■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

平安遥か(W)千年の都へ 作者:ゲン ヒデ

第2回   2
               すなおな帝と未来の帝
  図書頭、山部王は、よく、吉備真備邸を訪れた。
 案内なしで、自由に出入りできた。
 真備を尊敬して、その見識に触れるのが好きだったのである。真備も博学な山部を愛した。
 ふたりは、色々な話題をにこやかに論じ在った。歴史、政治、経済、文学、当時の科学技術など、森羅万象に渉った。

 秋の頃、山部王、真備邸を訪れる。
 母屋の茵(しとね)に座った真備、脇息に寄りかかって、うなだれている。
 泣き疲れた感じである。
「真備様、どうかなされましたか」
「ああ、淡路の帝のことを、思っていた。半月前、亡くなられただろう。逃亡が見つかり、殺されたが、謀られたかもしれぬ。おとなしく、時機を待ってくだされ、と頼んだがなあ。君と違い、すなおな帝であった」
「真備様、私は!…」
「ああ、悪い、悪い、意味が違うのだ。四面楚歌でわしをぎゃふんとさせた君のような、相手を困惑させる器量を、あの方は持っておられなかった。すなおだけではなあ。押勝の言いなりだった…」
 気分を変え、
「で、今日来られたのは、何かね」
「陛下の、『次の行幸をしたいが、どこがいいか』との御下問に、『交野を通り、道鏡様の古里、河内を訪れる小旅行はどうでしょうか』と答えますと、貴方様にそれを検討させよ、との思し召しでして」
「ああいいだろう、御前次第司長官(慰安旅行の幹事役)はお父上が最適だな。陛下の行幸が楽しいものになろう。父上に心つもりをしてもらえ」
「はい、承知しました」

真備、小声で話し出す。
「陛下が行幸されたがるのには、理由があるのだよ。夢に出てくるそうだ」
「え!押勝様ですか」
「いいや、淡路の帝(淳仁)だよ」

 淳仁帝が亡くなってから、しばらくして称徳帝は夜、うなされだした。廃帝が恨めしそうにじっと見つめるのである。
 で、内裏(中宮院)に住むのを厭がり、西に新しい内裏(西院)を造るのを命じた。
 完成するまでの諸方への行幸は、それも原因である。

「道鏡禅師の祈祷で、怨霊は消え失せるのではないですか」
「いや、効かぬらしい。怨霊なぞあり得ぬと、わしは思う。淡路の帝の暮らしていた場所だから、心の奥底の良心が、ふうっと浮いてくるのだろう。良心の呵責が起こらない人間は、獣以下だよ」
「真備様は、私より、理(ことわり)大事(合理主義)ですね」

「それにしても、わしにも、怨霊ではないが、不思議な体験があるがね」
 と言って、唐からの帰国時の、遣唐使船での、時化の海での出来事を、真備、話しだす。

 鑑真和上も同乗している船が、嵐に弄あそばれてる時である。
 船内で経を唱える僧達と離れ、船上の帆柱を倒す作業を指揮していると、大波が襲い、真備は波にさらわれそうになる。
 海に落ち、何とか船べりに捕まったが、手の力が無くなりそうになる。
 もはや、これまでと思ったとき、どこからか、声が聞こえる
「真備よ、生きるのじゃ。未来の帝のために生きるのじゃ。頑張るのじゃ」
 すると、手に力が戻り、船べりをやっとの思いで、上がった。
そして、船は、屋久島の海岸に打ち上げられたのである。

「あの厳かな声は、誰だったのだろう。年寄りの女人みたいだったが」
 遠くを見るように、真備漏らす。
 山部王、ふと、夢に出た婆さんを連想するが、忘れる。
「未来の帝って、今の陛下(称徳女帝)のことですか」
「いや、どうも違う。淡路の帝のことか、と考えていたのだが」
「どなたのことでしょうかね 」

 自分がその未来の帝とは、山部王は気づかないし、目の前にいる人物が、当人だと、真備も考えもしなかった。

「ところでな、その未来というか、次期の帝のことだが、先日、和気王が誅殺されただろう。あの男、怪しげな巫女の口車に乗って、東宮になれると皆に吹聴して、帝の逆鱗にふれたのだが…。巫女を煽ったのは、弓削浄人らしい」
「では、道鏡禅師が、有力な天皇候補を除いているのですか。まさか皇族でないのに、自分が天皇になろうと」
「かもしれん。こちらも手を打たねばならんが。良継と百川に任せてはいるが…」
「ですが、次ぎの帝候補となると」
「それは口に出してはいかんよ。噂をされた皇族は、危うい立場になる。君の父上は傍系過ぎて大丈夫だが、万一の事もある。口には、気を付けろよ」
「わかりました」
 話を切り上げ、山部王は帰った。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections