子供の坂上田村麻呂 おやつを食べ終わって退屈なのか、姪と甥が土俵の中に入って、例のわらべ歌の遊戯をしだした。 「朝日さす豊浦の寺の西なるや、おしてや、おしてや、桜井へ、おしてや、おしてや、白玉沈くや、吉き玉沈くや、おしてや、おしてや、然しては、国ぞ栄えむ、わが家は栄えむ、おしてや、おしてや」 見ていて気に入ったのか、他の幼児達も、土俵に上がって見よう見まねで、遊戯をする。 にこにこしながら、早良が出ていって、子供達に教えだす。 1人の官人と5人の庶民の一団から、6歳の子供が飛び出して、土俵に向かった。 父親らしき官人が叫ぶ。 「田村麻呂!父は相撲に参加するから、このおじさん達の処に戻れよ」 「うん」といって、土俵の中で早良について、皆と遊戯する。
坂上田村麻呂、後に、桓武天皇に見いだされ、征夷大将軍になり大功を積む人物で 【「赤面黄鬚」(せきめんおうしゅ,赤ら顔に黄色のひげ),腕力人に優れ,怒ってはったとにらめば猛獣も倒れるが,にっことほほえめば赤子もなつくと称された】 が、この時はまだ6歳の子供、片鱗はまだない。
相撲勝負 父親は、官服でない平服を脱ぎだした。 中年だが、武人らしく、日頃鍛えているのか、筋肉が盛り上がっている。 あちこちの大人相撲の参加者も、準備をしだした。 山部も服を脱ぎかけると、寺の高僧、善議大徳が酒の入った竹筒を持ってきた。 白壁王がすでに帰ったことを聞いて 「残念ですな。白壁様の好物のお酒だが、どなたかお召しになりませんか」 叔母が、公老に勧めた。目を細めて飲む。 高僧、土俵の上で子供達に遊戯を指導する少年僧を見る。 「ほう、確かあのお若い御僧は、白壁王様の御子で、東大寺で学んでおられる方では」 「そうです、早良といいますが、なにか?」母が尋ねる。 「いやあ、早良さまですか、慕われながら、わらべ達に、上手に教えられるのは、いい素質ですよ。おそらく優秀な経の講師になられますよ」 「あら、忘れていた。このお寺のなんとか言う経本を読ませてもらいたいな、と言っていましたが」 「わたしが案内しましょう。将来は、我が寺にも講師として招くかもしれませんな」 やがて子供達が土俵から下り、大人達の勝負が始まった。 組み合わせ勝ち抜き戦である。山部は勝ち進んだ。 他人の勝負を待っている時、側にいた田村麻呂の父親が、にこっとして、頭を下げた。 つられて山部も下げた。 はて、誰だったろうと思うまもなく土俵に上がる。 押し倒しで決める。 その男も勝ち抜く。 いつの間にか、最後に、二人の決勝戦となる。 行司役のかけ声が掛かる 「八卦良い、残った」(歴史考証上、このかけ声が正しいかは不明である) 二人は、張り手をしあう。共にすごい衝撃である。むっづと褌を取り合う。 ぐぐっと男が押す。土俵際で耐える。 うっちゃりをしようと仕掛けるが、相手は乗らない。 しばらく膠着状態である。汗が噴き出す。 急に相手が渾身の力で押し出した。山部は土俵を割った。 この間の周辺の声援は、もの凄いものであった。母、姉、弟は、しばらく声がおかしくなったそうである。 行司の勝ち名乗りが響く 「優勝者、坂上刈田麻呂殿」 (坂上刈田麻呂?かすかに聞いたことがある武官だが、なぜ、会釈したんだろう)と思いつつ、服を着る。
坂上刈田麻呂 母達は従者と共に先に帰り、弟は寺の僧坊に行った。 一人残っている山部に、声が掛かる。 坂上刈田麻呂である。 「お待たせしました。山部王。」 「坂上刈田麻呂さま、私には王の称号はありません」 「まあ、称号の有無など気になさいますな。直ぐ付きますから、ははは、山部王」 「ひょっとしたら、養老さまのご子息では」 「そうです、養老の子です。授刀少尉(親衛隊少尉)をしています」 「そんな方が、無位の私に何のご用で」 「まあ、そう急がせないでくださいよ。そうですなあ、あそこで、まずは、優勝の賞品の小豆餅を、食べましょうか。そうだ、彼らにも分けよう」 土俵周辺の掃除をしていた、連れの5人に配りに行く。 彼らは木陰へ、食べに行った。
山部を近くの庫裏の階段に誘い、座って共に餅を頬張る。 子供はもう餅を食べ終わっているのか、土俵の上で例の歌を歌い、遊戯をしている。 「あれは、我が子で、田村麻呂といいます。変なわらべ歌だなあ」 「たわいもない意味不明の歌ですよ。弟にいわれを聞こうかな」 が、失念して聞かずじまいになる。 「東大寺におられる、早良様でしたかな」 「よく知ってますね」 「ある程度、白壁王家のことは調べています。…でだ、少年の頃、あなたは、吉備真備様を『四面楚歌』でやり込めたことがあったでしょう。あの後、真備さまは、あなたにご執心でな、娘の婿にと思われたが、敬福殿の方に先に越されて、残念がったそうですよ」 山部、由利に抱きしめられた甘い匂いを思い出す。 「そういうこともあったのですか。では真備さまからのご用で」 「実はねえ、真備殿が仕える上皇陛下の内意を、伝えに来たのだよ。ここに陛下の、白壁王とあなたへの御教書がある。お読みなさい」
上皇の御教書 懐からだされた書状を恭しく受け取り、広げて読み、山部は驚く。 「上皇陛下は、帝(淳仁天皇)と惠美押勝様を相手に、戦をなさるのですか」 「すでに、帝は、周囲を我らの者が、固めているから、切り離せる。惠美押勝だけが、あがくようにする。我らは、惠美押勝の内部の事情を、出来うる限り逐次知りたいのだ。あなたには、困難なことは頼まない。あの甲冑の職人達を住まわせて、隣の田村第(惠美押勝邸)に出入りさせる手はずを、手伝ってもらえばいい」 餅を食べてる木陰の男達を、顎でさす。 「このような大事なことを、父でなく、無位の私に明かされるとは。裏切るとは思わないのですか」 「百済王さま、舅さま、御妻子の立場を考えれば、あなたは裏切れまい」 「そこまで、用意周到に、取り込まれていたのか」 「戦の準備は、すでに終わっている。後は、惠美押勝を謀反に追い込めば、いいのだよ」 「父に、この書状を見せてもいいですか」 「帰りに寄って、お見せしなさい。但しあの者を同席させてもらいたい。なお、あなた方、親子が、裏切られると、すぐさま、戦が始まる手はず、にもなっているよ」 「否応もなしですか」山部はためいきをつく。
5人の甲冑師の頭らしい者を、手招きする。 「山部様、わたくしめは綾麻呂と申します。よしなにお願いします」愛想のいい、細い顔の初老の男である。 「この者は、大仏建立時に、市原王邸の作業所にいたことがあるので、そこで甲冑修理をさせてくだされ。子細は、彼に従ってもらいたい。ではよろしく。…田村麻呂帰るぞ」 忍びの者? 綾麻呂は、若い弟子達を紹介した。 広大な境内を、坂上親子が帰るのと違う門へ山部達は向かった。白壁王邸に近い東北の門である。
みな職人風の者に見える。 が、綾麻呂の上着、垂領の襟のたれ紐を見て言う。 「その伊賀組みひもからみて、あなた達は伊賀の忍びかね」 いやに凝っているのである。 「よく伊賀の出だとおわかりで。で忍びとは何でしょうか」 惚けているのかと思ったが、山部は、丁寧に、昔、聖徳太子が秦の河勝(香具師の祖)・服部氏族(伊賀忍者の祖)・大伴細人(甲賀忍者の祖)らを使って、各地の情報を収集した諜報の説明をする。 感心した綾麻呂は 「へえ。私どもが忍びの者と呼ばれているとは。それにしても『忍び』とは良い響きですな。名前を『忍び』に変えようかな」 と、とぼけた事を言う。 「おいおい、それじゃあ盗人が盗人(むすびと)と名乗るようなものだよ、ハハハ」 「だめですかなあ、『忍び』惜しいなあ」 残念そうである。 「で、若い頃は、人より早く走れたのかね」 「いや、村で1番遅かったですよ、幼友達らにいつも泣かされましたよ」 「じゃあ、人の家へそっと忍び込むのは、巧かったかね」 「はい、多少は出来ます」 そばの若者が言う。 「嘘ですよ。若様。うちの親方はね、若い頃、おらの母の処へ夜這いに来て、物につまずいて悲鳴を立ててね、祖父に見つかり、半殺しの目にあったんですよ。ハハハ」 「やかましい。そのおかげで、お前はこの世にいるんだから、わしに感謝しろ」 皆、にやにやする。いやはや、とんだ忍者の頭である。
寺門を出たところに、手回しよく甲冑師達の荷車が待っていた。 少年が番をしていた。親方の末っ子だとか。 荷車を引いて、近くにある白壁王邸に入る。
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