お隣の親子 同じ頃、隣の屋敷の主人、惠美押勝は邸内西の木々の間を散策していた。 初老の押勝は、美男が崩れたような神経質な顔に変わっている。 3男、久須麻呂が従っている。 長男はすでに亡く、次男、真先を飛ばして、この者を跡取りにと、押勝は考えていた。 次男を疎んじている訳ではなく、鈍重気味な次男より、敏速俊英な3男が一族を率いてゆけると考えていた。 逆に言えば、冷静沈着な兄より軽挙妄動な弟を選んだことに、押勝は気づかなかった。 押勝、立ち止まって、お気に入りの松の木の枝振りを眺める。 「父上、道鏡に付いている草の者からの知らせですが、真備が、道鏡の所に、怒鳴り込んだそうです」 「真備は病だろうが」 「おそらく、仮病でしょう。怒ったのは、宿奈麻呂の変の事ですよ。あれは、道鏡が糸を引いていたそうです。宿奈麻呂を嵌めた弓削男広は、同族の弓削浄人(道鏡の弟)に唆されて、密告したことを、真備が知って怒ったのですよ」 「妙じゃなあ、わしを良く思わぬ同士が。これは何かあるぞ。草らとのつなぎの回数を増やせ。世間に気づかれぬよう連絡を工夫をしてな」 「そうします。上皇の方の草ももっと働いてもらいましょうか」 「任せる」 「父上、上皇の側近らの動きが激しくなっていますが、彼らは謀反を起こす準備をしているのではないですか。早い内に一網打尽にしては」 「いやあ、今は無理だ。上皇のご威光が強くなっておる。道鏡め、まつりごとに目覚めさせおって。するなら、女として目覚めさせればいいものを」苦笑いする。
路を隔てたお隣から、遊戯の歌が聞こえる。 『朝日さす豊浦の寺の西なるや、おしてや、おしてや、桜井へ、おしてや、おしてや、白玉沈くや、吉き玉沈くや、おしてや、おしてや、然しては、国ぞ栄えむ、わが家は栄えむ、おしてや、おしてや』 「白壁の子の僧じゃな、子供達をあやしておるのか…。変な歌詞じゃなあ」 「そういえば父上、井上内親王付きの侍女の草が、解雇されましたねえ。まさかと思うが、白壁王は草の存在に気づいたのでは」 「いや、大丈夫だろう。あの男は、長屋王の様に一家惨殺されるのを怯えているのだ。だから、変な素振りの家臣は裏切ると思っているのだろう。はは、いくら妻が先帝の長女でも、傍流の皇族では、皇位継承の埒外だのにのう」 隣から、家族の笑い声が聞こえる。白壁の怒る声もかすかに聞こえた。 「楽しそうな家族の集まりか。わしも、早く子や孫と笑って 暮らしたいものよ」
相撲大会 市原王邸から東南2.5qほどの処に、大安寺がある。 現在よりも、大規模な伽藍を誇る大寺であった。インド、中国、新羅の僧がいたこともあった。
寺へ行く一行は、白壁王、着飾った母新笠と姉能登と、2人の子、僧の早良、山部、従者2人である。 広い境内の1隅に土俵が設えてある。周辺の官人達が寄付をした。当時は相撲ブームであり、自分たちで相撲を楽しむ場所を確保したのである。 古来の相撲は、殴り合いや蹴り合いもある、荒っぽい試合であったが、奈良時代に入って、「突く・殴る・蹴る」が禁止され、ほぼ現在の姿になった。 聖武天皇は相撲を特に好んで、全国から力士を集め天覧試合をしばしば行った。この親子、光仁、桓武も同じく好んで、後に、試合をよくさせるのであるが。 大安寺で催す相撲大会は、寺の行事ではなく、休日の官人たちのイベントであった。 試合は、子供の部と大人の部に分かれ、子供からはじめる。
試合が始まる前、すでに大勢の観客が集まっている。現代の地域の運動会みたいである。 土俵周りの観衆で、特に目立つのは、設置された大きな日除け笠の下の女性貴人である。7、8人の従者がかしずく。文字通り、乳母日傘(おんばひがさ)で育てられた、白壁王の正妻、井上内親王である。 故聖武天皇の最初の子であるので、生まれながら、椀と箸を持って食事する以外は、全て侍女達が世話する。下品な話だが、下の始末(トイレットペーパー、落とし紙は、まだ無いので、木へらでの処理か)も、他人の手である。 常人とは、思考が違うのも当然である。おおらかで、浮き世ばなれした感覚で、生きている。
で、白壁王が、引き連れてきた山部の家族、特に新笠を見つけても、嫉妬心が起こることなど皆無であった。 世の中の者は自分にかしづいているな、という感覚である。 で主人の白壁王までが、かしづいて 「姫みこさま、ただいま戻りました」 「あなた、お帰りなさい。あら皆様も御一緒ですか。ああ山部、あなたが仕入れた旅でのおもしろい話、妹(孝謙上皇)に話したら喜んでいたわ、また教えなさいね」
【この前の話は、野宿の男が、見つけた髑髏を供養して、夢にでた霊が礼を言い、殺されたいきさつを話したので、家族を尋ねて教え、犯人が白状する筋書きだった】
「はは、姫みこさま、喜んで」と言い、同じ横長の床几の横の14歳の弟、他戸王と10歳の妹、酒人女王には軽く、挨拶する。 他戸王はやや太り気味である。酒人女王は子供ながらも、山部は、いつも妖艶な目つきを感じ、なぜかどきどきする。 子供ながら、どうも山部に気があるようだ。 あわてて目をそらせ、きょろきょろ人を捜す。 「叔母、難波女王さまはどちらに」そばの侍女に聞く 離れたところの日傘を教えられて、荷物から3個の反物を持っていった。 井上内親王は夫に話している 「あなた、どうこの髪型」例の竜宮城の乙姫の髪型である。 「ああいいよ」ためいきを吐くように、誉める。
難波女王 山部は、叔母に2個の反物、日傘を持った家臣に男柄の反物を渡した。 百済伝来の、交野で織られた絹織物である。高価な物である。 この家臣は、親の代から白壁王家に仕えている。50歳位で、叔母の愛人らしいが、妻子はいる。 難波女王は白壁王の唯一の実姉であり、数歳年上である。 志貴皇子は何人かの妻を持ったが、紀橡姫(きのつるばみ と読むか?)の産が、難波女王と6男の白壁王である。 母親は、白壁王を産んだその年に、亡くなっている。 また父、志貴皇子は、白壁王7歳の時、亡くなっている。 姉が親代わりで育てたらしい。紀家の支えがあるとはいえ、生活が苦しくなり、小さい頃、髪結いが上手な侍女に習っていたので、こっそりと髪結いの仕事をして、弟を支えた。 客には都で一番の技量者と誉められている。人前での金稼ぎの仕事を、皇族は禁止されていたが、さいわい知った者は同情して、密告しなかった。
【山部は皇族の外なので、商人のまねごとが出来たが、天皇になると、その経歴は歴史から消される】
やっと、弟が28歳で初位になったので、髪結いはやめた。で、弟、白壁王は、姉に頭が上がらないのである。 弟が井上内親王の婿になってから、弟に勧められて、新邸内で暮らした。いい住居をもらって、据え膳、上げ膳の優雅な暮らしであった。この家臣一家も、呼ばれている。 ある日、井上内親王の髪結いをしている侍女が、新米だったので、見かねて代わり、あざやかな手さばきで、美しい髪型に整えた。侍女ばかりか、内親王も驚嘆した。 そして、内親王は、自分の髪の手入れの仕事を、これからは小姑、難波王女がするよう、 ・命・じ・た。【この貴人には、常人の(おだてて頼む)という才覚が皆無なのだが、これが後に、嫁と小姑の間に大変な悲劇を生む】 かちんときた小姑だが、弟が、内親王のご機嫌を損じては、と頼み込んだので、しぶしぶだが、髪結いを担当した。
山部からもらった反物の柄をちらっと見て、叔母は言う。 「欲しかった反物、ありがとうね、山部、お前はほんとに気の利く子。それに比べたらあの親子は」目立つ内親王の日傘を見る。 理由を知っている山部 「仕方がありませんよ、普通と違うお育ちだから。あの方達のおかげで、楽な暮らしが出来るから、多少の我慢は」 「そうだわねえ。あら他戸の出番だわ。…ああ弱いわねえ。簡単に相手に押されて、一回戦で敗退とは。ああ、また、悪態をついているわ。みっともないわねえ。…弟があやすのに手を焼いているわ。…やれやれ、静まった。あら正妻さんが引き上げていくわ。まあ、弟まで一緒に。おまえにがんばれよ、とだけ声を掛けて、まあ薄情な父親だこと」 「いつものことですよ。正妻様あっての、わが一族でしょう」 「でも、嫁にぺこぺこする男に育てた筈は、ないけどねえ。あら、新笠さんが呼んでいるわ。あちらへ移りましょう」 おやつ時 子供の相撲の試合が進む。笑い声や声援がどよめく。 決勝戦で勝ったのは、武官の家来の子である。父親が、優勝の賞品の小豆餅の籠を、子から預かっている。 で一休み、中食の時である。(後の江戸時代初めまで、食事は朝夕2回、昼食の習慣はない。現代の3時のおやつのような間食であるが、たまのレクレーションだから、お弁当もあるのか?) おやつの包みは、かき餅、揚げ物の唐菓子、干し柿、なれ鮨など。それらを取りながら、叔母、母、姉はうわさ話で盛り上がっている。 山部は叔母付きの家臣と話している。この男は槻本公老といい、家計の苦しい時に暇を出したが、白壁王の位が上がった時に、呼び戻した。東大寺の開墾関係の仕事に、ありついていたそうである。 その時の若狭に赴任した話を、聞いていた。 几帳面な性格から、白壁家の家計の帳面付けをも任されている。 内々に、邸内に務める者の監視役をも、仰せつかっている。 【一昔前、滅んだ長屋王一族に、藤原氏にそそのかされ裏切った配下がいた。もし、邸内の井戸に、天皇やその家族を呪うワラ人形でも放り込まれたら、大変な事態になるのである。妻が天皇(上皇)の姉という似た境遇だから、用心深く、目立たない処世法を、白壁王は心がけていた。長屋王の2の舞、だけはしたくなかったのである】
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