渤海使 前年夏、来朝した渤海国使一行が、この年、正月の朝賀で文武百官と共に慶賀した。 数日後、朝議で、渤海使の帰りの船の修理の監督と、帰りを見送る役目を、山部親王が担当することを、左大臣、大中臣清麻呂が進言する。 渤海使の船は、漂着した出羽の国から越中、鶴賀まで引かれていた。 船の修理を越中、敦賀でするに当たり、山部親王の知り合いの船造りの匠を引き連れてもらいたい。 いままで、船の難破が多すぎたし、もし船が破損したら、わが国の面目が損なわれるので、是非とも博学の山部親王に任したい、との言上であった。 その言上には、裏で良継と百川の工作があった。山部親王を陰謀から遠ざけるための策である。 光仁帝と山部親王は、何の疑いもなく承知する。 10日頃、山部は近江の船大工等と共に鶴賀へ向かう。背袋には集めた船造りの秘伝書が詰まっていたそうである。 17日、渤海国新国王の上奏文に非礼があるとの問題が起こる。 文末が今までの慣例と違い、不遜な表現であると、内大臣、良継が問題視した。 贈物の返却までされる。 渤海使、壱万福は決断して、責任を負う謝罪をして事なきを得た。 そのあと和解の宴が、2月初めにある。 それで、港からの帰国が2月末に延びた。当然、山部の帰京はもっと延びる。 渡り殿の惨状 その宴の始まる前、井上皇后付きの髪結い役の侍女が、突然腹痛を起こし、内裏を退出する。 皇后の在所、弘徴殿での化粧や髪の手入れの御簾の内では、ぼんやりと皇后が待っている。 髪結い役を命じられた小夜が入り、しばらくお待ちを、と言い、御簾に近づく。 外にいる侍女頭に、小声で 「至急、難波内親王様を呼びなさい、お頼みしたい事が出来た。来られたら二人だけで話したいので、中に入らないように」皇后とそっくりな声をだす。 侍女頭から伝えられて、あわてて足嶋、出てゆく。 「しばらくお待ち下さい。わたくしより髪結いが上手な方が来られます」と皇后に小夜は言い、出てゆく。 宴に列席するため、難波内親王も、侍女に自分の髪の手入れをさせていた。 30分後、皇后からの急使が来る。早々に髪結いを切り上げて、何事かと飛んで行く。 使いの者は、急いで来て貰いたい、とだけしか言わなかったのである。
皇后の髪結いの御簾に通される。皇后、前を見ている。入った小姑に気づき、振り返り、不思議そうな顔をし、会釈してまた前を見る。じっとしている。 髪の手いれのため呼ばれたか、と思った難波内親王、頭に血が昇る。 手にした丸ハサミで、皇后自慢の黒髪を、バサバサとでたらめに切りまくる。 ポイとハサミを捨て出てゆく。 目をつぶっていた皇后、前の丸鏡を見て驚く。チグハグな長さの乱髪になっている。人目にさらす事も出来ないひどさである。 生まれて初めて、怒りの感情がわき起こる。 落ちている丸ハサミを掴み、小姑を追いかける。 渡り殿で、足音に気づいて振り返った難波内親王が見たのは、ザンバラ髪で夜叉のごとき皇后の顔と、振り下ろしたハサミの鈍い光沢であった。 背中に激痛が走る。後のことは忘れてしまう。
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