甲冑工房 古墳時代から奈良時代までの甲冑は短甲(胴上部装着)挂甲(肩当て)が主である。 鉄の小札(こざね)を革紐または緒でおどす(鉄板をすべらせる様に重ねる構造で、紐で結んで防弾チョッキみたいにする)仕事を、彼らはするのである。 翌日から始まる。山部は、雑用を受け持った。気さくな性格であるから、弟子たちに好感をもたれている。 古い紐は解かれ、ばらされた小札を磨き朱漆、黒漆を塗り、欠けた部分に、鍛冶でつくる新い小札を補う。自慢の緋や群青、緑の鮮やかな伊賀組紐で小札をおどす。 3日後に、山部と綾麻呂、弟子たちは連れ立って 甲冑を田村第へ持ち込んだ。 家宰は驚く。甲冑が鮮やかな工芸品に生まれ変わっているのだ。 さっそく、衛士にそれを着させた。今までのが、みすぼらしく見える。 全部を順次修理に出すことと、銭(万年通宝)、反物、米俵を多い目に支払う約束をする。 銭は、邸内の鋳造作業所で作られている私鋳銭だが、押勝の権勢により官銭と見なされているのである。
その日から甲冑が運び込まれる。 運び込んだ、押勝邸の下男や役人に食い物や酒を奨め、綾麻呂は聞き上手に、邸内の出来事を聞いている。くだらない話も、熱心に相槌地を打つ。 彼らが帰った後、直ぐに、木簡に、なにやら書き込む。 忍びの本当の仕事が、情報の収集だと気づく。興味があるが、山部は聞かない。 情報活動 だんだんと、田村第との行き来が増えだす。 綾麻呂の木簡も大分溜まったようだ。 4月の末頃の夕暮れ前、瓜を弟子たちに配った山部は、綾麻呂にも上げようと、綾麻呂の小屋を訪れた。 多くの木簡を並べて、見比べ、なにやら、手紙を書いている。そっと、出ようとしたが、気がついた綾麻呂に招かれた。 本来ならば、見せないが、あなた様は特別ですよ、と説明する。 多くの情報の断片を組合すと、思いがけない事実が浮かんだり、作戦が立てられるという。 東西の高楼に押勝の孫が遊びに上って、慌てたから、入り口は塞がれている。で上って周囲を監視することはしていない。世間の反感も考えたのだろう。 2つの木簡を持ち、この使用人は、家宰と仲が悪い。またこの奥女中に気があるが、振られている。女は下級の役人の妻になるのが夢だそうである。ある程度、参内者名が分かる仕事もしている。 この男に官職を約束させ、女をものにさせ、こちらの手先にしてしまうのを、真備様に進言する、といって瓜をかじる。 「こちらに入り込んでいる、押勝側の手先が、まだ分からないのが残念でねえ。まあ、あせらず、嗅いでいきますか」
暗殺法 5月に入ると、田村第の衛士の着飾った甲冑が、都の評判になり、見物人が来るようにもなった。 聞きつけた、他の高官からも、修理の依頼で、甲冑が持ち込まれる。 ある日、持ち込んだ男と、綾麻呂が奥で話し込んでいるのを、見つけた山部、 「あれ、お前、智麻呂じゃないか。面影が似ている。お前たち親子か。気がつかなかった」 智麻呂は、舅の事業に出入りしていた、薬草採りだった。 医師になるのが、夢だと言うので、市原王邸の書庫から医書や草本学の本を持ち出し、写させたこともある。 今は藤原御楯(他にも同姓同名の者がいるが、押勝の娘婿の方)邸で食事係にありついた。 味付けが上手で、御楯に気に入られている。などと言う 「さては、御楯様を毒殺するのではないのか」 「いえいえ、そんなことをすれば、ご家族も同じことになり、露見しますよ」 にやにや、智麻呂は答える。 持ってきた橘を、一緒にかじりながら、ふと山部が言う。 「そうだなあ、毒を使わないなら、あれがある」 と言って、白米を偏食させて、脚病で死なすことを言った。 親子はぎょっとした顔をする。綾麻呂が言う。 「なぜ、貴人向けの秘中の毒殺法を、知っておられるのか」 山部は安積親王の話をする。ウナギと糠、胚がの話もした。 2人はまたも驚いた。特効薬を知らなかったのである。 「この方法で殺るのかね」 「あの方は、白米だけを食べることは、しませんからねえ」 「うーん、そうだなあ、道で会った時、赤ら顔だったから、塩が多い食事を摂らせば、卒中で亡くなるかなあ。あれは何の医学書に載っていたかなあ」 「ああ、なんと言うお方だ、あなた様は。絶対口外しないでくださいよ」 智麻呂、あきれる。
「で、いつ頃亡くなるのだね」 「1月か2月以内でしょうねえ」 「亡くなれば授刀督<近衛兵団長>はこちら側の者が就きますよ。こちら側の喉のとげが取れる訳ですよ」綾麻呂が解説する。
押勝の見学 それから数日後、作業所へ、不意に押勝が訪れた。周囲に警護の者達が付いていて、ここで修理した甲冑を着込んでいる。 仕事をしている者達は中断し、土下座する。居合わせた山部は平伏する。 「よいよい、気遣いは無用じゃ。仕事を続けよ。見物したいのじゃ」 あわてて、皆、仕事を続ける。 「ふんふん、なるほど、そういうふうに組みなおすのか。上手なものよのう」 1通り見終わった押勝の前へ、綾麻呂が平伏して言う。 「ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極でございます。われ等下賎の身にとっては、1生1代の誉れでございます」 「うんうん」うなづく。 刀の柄や鞘の修複中の物を見て、家宰に自家のも頼めと言う。 平伏したままの山部を見て言う 「たしかそなたは、白壁王のお子、山部君だったかな」 「はは、左様でございます」 「あの頃の少年が、こうも逞しくなっているとは。商人を目指したのだったなあ。…そういえば、井上内親王様はご息災かね」 「はい、お元気です。が上皇への取り成しは無理です」 「ほう、わしの、先がよく読めるのう。やはりだめか」 「はい、近年、皆様、よくお頼みに来られますが、上皇のご機嫌が悪いと、我が家まで危うくなると、父はお断りしておりますが」 「そうよのう、たしかにそうだ」上皇との過去を思ったのか。 ふと、山部は言う。 「いっそのこと、上皇さまにお会いして、他の者達を退け、2人切りになって、押し倒して勝つのはどうでしょうか。『どうですか、陛下、私めは道鏡殿より、立派な物を持っているでし ょう』と言って」 言ってしまって、シマッタと思った。 だが、目を丸くした押勝は、笑い出した。 「ハハハ、面白いことを言われる。わが押勝の名が、ハハハ」 しばらく笑いが止まらない。 静まって言う。 「いや、上皇と道鏡殿の醜聞は嘘だよ。上皇付きの老侍女と、道鏡殿の若い侍僧から聞いているがねえ。本当に呪法で病を治したんだよ。確かだよ。帝は、うわさだけで軽率に諫言なされて、まったく困ったもんだ」 しばらく嘆息する。 ふと考えて、山部に頼む。 「藤原宿奈麻呂の家を、知っておられるか。あの者に、手紙と贈答品を、届けてもらいたいのだが。わしの家来より、面白い君の方が、気を許すだろう。家宰に持ってこさせるが、頼む」 押勝が帰った後、綾麻呂は言う。 「お手柄ですぞ、山部様。これで押勝の手先が直ぐ分かる。上皇付きの老侍女と、道鏡様の若い侍僧か」 「見つけ出したら、除くのかね」 「真備さまは、こちら側に寝返らせると思いますよ。」
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