春日大社創建 その年、天平神護元年(765)年末、自宅の書庫で、真備は、智麻呂の報告を聞いていた。 「やはり亡くなった子の親たちも、奇病で亡くなっています。日常、こっそり若草山の鹿や猪を狩って、食していたそうです」 「禁令を犯して、4つ足の動物を食していたのか」あきれ顔の真備 「20年前からの急な禁令では、長い習慣は止められないでしょうなあ」 「草や葉に水銀粒が付いたのを、動物が食べ、水銀が含まれた動物の肉を、人が食べたということか」 「いえ、そうではありません。念のため、ネズミに、あそこの草や葉だけを食わせ続けたのと、ミミズを食わせ続けたのと比べましたが、ミミズを食わせた方の行動に、異常が表れました。おそらく、動物は地面を掘ってミミズを食べていたのでは。それに、医書によれば、水銀蒸気を吸うと病になるが、水銀を飲み込んでも、多少の異常が出るが、重い病にはならぬそうです。あまり体に残らず、糞で出てしまうのでは」 「となると、鉄がさびに変わるように、地中で水銀が変化して、違う毒物に変わったのか」 「そうかもしれません。これから、あの辺の地下水を、ネズミに飲まして調べようと思います。水を蒸発させて、毒があるなら濃くなるのを、与えますが」 「ああ、やってくれ。報酬以外で、要る物や人があれば、遠慮無く言ってくれ 」 「分かりました。…ですが、まずは、あの辺りの密猟を止めさせませんと」
「そうじゃなあ…。藤原氏に氏の社を創建させて、広範囲の周辺を、殺生禁断の聖地にさせようか。たしか藤原氏の出目は常陸の国、そこの鹿島神宮から白い神鹿に武甕槌命が乗って飛んで来ることにして、神鹿の子孫の鹿を大事にせよ、禁を犯して生き物を殺した者は厳罰に処すとな。早速(藤原)永手に勧めよう」 かくして、翌年から若草山一帯が狩猟厳禁になり、768年に春日大社が創建され、野生の鹿が、現代まで大事にされるようになったとか。
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