未来びと との遭遇
少女、帰ろうと振り向くと、空中に、青い放電が巡る霧に包まれた物体が現れた。 そう、取材のヘリが時空を超え、やって来たのである。 おもわず、祖母に向き、 「婆ちゃま、あれ何!」 振り向いた斉明帝も驚いて、声も出ない。 草はらに風を吹き付けて降りて、ヘリの回転翼は止まった。十間(十八メートル)先である。
風防の中では、初老の操縦士が、二十五歳のカメラマンに 「電気回路のショートだろう。ボックスを開けて調べるから、外に出て、雑巾を濡らす水を手に入れてくれ」手提げビニール袋を渡した。 二人とも上着は、スカイブルーのブルゾンを着込んでいる。 若者は扉を開け、外へ出た。 小山の麓に、中年の巫女らしい女性と、上着は着物、下は縦のスリットの長スカート姿の、小学生らしい女の子を見つける。 女の子の服装が、高松塚壁画の女人のと同じとは、まだ知らない。 ふたりとも怯えた表情で、身動きせず、突っ立ている。 「済みませーん」彼は手提げ袋を持って、ふたりの方へ駈けていく。 間近によって、キャップを脱ぎ、頭を下げる。 「お騒がせして、済みません。ヘリが故障を起こしました。直したら、すぐ飛び立ちます。済みませんが、水がどこかにありませんか……水ですが……?」 なおも二人は凍り付いた状態であったが、ようやく少女が竹樋を指さす。 「ああ、あそこか。ありがとう」といって、若者、岩場の水を受けに行く。 斉明帝呻く (異様な姿じゃが、顔はどこか入鹿に似ておる。会いたいと祈ったが、まさか天から降りてきたのか……!?) 「婆ちゃま、あの人、雷人さまなの」 「わからぬ。言っている言葉は、はっきりとはわからぬが、ていねいにあいさつをしたから、どうも危害はくわえぬようじゃ」
ヘリの中へ水を運ぶと、操縦士は、雑巾を浸して、カメラマンに 「分解して部品を直すのに、十五分係るかな。狭いから、外で待ってくれないか」 「朝飯を抜いてきたから、持ってきたサンドでも食べています」 カメラマン、バッグを抱えて出てくる。 二人の近くの木陰に座り込み、バッグから買ってきたサンドイッチの箱と、テトラパックのジュースを出す。 そして食べ始めた。 少女は好奇心を持ち、祖母の注意を聞かず、若者に近づく。 サンドを食べていた若者、目の前に立ち、じっと見ている少女に 「サンド食べる?」と一切れ差しだした。 受け取った少女、恐る恐るかじった。 生まれて初めて、ハムとキュウリの入ったサンドウィチを食したのである。 「ウマシ(おいしい)! 」横で祖母、不安な顔をしている。 「ああ、ジュースも飲む?」テトラにストローを差し、少女に渡す。 フルーツ牛乳であった。 吸った少女、これにも驚嘆した。 孫にせがみ、祖母が残りの少しを口に含む。 (なにやら果実の汁と牛乳(うしちち)を混ぜた物のようじゃ。天上の者ではなく、どこか異国の者じゃな)
「ナムヂ、イズクヨリ、キタリシ(あなたは、どこからこられたの)」祖母たずねる。 若者は(えらく古風な話し方をするおばさんだな)と思い 「テレビ局のカメラマンです。高松塚古墳の取材撮影で飛んで来ました」 若者、ブルゾンの胸ポッケットから出した名刺を渡す。 『大阪府**市**** **放送 報道部カメラマン **蔵造 電話06ー***……』
「大阪(オオザカ)、パァテ……? 難波(ナムパ)ノコトナルヤ」 名刺を読んだ斉明帝、訊く 「ナムパ? ああ難波(なんば)か、大昔の地名ですね。おばさん、服に合わせて、古い話し方をしますねえ、ははは」 若者は笑った。 曲玉の首輪を架けた姿は、神社の偉い巫女さんそっくりである。 前の小山を見て、座っている若者は 「山頂から東の方まで木がなく、雑草だけど、おばさん、この小山は何という山ですか」 「甘橿(アマカシ)ノ丘ナリ」 「甘橿の丘……? 何かで読んだことがあるけど、何だったけ?」 「蘇我ノ館ノ跡ナリ」 「ああ、千年以上前に滅んだ蘇我氏の史跡ですか」感心して上を見あげる。 「婆ちゃま、吾子が生まれたときでしょう。十年前なのに」祖母に、こそっと言う。 孫にうなずき、若者に 「ナムジノ、名『クラツクリ』ナルガ、マサカ……」 「『くらぞう』ですよ。『くらつくり』なんて大昔の……、アアそういえば、たしか蘇我入鹿は、鞍作の別名があったなあ。ここへ不時着したのは、なにか縁があるかなあ」 「入鹿ニツキテ、ナムゾ知ルコトアルヤ」 「板葺の宮で中大兄皇子に殺されたのでしょう。えーと、虫殺しで六四五年、大化の改新か」 「ムシゴロシ?」 「年号暗記の語呂合わせですよ。今が一九七二年だから、六四五年だと、えーと千三百年ほど前か、ふーん……。でも変だなあ草だらけで木が生えていない。近年、明日香村で、山火事なんか、あったかなあ……。あれ、ここらは、桜が咲いてない」 春から初夏の季節に転移したことに、気づかない。 斉明帝は若者を霊視した。若者の前半生を知りたかったのである。 転生した入鹿の、波風のない穏やかな人生の断片を、かいま見た。
「ナムゾ歌ヲ歌ウテタモ」なにげなく、少女が頼んだ。 おばさんにあわせて、子供まで古風に話すので、おかしがった若者 「歌、歌ねえ……」すこし考え、 「♪人は誰もただ一人 旅に出て 人は誰もふるさとを 振り返る……プラタナスの枯れ葉……何かを求めて 振りかえっても そこにはただ風が 吹いているだけ♪」 日頃口ずさんでいる、はしだのりひことシュベルツの『風』を歌った。 もう一度歌え、とせがまれ、また歌う。 歌い終わった時、ヘリの操縦士が呼ぶ。 「蔵造君、治ったぞ。飛び立とう、放送に間に合わさなきゃ」 操縦士、斉明帝に頭をさげ「どうも、ご迷惑をおかけしました」と叫んだ。 斉明帝、初老の男の顔を見て驚く (もびと《=蝦夷》ではないか。二人とも、はるか未来に転生したのか。先ほどの祈りで、こちらに呼び寄せられたかも……。来世では、幸せに暮らしているのか) 救われたような気分で、男に頭を下げた。 若者は駈けて行き、乗り込む。 ヘリの回転翼が回り出し、浮上し、北へと行く。 するとヘリの周囲に霧がかかり、またも青白い放電が巡った状態で、山々を超えて行った。 祖母と孫は丘の稜線まで見届けたが、後を見付けた者によれば、 住吉社の上で消滅したとか。未来の伊丹空港へ、無事に戻ったのである。
【斉明元年五月一日、空中にして龍に乗れる者有り、貌、唐人に似たり、青き油笠を着たり、葛城嶺より、馳せて生駒山に隠れぬ、午の時(正午頃)及び至りて、住吉の松嶺の上より西に向ひて馳せ云ぬ。……日本書紀 巻二十六 斉明紀の条】
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