遥かなる未来 「ああ、思い出しました。あの時、私が『どんな夢を』とお聞きしたら、陛下は『とほうもない夢だ』とあえいでお答えなされたが。そんな不思議な夢でしたか」 真道うなづく。 「いや、夢と違い、生々しかった。それに夢ですませられぬ物を見た。一つは分厚い冊子本の偶然開かれた頁だ。あれは皇位系図だった。淡海三船が考えだした漢字諡号、神武、綏靖のあれだ」 「夢で思い出したのでは」 「そんな漢字諡号は忘れていたが、父の光仁があった。それと、その下に早良の字を見付けた。実名だから、弟は即位できないと分かった。それから、見つけた持統の兄弟に元明、施基皇子の他に弘文という文字があってな、後で三船に聞くと、『…ハア、弘文天皇ですか、詩が上手で名づけた?私は撰進しておりませぬ。大友の皇子は壬申の乱の前、どさくさで即位したかもしれませぬが、歴史には認められておりませぬ。…』だと」 「あのお方は、皇位の継承権者に思われるのを、ひどく厭がっていましたなあ…。それにしても、光仁は私めが撰進しましたが、先帝ご存命の時にとは、信じられませんなあ」 「お前が、信じようと信じまいと、わし自身が見たのだからな。それにしても不思議な系図だ。下っていくと、枝分かれして一方が途切れ、もう一方に続いて行くのが何回もあったが。万世一系も大変なことだ。まあ、わしの子孫だからいいか」 雪を被った松林を見ながら、話す。 「もう一つはあの地図だが…あの武蔵の都は『東京』と書かれておった。そして近江の海は『琵琶湖』あの楽器の琵琶の字でな、その南端の西、この地が『京都』と書かれていた。初めの頃、夢かもしれぬと思っていたが、光仁の諡号をお前達から撰進され、わしは正夢どころか、実際にわしの魂が、その時代に連れて行かれたと確信した。だから長岡京建設の失敗の後、思い切って、この平安京に賭けた。我が子、孫、ひ孫らの誰かの代に完成し、千年続く都とも信じた。あの千二百年後には、古都となる」 「私には、まだ信じられませんな」
「だが、東北遠征はうかつだった。直ぐにでも征服できると思ったが、遥か後のことらしい。あの地図では、陸奥の北に、北海道と書かれた島があった。渡島の辺りだが、そこから北東に大きく広がっておる。九州より広い。あの日すぐに、陸奥の半島から、北海道、その北の樺太とかいう島を載せた地図を描いておいたが…3年前、田村麻呂の屋敷にアテルイが泊まったとき、こっそりと小役人のなりをして面会し、地図を見せたが、あいつ、地図を掲げた手を、わなわなと振るわせた。地図を破り捨て、わしを睨み付けて、『陛下、何処まで征服なされば、お気が納まるのか。よろしいか、ここは我らの地より、大和人には住めぬ、もっと過酷な風土の地ですぞ』とな。つい、わしは『アテルイ、違うのだ、お前達の事で、国が疲弊しているのに、そんな余力はない。この地図が真かどうか、知りたかっただけだ。』とな。拙いことを言った」 「ああ、あの時、陛下に気づいて、周辺の者達が慌てましたな。それで、アテルイの処刑をしたのですか」 「わしの失言が問題になり、重臣らはアテルイを帰せば、取り返しがつかなくなると言いだしてな、田村麻呂の反対を押し切って、処刑してしまった。わしのこの体験、詳しく話して、しばらく留めてから、帰せば良かった」 「地図まで間違いないとすれば、陛下は未来を訪れたかもしれませんな」 「しばらくは、東北の地は治まるまい。だがな、千二百年後には、その北海道が国土になっているから、東北は治まっていよう。気が遠くなる話だがな。だから外征と都建設の中止を決断した」
「陛下の諡号は」 「桓武だよ」 「カンム?どんな字で」 手のひらに指先でなぞる。 「桓武天皇!…なにやら言い得ていますなあ」
桓武帝、雪が溶け出し、しずくが落ちている松林を見る。 「あの帝の言葉『万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは、私としては実に忍び難い。祖宗の霊にお応えが出来ない』には心を打たれた。わしも今日、見習った。はは、まだ起こらぬ話に見習うとは変だが…」
ゆっくり立ち、 (風雪に耐える千年の松か…。平城、嵯峨、淳和はわが子の誰々に当たるのだろうか。何度考えても分からぬ。嵯峨の子孫へ皇位が継れていったが、はて、一騒動があるか……。あの帝まで続くなら、まあいいと思わねば。あの子孫の、後の治世が平安であればいいがなあ、遥か1200年後か) 雪景色の大内裏で、桓武帝は、白い息を吐き、思いを巡らしていた。 寒そうに老学者、菅野真道は、帝を見守っている。 気が付いた帝、毛皮を脱いで、真道に着せ、奥へ戻っていった。 平安遥か(完)
筆者後記 昭和天皇の御聖断は、下村海南「終戦記」(152ページ)の引用です。他の人物の発言は、筆者の想像です。(どうしても、史料が見つからなかったので) アレキサンダ大王の戦歴は、HISTORIAというhpで得た記事の引用です。勝手に利用したことを、関係者に深くお詫びします。
水銀毒の汚染の話は、科学的、考古学的、史料的に裏付けられたものではありません。 筆者の想像です。 長らくのご愛読、ありがとうございました。(疲れた!)
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