もう1人の聖断 朱色の霞が消え、何やら白い建物の中にいる。 窓がなく、火でない奇妙な明かりが、上から周囲を照らしている。 目の前、真下に男が椅子に座って背中を向けている。この男の前に机が置かれ、前、両側に机もあり、囲むように男達が椅子に座っている。。 この時代の朝議であろうか。後ろを見れば、金色の屏風がある。 山部東宮、婆さんに聞く。 「この男が、私の子孫の帝ですか」40才位の憔悴した感じの男である。 「ああ、そうじゃろ」 「冠を誰も被っていませんなあ。流しの髪型か。ああ、ここに妙な形の被り物がおいてある」 机の上の軍帽を示す。 「この、趣味の悪い朽葉色(カーキー色)の服装は何でしょうか」 「武官服ではないかな、あちらの臣下らにも同じ服装している者がいるのう、あの者らは武官じゃろう」 「肩飾りから紐が垂らされていますが、何に使われるのでしょうか」 婆さん言う「それも飾りじゃろう」 「この男、目に妙な水晶板みたいなものを覆っていますが」 「ああ、眼鏡(めがね)と言うものじゃろ。目が悪いのじゃな」 婆さん、周囲を見回し 「あれ、ここは、地面の下じゃ。はて…?ちょっと待っていろ、上を見てくる」婆さん、上に浮き上がり、白い天井に吸い込まれる。
1分後、降りてくる。 「ここは、武蔵の国じゃ。畿内は遥かあちら、西の方じゃ。…ははーん、百年程前に東武(江戸幕府)とやらが滅んで、そこへ都を移したか。でも変じゃ。この都の周辺は、焼け野原というか、崩れた廃墟だらけになっておる」 「どういう事でしょうか」 「分からぬ、ああ、年寄りが話し出したぞ、あれが宰相か」 婆さん、横から前に出て、臣下等の周辺をぶらぶらしだした。 山部東宮も後に続く。
老人の声が、空間内で響く。 「ポツダム宣言受諾への条件、国体護持への連合国側の回答について、これまでの閣議では、意見がまとまりませんので、改めて、陛下の思し召しをもって結論といたします。皆から意見を申し上げます。まず東郷外務大臣から」頭を下げ座る。 文官らしき男が立つ。 「連合国側の回答の、サブジェクト ツウを、陸軍が言う『隷属』と訳すのはおかしく、『従う』で『天皇の権限は連合軍最高司令官の制限の下に置かれるものとす』と読んで差し支えありません。また『日本国政府の確定的形態は、日本国国民の自由に表明する意志により決定せらるべきものとす』は、国体護持の言質を取れたと解釈できます。今、ソ連は条約を破って満州に雪崩れ込んでおります。続いて北海道も占領されたらとの危惧もあり、また、再照会することは、相手に受諾拒否のための時間稼ぎ、と受け止められる虞があります。一刻の猶予もありません。ポツダム宣言の受諾をすぐさま伝えるべきです」 老人 「次ぎに、米内海軍大臣、意見を」 白い武官服の男が立つ。 「わたくし米内も、東郷外相の意見に賛成します。占領後の治安のこともあり、連合国側もそう無茶なことはせぬと思います。ポツダム宣言は、即時受諾で行くべきです。」 司会をしていた老人が言う 「わたくしも即時受諾に賛成しますが、反対の意見も披露します。まず阿南陸相お願いする」
帝と同じ武官服の男が立つ、 「日本の将来に関わる一番大事な点、国体護持の確約を、もう一度連合国側に再照会すべきであります。国体護持が、反古になったら国の行く末は混乱の極みになり、再建どころではなくなります。それに、一番心配なのは、曖昧なままだと、陸軍の若手は無条件降伏だとみなし、血気盛んな彼らは、暴走します。陛下の御心に沿うよう何とかなだめていましたが、無条件降伏では、わたしにはとても抑えきれません。国体護持は、我が国にとっては、最低限の要求であります。すぐさま確認すべきであります」 苦悩した顔の武官。周囲は静寂になる。 まだ、話は続く。 その後も、同じの武官服の男が立ち、その武官服と同じ趣旨の事を言のだが…、
彼ら未来の官人の話は、言葉が大分変化しているのだが、山部東宮には意味が判るのである。 不思議に思ったとき、山部の心を読んだ婆さんが、解説する。 「お前は、魂だから、心で聞いておる。だから言葉でなく、相手の心を聞いておるから、分かるのじゃ。…じゃが、ポツダム宣言とは何じゃろ」 大内記(書記官)らしい人物の前の机に置かれた紙片を、山部見る。 「婆さま、その紙に書かれています」身近に寄り、読み出す。 真備の創ったカタカナと違う異体字も混じっているが、混じった漢字から意味が読めていく。 「何と書かれているのじゃ」 「これは、我が国に対する降伏勧告状ですな。何やら他国を征服しょうとして、負けて追い詰められたのでしょう。中華民国は唐のことでしょうが、合衆国、英帝国は何処にある国でしょうか、それに変だな、北海道とはどこの…」 「ああ、確か地図のような物を、あそこの男が広げていたぞ」 慌てて、その机に寄る。世界地図であった。 真ん中、上、の弓形の列島を見付ける。 「我が国は、こんな形をしていたのか。それにしても小さい。」 「世界が広すぎるのじゃよ、…ああ、ここが合衆国、…こちらが英国か」
「婆さま、こ、これはどういう事でしょうか?!」 日本の上の半島が日本と同じ赤色に染められ、朝鮮と書かれ、またその上の地域が桃色に塗られ、満州国と書かれていて、防衛線らしいものが引かれている。 「おお、この時代の者達は、新羅、高句麗を征服していたのじゃな。900年後の時は、別の国だったが…。我らが望んでも叶えられなかった夢を、易々とこの時代の者達は成し遂げた。でかした。でかした」喜ぶ婆さん。 この時、山部はこの婆さんを、神功皇后と勘違いしてしまった。 「ですが、その侵略が原因で、周囲の大国から攻められ、国家存亡の危機に追い込まれているのではないですか」山部諭す。 婆さん、ため息をつく。 山部は、また地図の日本の部分を見続ける。 2人目の朽葉の服の武官の話に耳を傾けて、婆さん、 「山部よ、王家最後の時代に来たようだのう。つまらんものを見せたなあ、許せよ」と言い、腕を振る。と、一人の書記らしい官吏の肩に当たる。その男の肘が動き、机の分厚い冊子本を、山部の目の前に落とす。男、ちらっと見たが、口述筆記を続けた。 無意識に、山部拾うとして、近づき、腰を屈め手を出すが、手が本を通り抜ける。 触れる感触もない。ああ自分は霊の状態かと納得する。 本は頁が広げられた状態である。 書かれている内容を、ふと山部見る。 ジッと見つめる。…呻く 「これは、どういう事だ。信じられぬ。父が…、私が…」 やがて座っている官吏の手が伸び、冊子本を拾い、机の上にもどす。 古語語林と題字を認める。
次ぎの武官の話も終わっていた また1人、意見するため、手に紙切れらしきものを持って、立ったが、 老人が 「意見を申し上げるものはこれだけでございます。陛下お言葉を」と言ったので、その男は着席する。
この時代の帝が立つ。 疲労困憊した風情で話し始める。始めは噛締めるような口調である。
「ほかに別段の発言がなければ、私の考を述べる。 反対側の意見はそれぞれよく聞いたが、私の考えはこの前に申したことに変りはない。 私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を継続することは無理だと考える。 国体問題について色々疑義があるということであるが、私はこの回答文の文意を通じて、先方は相当好意を持って居るものと解釈する。先方の態度に一抹の不安があると言うのも一応は尤もだが、私はそう疑いたくない。要は、我国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、この際先方の申し入を受諾してよろしいと考える、どうか皆もそう考えて貰いたい。 更に陸海軍の将兵にとって、武装の解除なり保障占領と云う様なことは誠に堪え難い事で、それらの心持は私には良くわかる。(涙声になる)しかし自分はいかにならうとも万民の命を助けたい。この上戦争を続けては結局わが国が全く焦土となり、万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍び難い(嗚咽する)。祖宗の霊にお応えが出来ない(嗚咽しながら喘ぎ喘ぎ続ける)。和平の手段によるとしても素より先方のやり方に全幅の信頼をおき難いことは当然ではあるが、日本が全く無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすれば更に又復興と云う光明も考へられる。 私は明治大帝が涙を呑んで思い切られたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、この際、耐え難たきを耐え、忍び難たきを忍び一致協力、将来の回復に立ち直りたいと思う(嗚咽)。今日まで戦場にいて陣没し或は殉職して非命に倒れたる者、又其遺族を思うときは悲嘆に堪えぬ次第である(嗚咽)。又戦傷を負い戦災を蒙り家業を失いたる者の生活に至りては私の深く心配するところである(嗚咽)。(手袋で涙を拭く)この際私としてなすべきことがあれば何でも厭わない。国民に呼びかけることが良ければ私はいつでも「マイク」の前にも立つ。一般国民には今まで何も知らせずに居ったのであるから突然この決定を聞く場合動揺も甚だしいであろう。陸海軍将兵には更に動揺も大きいであろう。この気持をなだめることは相当困難なことであろうが、どうか私の心持をよく理解して陸海軍大臣は共に努力し、良く治まる様にして貰いたい。必要があれば自分が親しく説き諭してもかまわない。この際詔書を出す必要もあろうから、政府は早速その起案をしてもらいたい。以上は私の考えである」
いつの間にか全員、泣いている。嗚咽している。
山部東宮、えもいえぬ感動をし、その帝の姿をじっと見ている。
「山部や、もうすぐ元の世界へ引き戻されるぞ。あの場所へ戻ろう」婆さん、金の屏風を示して促す。その帝の後ろへ駆け寄り、婆さんと立つ。一気に朱色の霞が周りを包み、飛ばされるような衝撃を受けた後、あの社の中に立っている。 「どうじゃ。大丈夫か」婆さん訊く。 「べつに、何もありません」 「今見たこと、人に話すな。歴史に良くないことが起こるかもしれぬ。お前の胸にしまっておけ。じゃ、妾は去るぞ。ここには2度と戻らぬからな」 「あの、ばあさま、あの子孫の帝はどうなりますか」 「ああ、どうも、帝を続けていき、長寿を全うするかな。話し終わった後、現れた予知の断片では、彼方此方へ民を励ましに行ったり、何やら、大がかりな祭典で開会宣言をしたり、亡くなるときの光景は、治療のためのものかのう…不思議なからくりが、病床の周囲に所狭ましと置かれていてなあ、薬師らしい者が、大分中年の人物、東宮じゃろう…に『殿下、陛下は、ただいま御崩御なされました』と泣きながら伝えておった。90位まで生きたのではないかな」 「90!…。あ、ばあさま、またお会いできますか」 「さあなあ。ああ、そなたが亡くなる、ではなく、崩御か、その後には会えるぞ、ほっほっほ。それまで、体をいたわって長生きしろよ。さらばじゃあ」 お社の壁を通り越して、出ていってしまう。 と、ぽんぽんと肩を叩かれた気がする。目が覚めて、随身、菅野真道の心配そうな顔を見た。…
|
|