白壁王部隊の布陣 18日の砂浜での惨劇が始まる前の朝、白壁王率いる一軍の兵らは読経を行っていた。 朝の勤行である。鬼江の浜を見下ろす西の小山の麓に布陣している。 塩焼きのモロコ(琵琶湖産の小魚)をかじっていた、永主くさって言う。 「出家の仲間になった気分ですよ。戦の手柄を立てに来たのでなく、戦死者の弔い僧団に入ってしまった。まいったなあ」仲間の少年らもうなずく。 「ははは、まあいいではないか。君らは馬を揃えるという大事な働きをしたから、後は戦いの熟練者に任せておくとよい。万一のことがあったら、お父上らに申し訳がないからね」にこやかに白壁王言う。 王は軍監の役だから、後陣で僧兵を率いる役である。
退屈そうに周囲を見ていた永主、ふいに言う 「あそこに、敵の逃亡兵が居ますよ」 北の山の方で、草藪をかき分けて、ゆっくりと向こうの山麓を上がっていく、兵ら3人を見付けた。 「山部、押勝の一族か」 「いえ、郎党ですな。見覚えがある。衛視ですよ、どうします」 「見逃してやれ。ああ、食料を持ってないようだな。遣ってこい」 手元の干し飯の袋をぽんと放る。受け止めて山部飛んで行く。 近づくと、彼らはぎょっとし、身構える。 「お前達、食べ物だ。(袋を放る)あの山道を1里上がれば左右への道がある。北は若狭、南は太秦の郷だ。うまく生き延びろ」 彼らは礼をして落ちのびて行く。山部は引き返す。
「敵を逃してもいいのですか」永主、白壁王に聞く。 「もう、勝敗は決まっている。敵の逃げ道を作るのも兵法だよ。敵の全軍が自棄になって反撃すると、こちらも被害が多くなる。無駄な殺生は出来るだけしないほうがいい。本来、人は皆、助け合って生きていくものだ。だが、権力や富を争って、殺し合う。寂しいことだ」 「王はこの隊の法主様ですねえ」にこやかに永主言う。
ちょくちょく敗残兵を見つけて、山部と僧兵らは食料を与えて、見逃した。 「裏切り者め」と見知った者が、歯向かおうとしたら、 山部が辛そうに 「我が一族が生き残るため、押勝様を裏切ったが、やむを得ぬことだ。わしを切るより、速く逃げおおせ」と諭すと、従った。
押勝の遺児ら やれやれと、陣の方へ戻ろうとした山部、子供の泣き声に気づく。 北を見れば、竪穴住居の残がいの窪みを、兵らが囲んでいる。 押勝の親衛兵5,6人が抵抗している。 慌てて、山部、飛んで行く。 見ていた永主、王に告げると、王も飛んでいった。 山部が着いたとき、敵兵は射殺されていた。 窪みの中には、泣き叫ぶ幼児を抱えた母親と若い僧侶が、怯えて立っていた。 1人の弓兵が狙いを定めたとき、山部いきなりその男を押す。 そして、皆に言う 「殺してはならぬ。生けどりにするのじゃ」と言い、窪みに飛び込み、母親から子を取り、あやす。目に涙まで溜め 「おお、可哀想になあ。よしよし、きっと助けるぞ」 邪魔をされた弓兵、怒る。 「押勝一族は一人残らず誅殺せよとの命令。お前は敵の回し者か」 と弓を番おうとする。 すると、馬上の人物が、騒ぎに気づいて寄ってくる。 「まて、まて、そのお方は上皇陛下の信頼厚き山部王様である。手出しは無用じゃ。下がれ」と言い放ち、馬を下り、山部に挨拶する。 「山部王、私は明信の夫、藤原継縄(つぐただ)、にわかに越前の守を拝領しましてなあ。いやはや、忙しいことでござった」
亡き妻の従姉妹、明信の主人、つまり山部の縁者となる人物であった。 そこへ息を切らして、白壁王らが着く。 「王、山部王は、この前亡くなられたお子のことを、思われたのでしょう。お気の毒なことで」継縄、幼児を頻りにあやす山部を見て言う。 「越前の守殿、あの者達のこと、私に任せてくれませぬか。上皇陛下に命請いをいたします。陛下とて仏に仕える身、酷なことはなさらぬ筈」 白壁王、痛ましそうな顔を幼児に向けで云う。 「分かりもうした。では」と言って継縄と兵らは去った。
白壁王が、僧にどなた方かと尋ねると、自分は押勝の6男、刷雄、幼子は11男徳一、その子の母親は、紀の奈賀岐娘と答える。 紀と聞き、我が母の遠縁か、此も何かの縁か、と王、思う。 直ぐさま、永主らと共に、この者達を連れて帰り、自分の屋敷に留まらせよ、と王は山部に命じる。
山部らが早々と都に戻った翌日、槍の先に押勝の首を曝して、官軍が凱旋した。
白壁王、疲れる 上皇への戦の報告を終え、屋敷に戻った白壁王は、押勝家の3人を呼び、上皇の意向を伝える。子をあやしながら、山部も付いてきた。
「刷雄君、君は隠岐への流刑だよ。都から遠いが、彼処には沢山の書物が唐土から来ているそうだ。国司には、君を大事にするよう頼む。還俗して勉強し、将来、学者になりなされ。いつかは都へ戻れるよう、私が働き掛けもする。来年の春の国司の出立までは、まだ日にちがあるから、わが家の書物で気に入った物があれば写しなされ」 そして子の母に言う。横で、山部は子を抱いている。 「お子は僧にならねばならんが、よろしいか。まあ将来のことだが、還俗するにしても問題はないだろう。よろしいか、何人かいた貴女のお子で、生き延びたのはその子だけ。この子が、貴女の生きる希望じゃ。力まず、大らかに見守って、生きてくだされ」 母親、うれし涙で礼を言う。 「ああ、それから、母親が死んでいて、そなた様は乳母だということにした。万一のためじゃ、我慢してもらいたい」と言い、 山部に、 「来年に、御子を早良の弟弟子にしてもらい、母ごを僧房の下女として通わすのはどうか。僧都様に聞いてくれ」 「ああいいですねえ、頼んでみます」
押勝家の3人が退くと、王は、脇息を前にして俯せる。 「ああ、疲れた」 「父上、あの人達の命請いが、大変だったのですか。目が赤いところを見ると、泣き落としですね」 「いや、あの者達は、すぐに許された。…不破内親王のことじゃよ。上皇様は烈火のごとく怒られていてなあ。流罪にすると息巻いておられた。『塩焼殿は酒に酔わされて連れて行かれ、行きがかり上ああするしかなかった』とわしは言い訳をしたがなあ。お怒りは収まらぬ。で奥の手を使った」 「何ですか、それは」 「『妹のことで妻が悲しむ、のを見るのが辛ろうございます』と泣いた。昔の悲しみを思い出して、涙を出すのは疲れる」くたびれ果てた風情の王 「よくやりますねえ、父上。それが効いたのですね」 「ああ、お構いなしになった。ただし、御対面禁止、それから嫡男、陽侯は位を剥奪され、名も志計志麻呂と替えられた」 「『しけ』とは怪しいという意味か。くだらない意志返しですね」 「名前替えとはなあ。陛下は子供じみたことをなさる」 「しかし、あの方(不破内親王)は『主人の昇位のために、白壁王はなにもしてくれぬ。薄情な方だ』と父上を毛嫌いしていたでしょう。放って置けばいいのに」 「だが身内だから、そうもいかん」
霊感的中 「そういえば、家持の娘御は運が良かったなあ」 「はあ、なんのことでしょう」山部訊く 「久須麻呂の子、三岡への嫁の話を、家持は娘が幼いので、と断ったそうだが。もし嫁にいっていたら…」 山部はっとする。まさか、信じられぬ。娘の霊感が的中している。 「父上!三岡という若者はどうなったのですか」 「一族みな殺し。分かっているだろう」 「では、砂浜で追われて斬り殺されたと…」 「そうだ」何をいまさらという表情の王 山部の頭の中が、混乱に陥る。 やっと、気が静まり、不審そうな父に言う 「ちょっと、出かけます」 「おい、どうした」 「気になる事がありまして、知り合いの所へ」 永主に姉の居所を聞きに行こう、と思い立ったのである。
渡り殿へ出て、しばらく行くと山部、蹴躓く。 転けて、膝小僧を打つ。 「いたたた!誰だ、こんな所に物を置いたのは」 慌てて出てきた王、床を見回し言う 「おい、此処には何もないぞ。そそっかしいなあ」 「あれ、不思議だ。確かに何かが足首に当たったはずだが」 山部、首を傾げる。 父の肩を借りて寝所に行き、湿布の手当を受ける。
渡り殿では、誰にも見えぬ斉明帝の霊が、座り込み、足をさすっていた。 「まったく、誓いを突然破ろうとされては堪らぬ。夢に出て警告するか」 のんびりと娘の裁縫を眺めていた斉明帝は、神前起請文が働き、瞬間移動させられ、山部の側に現れた。 慌てて渡り殿で足を出し、山部を引っ掛けたのである。
斉明帝登場の最初の夢 その夜の明け方、山部、夢を見る。夢の中の場所は、家持の家の中である。 家持の娘が俯いて泣いている。どうかされたかと山部尋ねる。 と、顔を上げた娘は別人、それも会ったこともない婆さんである。 ふっくらとした顔で、どこか愛嬌がある。 「山部や、困るのう、約束は守ってもらわなければ」と言い神前起請文を振りかざす。
「貴方様はどなた様で」驚く山部 「この起請文を書かした皇祖よ、ああ大和のほうじゃぞ、百済ではないぞ、百済の言葉は話せぬからな」 「皇祖?そのどなた様で」 「それは秘密じゃ。何十人といる内の1人じゃ」 「約束と言われても」 「おほほ、押しつけて書かせたが、書いてしまえばこちらの物。約束は約束。無理にでも守ってもらう。あの娘に会って未来を知ろうとしてはならぬ。横着せずに、自分で未来を切り開け。分かったな。娘の居所を知ろうとすれば、天罰を与え続ける。終いには死ぬぞ」 怒っている風に話すが、飄々として、どこか憎めない婆さんである。 「なぜ、あの娘と会わさないようになさるのか」 「うーん、説明しにくいのう…。とにかく会おうとするな。だが、嫁にいった娘を気にせず、家持家との付き合いは、これまで以上に大事にしろ。色々とお前の力になってくれるからな。和歌も教えて貰え。下手では、世間の付き合い上、困るぞ」 言い終わると、婆さん、びっこを引いて外へ出ていく。と、夢が覚める。 妙に印象に残った夢であった。
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