漢風諡号 ある日、図書寮へ淡海三船が訪れる。 この中年の男、壬申の乱で自絞した大友皇子の、直系のひ孫である。 山部王、この人物、鬱屈した心情を持っていると感じる。
「図書の頭殿、だいぶ前、淡路の帝に初代の『はつくにしらすすめらみこと』から『氷高皇女』様までの漢風諡号を一括撰進したのですが、改めて今の陛下の御承諾を得たいが、陛下のご信頼厚いあなたに、提出してもらいたいのですが」と言って、歴代帝の漢風諡号が書かれた紙を差し出す。 「ああ、分かりました。陛下に言上しましょう」と言い、紙面を見る。 「神武、綏靖、安寧、…」山部王、感心しながら読む。 「元明、最後が日高皇女様の元正ですか。成る程ねえ…」 ふと、一人の諡号を見る 「博士、この『持統』は広野姫のすめらみこと、ですね」 「ああそうだが」 「持統の字義は?」 ううっと詰まるような顔をし、淡海三船 「そうですなあ、子の草壁皇子に先立たれ、孫の軽王(文武帝)が継ぐまで、皇統を維持した、との意味で撰しましたがね」 本当は、天孫の皇統が、持統帝の女系で繋がっているということから名付けたのである。 彼も、天武帝の出生の秘密を、知っていたのである。 彼は天智帝の子孫(大友の皇子のひ孫)であると同じく、天武帝の子孫(十市皇女のひ孫)でもある。 この秘密、世間に喋ると、抹殺されることを十分に弁えていた。
「山部王、君も天智帝の子孫だよねえ。悪どいことをして、子の草壁を帝位に就ける矢先に急死されただろ。持統に、ざまあみろ、と言いたくないかね」 にやりとし、三船は帰っていった。
夢の手伝い 藤原良継の邸で、真備と良継が碁を打っている。百川が観戦している。 1手打ち終え、良継 「右大臣(真備のこと)、宇佐八幡に参詣なされたことが、おありですか」 「4回になるかなあ。遣唐使船の安全の祈願、無事帰国のお礼で行ったが」 「私もこの前の太宰師のとき訪れましたが、霊験あらたかなお社でしたなあ。ですが仕えている神官らは2派で、いがみ合っているそうです」 と言い、続けて、都で見付けた分社の事に触れる。 百川が後を説明する。 「あの小さい社は、宇佐八幡大神が大仏鋳造を助けるとの神託が都にもたらされた後、分祠されたそうで。何年か後、神託が偽りだと露見して男女の禰宜らが流刑に遭ってから、参詣者がなく、朽ち果てるのを見かねた中臣阿曽麻呂の一家が、世話をしてますな」 「ああ、阿曽麻呂か。たしか備前の守にしたな」 彼ら藤原氏には明かさなかったが、実はその男は、藤原氏の氏の長者に仕える草忍であった。 押勝を裏切った功により、真備は、備前国司にした。
「なんでも、出世の願が成就したから、世話に力が入ってまして」百川が言うと、真備 「その者、使えるかもしれぬ。来年の除目で弓削浄人を太宰帥、その者を大宰主神に就かせて、結託させて、宇佐八幡の『道鏡を帝位に』という神託が下ったと、報告させるのはどうじゃ。過去の神託から、胡散臭い神託なのが、味噌だがな。その者、この邸に来させるが、百川君、説得してくれ」 「では、その後、神託の真偽を確かめるため、誰かを確認に行かせるですかな」と良継 「そうですなあ。正義感が強く、謹言実直で、陛下の信頼が厚くて、皇家を尊ぶ人物が、それから道鏡の呪術の虜にならない者が、ふさわしいですな」真備、碁を打つ。 「真備様、そんな虫のいい人物がいますか」良継呆れ、碁を打つ。 「和気清麻呂が適任でしょう」宮中で仕えている百川、横から断言する。 「そちらは、私が説得しよう」真備、言い終え、碁を打つ。 次ぎに良継が打ち、詰めて良継の勝利となる。百川、碁盤を片づける。 密談の仮装のための碁であるから、別に真備、悔しそうな顔をしない。 真備、厠を借りに行く。
ちょうどその留守に、山部王が入ってくる。 良継、山部王に、真備が座っていた上座を、うっかり勧める。 戻った真備に、山部王、慌てて席を譲る。良継はシマッタとの表情である。 山部王は、少し位を上げて、大学の頭になっている。兵部卿の良継への、事務上の連絡で来たので、用件を伝えて、直ぐに役所に戻る。
良継の、山部王への下にも置かない態度に、不思議がる真備。 位は良継の方は従三位、山部は下の従五位である。 「良継殿、貴公、山部王を婿に迎えるお積もりかな」 「はい、そう願っております」 「ですが、あなたの娘ごは、皆、嫁に行かれ、先ほど見かけた、六歳くらいの子だけでは」 「将来、あの子を嫁に遣りたいのですが」 「まさか、ハハ。十年後だと山部王は四十歳位ですぞ。諸姉様なら、歳が釣り合いますがなあ」 「そうか!その手が在ったか」良継、はっとした表情。 横で聞いていた百川、怒る。 「冗談じゃない。兄上、私は諸姉とは別れませんよ。別れさせられたら、兄上の夢の手伝いなどしませんぞ」 気がついたような顔をして、良継 「ああすまぬ。お前が夫だということを忘れていた」 「まったく、何ですか」ムクレル百川。
(夢の手伝い?はて何のことだろう)と思いながら、真備、帰り支度をした。
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