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平安遥か(W)千年の都へ 作者:ゲン ヒデ

第5回   5
               百万塔陀羅尼
 ある時、押勝の乱の死者の供養を、帝が思いたつと、道鏡はとんでもない入れ知恵をした。
 百万の仏塔に陀羅尼を納め、諸大寺に納めることである。
 大極殿で、帝から発議され、諸臣、困り果てる。
 道鏡の進言で、経文と仏像にも関わる役所の長としての図書の頭、山部王に御鉢が廻る。
 帝の前で恥をかかされたと思っていたから、道鏡は内心ほくそ笑んだか。

 御前に進み出た山部王、考え込み、帝に言う。
「思案がありますので、10日ほど、お答えの猶予を。それから、その4種の陀羅尼の経文の手本ですが、陛下、御自らお書きになられた物をお与え下さい。それらは、1字づつ、書かれては礼拝合掌をする、丁寧な供養の儀式をなされて、有り難い経文にしていただきたく…」

 その日の帰り道、馬上である。
 一緒の父が、
「大変な難問を押しつけられたなあ。何か策があるのか」
「いささか、考えが浮かんでいますが、調べなければ」
 と言い、手綱を持っている自分の家臣に、声を掛ける。
「山守、木地師の豊麻呂は、今も西市で、商いをしているのか」
 この壮年の家臣は、あの舅からの付け人であった。名を津の山守と名乗っている。
 気心の知れたこの男が、最初の家臣となった。
「はい、木椀を息子らに作らせ、あの老人、売る方に回っていますが。何用ですか」
 山部王、百万塔陀羅尼のことを話し、策を説明する。
 父も家臣も瞠目する。
「若殿、貴方様を、図書の頭などの小役人にしておくのは惜しいですなあ。商人を続けていたら、この国1の大富豪になられるものを」
 横で聞いている白壁王、苦笑いする。
「今すぐ会いに行こうか」父と別れ、山部王と家臣は西市へ向かった。
           

               木地師、豊麻呂
 平城京の左京と右京の8条に、対称的に2つの官営市場が設けられていた。
 東市と西市である。共に2万坪以上あったとか。
 西市は、月の後半、15日から30日まで開かれていた。
 官人に現物支給された、租、庸、調の品々の処理のための場でもある。
 持ち込んでの物々交換が、なされている。
 銭を介在しての支払いが多いが、銭の価値の乱高下で、交渉が長引く事もあったであろう。

 低い長屋式の建物が列び、南面を解放した見せ棚に、多くの商売人らが入っている。
 山部主従は馬を市場役人に預け、長屋式の雑多な店棚を眺め歩く。
 見知った店主たちが、主従に声を掛ける。
 この前まで、商い相手であった。
 山部は「おお、久しぶりだなあ、元気にしているか」と、にこやかに応対する。

 この主従のことは、商いの仲間内では、有名である。
 商人の婿で、貴族の庶子が、あっと言う間に、高級官僚に出世し、付人の番頭が家臣になったのである。
 普通なら近寄りがたくなるのだが、二人は今まで通り、気さくに接する。

 色々な木椀を並べた店についた。前の方へ地味な朱塗りの日常の椀、奥には金、銀、螺鈿を散りばめた工芸品の椀が並べてある。
 目的の店では、少年がひとりで退屈そうに留守番をし、通行人は通り過ぎている。
 山部、中に入り、少年の横で、外に向かい、
「さてさて、貴人に仕える家人(けにん)、侍女の皆様よ。とくと見られよ。この漆塗の木椀を。天下の名工、木地師、豊麻呂が丹精かけてこしらえたこの品々を。ご主人様は朝晩、金銅の椀を持って朝餉、夕餉をなさっておられんかな。あれは手が疲れる。銅を舐めているようで、味もおかしい、それに熱が伝わるから、手に熱いし、すぐ冷えてしまう。
これを買って帰り、今夕の食事を盛って、ご主人に差し上げて見なされ。必ずやお褒めの言葉を賜りますぞ。ハハ、胡散臭そうに私を見なさるな。お上が、大儀そうに金銅の椀を持たれて召し上がるので、見かねて、此処の木椀を差し上げたら、お褒めの言葉を、私めはいただいた。お上とは畏れ多くも女帝様のことですぞ」
 
 立ち止まって、聞いてる者らは、驚いている。浅緋の朝服の人物は5位であるから、正真正銘の帝に会える高官である。その人物が呼び込みをしている。
 上手に山部、客あしらいをする。皆は椀を吟味し、買い始める。
 少年忙しそうに椀を包み、代を貰う。山部も家臣も手伝う。

 少年の祖父は、厠からの帰り、こっそり、この有様を見ていた。
 客が済んだ頃、
「ああ、山部様…ではなく、山部王(やまべのおおきみ)。その様な、下世話な事をなされては、ご身分にさわります」
「豊麻呂か、かまわんよ。首になれば、また商人に戻るさ」さわやかな笑顔、
 
 さきほどの山部の話が気になり、豊麻呂、
「先ほど、陛下に私めの品を差し上げたとか。本当ですか」
「前に、龍文の蒔絵の椀を作ってもらっただろ。蓋の八方睨みの龍は、特に喜ばれたよ」
「あれは、白壁王がお使いになる、と思っていましたが」
「父が使うと不敬罪だよ。龍文は帝専用だよ。知らなかったのかね」
「ではあの品は陛下への献上品!光栄です」感極まった表情。
 山部主従はニコニコしている。

「ああそれで、今日のご用は」気を変えた木地師の豊麻呂
 山部は、ある頼み事をした。
 そしてまた、別の技術の匠にも頼みに行った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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