その夕刻、徒目付が、但馬屋に赴き、側近の言を伝えると、但馬屋は、驚いた。 「手代との婚儀を許したばかりですが」 「すでに男女の仲か」 気が回らなかった九左衛門は、つい、 「いえ、まだ……」と答えてしまった。 「ならば、よいではないか。諦めさせよ」 「ですが……」 「娘ごが、お世継ぎでも生めば、もうけものよ。前のご家老・村上様の養女にでもしてもらうからな。……若殿さまの ご意向をことわるなど、考えるなよ、よいな。それから、若君が、外で、そなたの娘を見そめたことは、絶対口外するな」
役人の帰った後、一晩中悩んだ九左衛門は、翌朝、居間に清十郎を呼んだ。 苦渋に満ちた表情の主人が話す、 「ある事情で、お前と、お夏の婚儀は、なかったことにする」 「ええ!旦那様、どういうことで?」結婚を許されてから、翌々日である。 「だから、ある事情がおこったのだ。すまぬ、お夏のことは諦めてくれ。それから、お前には暇を取らせるが、当座の金も出すし、勤める他の店も世話しよう。どうか、わたしのわがままをきいておくれ」懇願し、頭を下げる主人に、説明を求めたが、九左衛門は、(どうにもならぬ)とだけで、詳しい理由を言わずじまいであった。
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