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吉野彷徨  (T)乙女の章 作者:ゲン ヒデ

第2回   2
              未来びと との遭遇

   少女、帰ろうと振り向くと、空中に、青い放電が巡る霧に包まれた物体が現れた。
 そう、取材のヘリが時空を超え、やって来たのである。
 おもわず、祖母に向き、
「婆ちゃま、あれ何!」
 振り向いた斉明帝も驚いて、声も出ない。
 草はらに風を吹き付けて降りて、ヘリの回転翼は止まった。十間(十八メートル)先である。

 風防の中では、初老の操縦士が、二十五歳のカメラマンに
「電気回路のショートだろう。ボックスを開けて調べるから、外に出て、雑巾を濡らす水を手に入れてくれ」手提げビニール袋を渡した。
 二人とも上着は、スカイブルーのブルゾンを着込んでいる。
 若者は扉を開け、外へ出た。
 
 小山の麓に、中年の巫女らしい女性と、上着は着物、下は縦のスリットの長スカート姿の、小学生らしい女の子を見つける。
 女の子の服装が、高松塚壁画の女人のと同じとは、まだ知らない。
 ふたりとも怯えた表情で、身動きせず、突っ立ている。
「済みませーん」彼は手提げ袋を持って、ふたりの方へ駈けていく。
 間近によって、キャップを脱ぎ、頭を下げる。
「お騒がせして、済みません。ヘリが故障を起こしました。直したら、すぐ飛び立ちます。済みませんが、水がどこかにありませんか……水ですが……?」
 なおも二人は凍り付いた状態であったが、ようやく少女が竹樋を指さす。
「ああ、あそこか。ありがとう」といって、若者、岩場の水を受けに行く。
 
 斉明帝呻く
(異様な姿じゃが、顔はどこか入鹿に似ておる。会いたいと祈ったが、まさか天から降りてきたのか……!?)
「婆ちゃま、あの人、雷人さまなの」
「わからぬ。言っている言葉は、はっきりとはわからぬが、ていねいにあいさつをしたから、どうも危害はくわえぬようじゃ」

 ヘリの中へ水を運ぶと、操縦士は、雑巾を浸して、カメラマンに
「分解して部品を直すのに、十五分係るかな。狭いから、外で待ってくれないか」
「朝飯を抜いてきたから、持ってきたサンドでも食べています」
 カメラマン、バッグを抱えて出てくる。
 二人の近くの木陰に座り込み、バッグから買ってきたサンドイッチの箱と、テトラパックのジュースを出す。
 そして食べ始めた。
 
 少女は好奇心を持ち、祖母の注意を聞かず、若者に近づく。
 サンドを食べていた若者、目の前に立ち、じっと見ている少女に
「サンド食べる?」と一切れ差しだした。
 受け取った少女、恐る恐るかじった。
 生まれて初めて、ハムとキュウリの入ったサンドウィチを食したのである。
「ウマシ(おいしい)! 」横で祖母、不安な顔をしている。
「ああ、ジュースも飲む?」テトラにストローを差し、少女に渡す。
 フルーツ牛乳であった。
 吸った少女、これにも驚嘆した。
 孫にせがみ、祖母が残りの少しを口に含む。
(なにやら果実の汁と牛乳(うしちち)を混ぜた物のようじゃ。天上の者ではなく、どこか異国の者じゃな)

「ナムヂ、イズクヨリ、キタリシ(あなたは、どこからこられたの)」祖母たずねる。
 若者は(えらく古風な話し方をするおばさんだな)と思い
「テレビ局のカメラマンです。高松塚古墳の取材撮影で飛んで来ました」
 若者、ブルゾンの胸ポッケットから出した名刺を渡す。
『大阪府**市****   
        **放送 
 報道部カメラマン **蔵造 
          電話06ー***……』

「大阪(オオザカ)、パァテ……? 難波(ナムパ)ノコトナルヤ」
 名刺を読んだ斉明帝、訊く
「ナムパ? ああ難波(なんば)か、大昔の地名ですね。おばさん、服に合わせて、古い話し方をしますねえ、ははは」
 若者は笑った。
 曲玉の首輪を架けた姿は、神社の偉い巫女さんそっくりである。
 前の小山を見て、座っている若者は
「山頂から東の方まで木がなく、雑草だけど、おばさん、この小山は何という山ですか」
「甘橿(アマカシ)ノ丘ナリ」
「甘橿の丘……? 何かで読んだことがあるけど、何だったけ?」
「蘇我ノ館ノ跡ナリ」
「ああ、千年以上前に滅んだ蘇我氏の史跡ですか」感心して上を見あげる。
「婆ちゃま、吾子が生まれたときでしょう。十年前なのに」祖母に、こそっと言う。
 孫にうなずき、若者に
「ナムジノ、名『クラツクリ』ナルガ、マサカ……」
「『くらぞう』ですよ。『くらつくり』なんて大昔の……、アアそういえば、たしか蘇我入鹿は、鞍作の別名があったなあ。ここへ不時着したのは、なにか縁があるかなあ」
「入鹿ニツキテ、ナムゾ知ルコトアルヤ」
「板葺の宮で中大兄皇子に殺されたのでしょう。えーと、虫殺しで六四五年、大化の改新か」
「ムシゴロシ?」
「年号暗記の語呂合わせですよ。今が一九七二年だから、六四五年だと、えーと千三百年ほど前か、ふーん……。でも変だなあ草だらけで木が生えていない。近年、明日香村で、山火事なんか、あったかなあ……。あれ、ここらは、桜が咲いてない」
 春から初夏の季節に転移したことに、気づかない。
 斉明帝は若者を霊視した。若者の前半生を知りたかったのである。
 転生した入鹿の、波風のない穏やかな人生の断片を、かいま見た。

「ナムゾ歌ヲ歌ウテタモ」なにげなく、少女が頼んだ。
 おばさんにあわせて、子供まで古風に話すので、おかしがった若者
「歌、歌ねえ……」すこし考え、
「♪人は誰もただ一人 旅に出て 人は誰もふるさとを 振り返る……プラタナスの枯れ葉……何かを求めて 振りかえっても そこにはただ風が 吹いているだけ♪」
 日頃口ずさんでいる、はしだのりひことシュベルツの『風』を歌った。
 もう一度歌え、とせがまれ、また歌う。
 歌い終わった時、ヘリの操縦士が呼ぶ。
「蔵造君、治ったぞ。飛び立とう、放送に間に合わさなきゃ」
 操縦士、斉明帝に頭をさげ「どうも、ご迷惑をおかけしました」と叫んだ。
 
 斉明帝、初老の男の顔を見て驚く
(もびと《=蝦夷》ではないか。二人とも、はるか未来に転生したのか。先ほどの祈りで、こちらに呼び寄せられたかも……。来世では、幸せに暮らしているのか)
 救われたような気分で、男に頭を下げた。
 若者は駈けて行き、乗り込む。
 ヘリの回転翼が回り出し、浮上し、北へと行く。
 するとヘリの周囲に霧がかかり、またも青白い放電が巡った状態で、山々を超えて行った。
 祖母と孫は丘の稜線まで見届けたが、後を見付けた者によれば、 住吉社の上で消滅したとか。未来の伊丹空港へ、無事に戻ったのである。

 【斉明元年五月一日、空中にして龍に乗れる者有り、貌、唐人に似たり、青き油笠を着たり、葛城嶺より、馳せて生駒山に隠れぬ、午の時(正午頃)及び至りて、住吉の松嶺の上より西に向ひて馳せ云ぬ。……日本書紀 巻二十六 斉明紀の条】

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Novel Editor by BS CGI Rental
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