といい、持統天皇に長年仕えることになる侍女である。 「志斐、婆ちゃまのお供をしただけなのに怒らないで」 「何やら、恐ろしげな物が空から降りてきた、と聞いて、驚きましたわ」 女帝、 「志斐、あれはな、遥か後の世に転生した入鹿じゃろう。妾の念が、呼び寄せたらしい」 「ひぇー、陛下は、すごいお方ですねえ」 「くだらぬ力じゃ。それが起こると、悩みだけが増える」 夕日を眺めながら女帝、漏らす。 孫娘、祖母を見上げ 「婆ちゃま、あの雷神さま、蘇我の入鹿さまの幽霊なの。おいしい食べ物をもらったけど」 「いや、幽霊ではない。遥か後の世に、生まれ変わったのじゃろう」 「ふーん。じゃあ、母さまも、生まれ変わって、行ってしまったの」 寂しげな顔で、祖母を見上げる。 姉(太田姫)は、もうじき、叔父・大海人皇子の嫁に行ってしまうので、弟と二人残されるのが悲しいのである。 「讃良や、母さまは、空の上から、お前達の行く末まで、じっとお前達を見守っておられる。わしも居る。なあ、元気を出せ」 「姫様、わたくしめもおります。あなたさまの母親代わりを、しっかりと務めます」 うんと、讃良がうなずいたとき、外の景色は夕暮れに染まっていた。
未来にて 居酒屋のテレビが、高松塚古墳壁画の発見のニュースを流し終えると、 「曽我さん、僕の映像、見たでしょう」と、カメラマンの若者 「ああ、後がカットされてるが、あんなもんだろう」と、中年の操縦士 「実はねえ、後の天武・持統稜の映像の後が、みだれているんですよ」 「みだれている?」 「右側に回した、最後の十秒ほどが、補色なんですよ」 「補色?」 「白黒写真なら、白黒が反対のネガでしょう。カラーなら、ネガは、赤が緑みたいになってるでしょう」 「ああ、ドラマで、ときどき効果に使うね。じゃあネガが正常だろう。何が写っていたの」 「変な建物が……。昔の国府の建物の復元図があるでしょう。そんな感じですよ」 「あの辺の神社だろう」 「いやあ、違うなあ。飛鳥時代の板葺きの宮など、復元されてないでしょう」 「聞いたことないよ」 「……それに、ネガを見ていたら、黒く変色したんですよ。念のため、ポジのフイルムをみたら、真っ白になっていたし……、スタッフに説明を求められたけど、こっちも困りましたよ。(店の主人に向かって)オジサン、ビール、もう一本お願いします」 中年の男、曽我はビールを空けて、若者から注いでもらい 「そういえば、計器の時計と、腕時計が、二十分進んでいたが」 フーンといい、自分の腕時計を見た若者、店の掛け時計と見比べ 「あれ! 僕の時計も進んでいる」あわてて時計を合わせだす。 「飛んでるとき、ウツラ、ウツラしたが、その映像の頃だったなあ」 といい、中年、ビールを飲む。 「居眠り操縦ですか、危ないなあ」 「なんだか、昔の恋人を見つけたような、夢をみたような……」 「そういえば、僕もウツラ、ウツラして、なんか、母みたいな、なつかしい人にあったみたいな」 「お母さんは、健在だろ」 「母じゃないのですけど……。ああそれから、バッグに入れてたサンドイッチが、消えているんですよ」 バッグをテーブルに上げ、B5の紙切れを出して、置き、バッグの中を、中年に見せる。 「どこかで、こっそり食べたんじゃないの」 「食べてませんよ。サンドとジュースが無くなってるですよ」 時空を越えて現代に戻るとき、古代の記憶は消え失せたのである。 「ふーん、無くなっても、たいした物でも、ないだろう」 と中年は言い、紙切れに目をとめ、手にして読む。(ええーと……) …………………………………………………………………………………… 六五八年、有馬皇子、某叛のぬれぎぬで、藤白坂で絞殺される。墓所はそこか? 六七二年、大友の皇子、壬申の乱で敗れ、自絞。御陵ー滋賀県大津町御陵町 六九六年、高市皇子、母親身分低で、天皇になれず。墓ー大和国広瀬郡三立丘墓 六八六年、大津皇子、謀叛の疑いで処刑される。墓ー二上山の上 六八九年、草壁皇子、
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「何だね、これ?」書かれたメモのことを、中年、訊く。 「アア、高松塚の被葬者が誰か、調べるための下調べですよ。社の図書室の、歴史全集から、拾い出していたけど、飛行の時間が迫ってたから、中止ですよ」 鼻歌で、「風」を歌いながら、調べていたのである。 「被葬者は、もっと後、藤原京の終わり頃だから、この人物たちではないなあ」 「むだ骨でしたか」 「えーと、草壁皇子は、確か持統天皇の子だったかな。大津皇子の処刑の三年後に、亡くなっているのか。即位できなかったんだなあ」 「曽我さん、歴史に詳しいんですか」 「いや、井上 靖の『額田王』を読んだからね。ちょっとだけ、判るんだ。あの時代は、身内の権力闘争で、血生臭いことが、続いていたよ」 「たしか、飛鳥時代でしたねえ……。おじさん(主人)お勘定!」 ほろ酔い気分で、二人は店を出ていった。 置き忘れた紙切れを拾った店主は、ちらっと読んで、くず入れに捨てた。
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