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平安遥か(W)千年の都へ 作者:ゲン ヒデ

第1回   1
        平安遥か(W)千年の都へ

              大安寺悲田院
 惠美押勝の乱の終わった、翌年(765)の夏である。
「智麻呂、どうじゃ、この患者の脈は」
 義父に促されて、智麻呂、寝ている老人の脈を取る。
「微脈でしょうか」
「沈脈だろう。で証は何だと思う」
「うーん、八味丸証ですか」
「まあ、そうだろう」
「では、それを処方しましょうか」
「馬鹿をいえ!高価な薬材を、おいそれと使えるか。唐から入る薬類は、高貴な御方用じゃ。彼岸花の根をすり潰し、糊と混ぜて、布で足の裏に貼り、腎のむくみを取って、治すのじゃ…。よいか、身の回りにある野草とて薬草じゃ。手に入りやすい物での治療を考えろ。そちらの患者は、センブリ草を煎じたのを。あの患者は、難かしいのう…。効くかどうか判らぬが、お前の家の秘伝の青カビの油練を化膿部に貼れ。…じゃ、わしは帰るぞ。患者達を頼む」
 見習い医の智麻呂は、義父の奉仕活動の代わりを押しつけられた。

 ここは大安寺の伽藍の1つの坊であるが、悲田院にされている。
 光明皇后が亡くなった後、都の寺々に施療施設が、継がされた。
 故郷に帰れず浮浪人となり、行き倒れた者達が、多い。
 
 院内の病人達の治療を終え、智麻呂、汗を拭き、帰ろうとする。
 そこへ老僧が立ち寄り、自分の体を診てくれと、自分の僧坊に誘った。
 物品を管理する役を、長い間務めている僧だと、智麻呂は聞いていた。

 僧房では麦茶を勧められ、飲む。井戸で冷やしてあった麦茶は伊賀の里のと、同じ味であった。
 座って瞑想している風情の老僧の脈を取って、智麻呂、驚く。
 脈が10秒毎に、弦脈、浮脈、疾脈、遅脈と変化していく。こんなことはあり得ぬのである。
 目を開いた老僧、
「どうじゃ、智麻呂、わしの脈は。自由に操るのには、長い修行が掛かったがな」
 智麻呂、自分の名を言われて、ぎょっとする。
 すぐ、父から聞いている、伊賀者の都での差配が、この老僧だと気づく。

「差配様、自分は、伊賀組から抜けさせて貰いましたが」
「ああ、いやな、我らには合わぬ仕事を、そなたに回そうと思うてな。吉備真備様からの依頼じゃが、奇妙な調べ事じゃ。去年の1月頃、どこかの子供が、水銀毒で亡くなったらしい。その家族を突き止め、同じ病に罹っているか、調べて貰いたいとのことじゃ。医師のお前がふさわしいと申し上げた。我らと関係なく、それを引き受けて貰いたいのじゃが」
「はあ、水銀毒といえばルシャナ仏の渡金でしょうが…。最後の渡金は、何年か前に終わっていますが。何故、内密に調べるのでしょうか」
「道鏡の言いなりになった女帝が、おおやけでの調べを、禁じたそうだ」

【吉備真備の献策、都周辺の水銀汚染の調査を、女帝は、心変わりして認めなかった。道鏡が、東大寺大仏の威厳が損なわれると思い、女帝にそうさせたのである】

「吉備邸に忍び込んで、お会いするので」
「いや、堂々と門から入れ。山部王から紹介状を貰い、蔵書の医書を写しに行くという名目でな
。お前の父のように、下手に忍び込んで、音を立てて騒がれると、困るであろう」
「どうして、父の昔のことを?」
「いやなあ、泊まった屋敷で、お前の父が夜這いに来てなあ。あやうく我が体を犯されそうになった。ウヒッヒヒ」
愉快そうに、老僧は笑った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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