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吉野彷徨  (T)乙女の章 作者:ゲン ヒデ

第4回   4
                  大阪城の幻影
 
飛鳥川の橋を渡れば、飛鳥寺の寺域である。南北三百メートル、東西二百メートルもある。
 現代(いま)は、普通の規模の寺院であるが、古書に
「……飛鳥寺《アスカデラ》址 蘇我馬子の本願に依りて真神原に興立し、法興寺又元興寺と号す。続紀に養老二年八月新京に移す事見ゆ、蓋之を平城左京新元興寺に併せたるなり。而も故地には別院を遺して、本元興寺と称し治安中まで存す、今、安居院(真言宗、号鳥形山、飛鳥大仏と称するもの)、の北に本寺址礎石数多あり、墾破して田圃と為る、院の西に五輪古石塔あり、土俗入鹿墓と曰ふ……」
 とあるが、六十年前に、蘇我馬子が建てた日本最古の大寺院は、寺域の南西部に、回廊に囲まれた中央に仏塔、その周囲三方に金堂、北の回廊の外に講堂、という伽藍配置で、荘厳な雰囲気を漂わせていた。

 寺の西門に近づいたとき、ふいに孫娘が質問する。
「婆ちゃま、天皇(てんのう)って、『すめらみこと』のことなの」
「てんのう?」祖母は怪訝そうに孫娘をみる。
「えーと、お空の『天』の字と皇帝の『皇』の字を続けて、天皇と書くの」
「天皇か、天照大神からの譜系なれば、そう称しても良いかな」
「おお、讃良の姫御子さま、すばらしい発想ですな。天皇ですか、漢の国の皇帝にひけをとらない称号ですなあ」
 先導する鎌足が、目を細めて讃良を振り返り、感心する。
 中大兄も同感し、女帝に
「天皇か、良い称号じゃ。それを採用しましょうか、母じゃ」
 讃良、父を見上げて言う。
「婆ちゃまは、いいけど、父(とっ)ちゃまには『天皇』はふさわしくないの」口をとがらせた。
「なぜじゃ、讃良」怪訝そうに、娘を見下ろす。
「『天皇』って、この国に住む人達の幸せを祈るような心を、持っていないといけないみたいよ。倉田麻呂の爺ちゃまを殺してしまったでしょ。建(たける・讃良の弟)の爺様が、何故、謀反をするのよ。疑い深い父ちゃまには、ふさわしくないの!」
 舅の蘇我倉田麻呂が謀反を企てている、との讒言を簡単に中大兄皇子は、信じ込んでしまったのである。
 父親一族が誅殺されたことで、心が痛んだ讃良たちの母、遠智娘(おちのいらつめ)は早死にしてしまい、幼い頃から、二女の讃良は、父を恨んでいた。

「讃良! おまえ……」目をむいて中大兄皇子は叱ろうとする。
「葛城、叱るな。見苦しいぞ。幼い娘に、本当のことを言われて逆上するな」
「はあ……」母に叱られ、皇子はシュンとする。
  女帝、体を屈め、孫娘にたずねる。
「讃良や、どうしてそのような言葉を知ったのじゃ」
「『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』という話しが、さっき浮かんだの。何のことかなあ」
 女帝、あの未来の若者を霊視したときの、少年期の学舎(まなびや)での授業の光景を、思い出した。教師に指されて、あの若者は、その文を読み上げていた。
(あの時の霊視を、側にいた讃良にも伝わったかも……)

「母じゃ、象徴とは何じゃろ」横から父が聞く
「人々のお手本になる心がけを持った者のことじゃろ。疑い深くて、人殺しが好きなお前にはふさわしくない、と言う事じゃ」
  うんざりした表情の中大兄は、無口になり、早足で先頭で門をくぐる。
  
 門を入ってくる帝一行を見かけた掃除中の小僧が、あわてて高僧のところへ知らせに行くが、かまわずに一行は北の中金堂を目指した。
 
 寺の三金堂と仏塔の伽藍を眺めて、孫娘が、斉明帝にまつわり、
「ね、ね、婆ちゃま、難波の宮に、高い、高い、建物があった?」
 女帝、立ち止まり
「高いとは、どれくらいじゃ?」
「大人の人の背丈の四倍の石垣が積んであってね、(金堂を指さし)その上に、あの建物よりちょっと広いぐらいの上に、瓦屋根の建物が四つ重なっているの。そうねえ……あの仏塔を、広げた感じかなあ」
 伽藍の真ん中の仏塔を指さす。
「そんな、どでかい建物は、難波にはないぞ」
「それに周りを、大きな石垣が取り巻いてね、その外に大きな壕があるの」
 そばで、聞いていた鎌足は
「讃良の姫様、難波の宮には、そんな、どでっかい要塞はありませんな。日の本じゅうにもありませぬなあ」
「ふーん。でもあったらいいかなあ」
「なぜですかな」鎌足尋ねる。
「高麗や新羅の使いをね、あそこへ案内したら、婆ちゃまの偉らさに驚き、ひれ伏しちゃうんじゃない」
「なるほど、唐土(もろこし)の長安を見た、我が国の使者が、そうでしたなあ」
  女帝、はっとした。
  あの未来の若者が、遠足で大阪城にいった園児のときの光景の断片を、思い出したのである。
 未来の若者の、幼いときからの、印象に残っている記憶を、読みとった時、讃良の頭の中に伝わったのかと、気が付いた。
 (まあいいか、あの若者の体験は、今の世には役にもたたぬ、しろものじゃから)
「鎌足よ、讃良が見たまぼろしの城は、何百年かのちの世に、難波の宮に建つじゃろう。
わしも欲しいが、今の世では無理なことじゃ」
 
 前を行く父が、
「母じゃ、早くしてくれ。仕事があるから、はやく帰らねば」
 せき立てられた女帝、
「やれやれ、急ぐ仕事とは、人を陥れる悪さを考えることではないか、鎌足」
「いえいえ、陛下。お口が悪い。三韓の情勢の検討で」
「難しいことに、なってきそうだのう」
「やはり、百済は、あぶないでしょうかなあ。我が国は、どう対処するか。頭が痛いことで」
「滅びそうになった新羅が、必死回生の策で、唐の力を借りて、百済や高句麗を苦境においやるとはなあ」
「新羅は狡猾ですなあ。利用した唐を、三韓統一のあと、追い出すでしょう」
「狡猾か、お前も、その狡猾に、まだまだ励むつもりじゃろ」
「陛下、まいりますなあ。……急ぎましょう」苦笑いで、鎌足、女帝を金堂へ先導する。
             

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Novel Editor by BS CGI Rental
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