近江宮の廃墟 時間を12日に戻して山部の話になる。 山城守日下部子麻呂が西へ騎兵を率いて行った後、後続軍を山部と少年らは待った。 やがて、続々と隊が来、父白壁王率いる隊に合流する。父の横に馬を並べ、後ろに少年らの馬も続く。 途中、眩しく夕日に向かい進んでいると、北の荒れ果てた地を、山部指さす。 「父上、ここが、近江の宮の跡ですよ」 所々に石垣の崩れた跡が残り、強い風で波打つススキ原の荒廃地である。向こうに、紅く揺らめく水面の琵琶湖が望めた。 声も立てず白壁王は、いつまでもそちらに顔を向けたまま、馬を進めた。 感慨に耽っている。
永主、父、家持譲りの唱方で、情感をこめて、柿本人麻呂の長歌を歌い出す 「玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも」
続いて反歌 「楽浪(ささなみの)の 志賀の 大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも」 「楽浪の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ」 歌の春の季節と違うが、侘びしい秋の情感が漂う。
「ああ…、空しい…」白壁王、ため息を漏らす。 祖父、天智天皇が造った都の果てを見ての感慨である。
やがて、日が暮れてしまわぬ内に、と部隊は宿営地へ急いだ。
アレクサンドロス大王 14日頃、官軍首脳は押勝軍の南25キロの地、堅田に集まる。東岸側が迫り、湖周囲の諸方との連絡がし易い地である。 真備は、てきぱきと各軍団の攻撃手順を決める。狭い攻め口なので、まず最強の軍団が行き山側の敵を叩き、湖側へ敵を退却させ、次の軍団が正面を攻め、繰り出す兵が周囲を包囲し、最終的には水辺へ敵を追い落とす作戦である。 当然、水上からも取り囲む船が多数必要であるが、山部の働きで、知り合いの船子らの協力を取り付けてあった。
山部は、父白壁王の随員として出席している。 指揮官らの役割が決まった後、真備が、ふと山部に聞く。 「壬申の乱のことで、押勝に、他に何かか話されたかな」 「大友の皇子みたいに首をくくって自害しまえば、未来は絶対ない。私なら、負けたら、一人になっても逃げて生き延び、再起の機会をジッと待つ。卑怯だと罵られても、生き残って、万に一の可能性に賭けるのが、真の勇者、と具申したら、押勝様は『君が皇位に近ければ、東宮に推挙したいがなあ』と笑っていました。…あれ、ひょっとしたら、押勝様は舟で逃げ出すかも、周辺の舟に注意させますか」 「ああ、頼む。他に何か教えたかな」なにやら不安がよぎる真備 横から父、白壁王言う 「山部、確か、吾(あ)れ糞王の合戦話をしただろう。真先が目を輝かせて聞いていたぞ」 「吾(あ)れ糞王?…汚いですなハハ、アレクサンドロス大王と言うのですよ」 「何だね、そのアレクサンドロスとは」真備尋ねる 「ああ、千年前の英雄ですよ。えーと、マケドニアとか言う国の王で、ギリシャを併合し、西へ西へと軍を進め大国ペルシアを征服し、天竺まで征服しょうとしたが、部下の反対で諦めて戻り、32才に熱病で亡くなった、と聞いています」 「それは歴山王のことじゃあないかね。君はその英雄の詳しい戦の事跡を知っているのか」あまりの博学に驚く 「子供の頃、大安寺にいた波斯(ペルシャ)の老僧に、教わりました」 「ああ、27年前、私の帰国の時、一緒に来朝した、李密エイか」 「その方です。前身は武人で、若い頃、軍略を学んでおられたそうですが」 「ほおー、では真先が採りそうな戦歴はなかったかな」 「はーて?…ああ、イッソスの戦いが地形上似ていますなあ」と言って話し出す。周辺の指揮官らも耳を傾ける。 【…紀元前333年11月、各都市を征服し、北へ上がったアレクサンドロス率いるマケドニア軍とダレイオス3世率いるペルシア軍がイッソスの南ピナロス川において対峙した。7万以上のペルシア軍と3万のマケドニア軍の狭い海岸地帯での戦闘が始まる。ペルシア軍は過密気味で、騎兵戦力に支障が起こり、アレクサンドロスは両翼の敵に猛攻を加えさせ敵の陣形を崩し、自身が近衛歩兵や騎兵を率いてダレイオスの布陣する中央部へと切り込んでいった。この時、敵のギリシア人傭兵はマケドニア密集歩兵と互角の戦いを演じていたが、やがて左翼のマケドニア軍も中央へ殺到した。中央部に布陣していたダレイオスはアレクサンドロスの攻撃を受けると逃げ出し、アレクサンドロスはそれを追撃していった。ダレイオスはアレクサンドロスの追撃を逃れ去り、指揮官が逃亡したペルシア軍は統制を失って総崩れになった…】
「どうも、この時代の兵は重楯、長槍、の歩兵軍団と弓兵軍団、軽騎兵軍団、重騎兵軍団と分かれていて、縦横無尽な組み合わせの攻撃で、アレクサンドロスは連戦連勝したのではないでしょうか」 「となると、真似て、真先は先頭に立って攻めるなあ。両翼より中央か、うーん…」思案する真備。 「確か、真先様は執弓とも名乗られているように弓矢の名手。あの方を避けて、攻めてみればいかがでしょうか」 「では、皆の衆、最初は皆、真先を避けて、周辺を攻められよ。真先の一団が孤立したら包囲して、第2、第3陣で真先を討ち取るとしましょうか」 やれやれ、とした表情の真備。ちらっと山部を見る。
三井寺が提出した周辺地図を見て、山部考えている。 「どうなされた」 「ああ、もしも敵が逃げ落ちる場合、西への山道を上り、朽木という所から南に下り、この盆地、たしか太秦という絹の里が在る所へ行くのではないかと、思いましたが、気のせいでしょう。背後を攻められる虞があるから採用しませんね」 「そうじゃなあ、殿(しんがり)の兵が、追う敵を防ぐのは困難じゃからな」 【後の世に織田信長は、もっと北であるが、羽柴秀吉を金ケ崎のしんがりにして、この南への間道を京都まで逃げ帰るが、今の時点では、京の都は存在していない】
またも、山部は地図のこの盆地をじっと見つめる。将来自分が遷都を決断する先とは思いもしなかったが、何故だか気に掛かっていた。
押勝一族の滅亡 9月17日、正午から官軍と押勝軍の戦いが始まる。押勝軍の指揮者は2男真先である。 狭い攻め口を官軍の先兵が駆け込むと、亀甲の陣形で押勝軍が待っていた。真中前面に、十数騎を従いた真先がいる。 真先、大音声で 「我こそは惠美押勝の嫡男、真先なるぞ、手柄を立てたくば、我が首を刎ねろ、出世間違いなしだぞ」と言い、強弓で矢を放ち続ける。 ばたばたと、官軍の兵が倒れる。 真備の軍命を忘れて、功を焦り、第1軍全員が真先に押し寄せる。 将の山城守日下部子麻呂まで、真先の「おう、くさかべ、くさかべ、臭いぞ、匂うぞ、怖くて、屁をしたか」との侮りに怒って、攻めていった。 官軍が押し合いへし合いのところを、真先の合図により、左右の押勝軍が攻めかかる。 押勝軍はよく頑張り優勢であった。 官軍が総崩れになった午後5時、藤原蔵下麻呂(良継、百川の弟)率いる第2波の新手が押勝軍を攻めだした。 真先を避けて、周囲の兵を攻めて行く。 敵のまっただ中に真先の主従は置かれ、やがて押勝軍の敗色が明らかになる。そして、真先の取り巻の騎兵達は討ち取られ、真先にも矢が当たり、馬から落ちる。 押し寄せる兵に首を取られる。両翼の弟達も倒れた。逃亡する兵も出だす。 官軍の包囲網が出来だし、翌18日、残った押勝軍は、鬼江の浜に追い詰められる。 やがて絶望的なあがきの決戦になり、押勝軍は敗北。 これまでと思った押勝、数人の妻子と共に小舟で脱出するが、官軍の兵が舟で追い、直ぐに捕まり、砂浜に引き立てられ、斬首される。 残った家族、家来らも皆殺しに遭うのである。砂浜は目を覆うばかりの惨状となった。 氷上塩焼も殺された。乱が始まってたった7日目である。
これまで情報戦で先手を打って政敵を滅ぼしていた押勝は、真備にその裏を掻かれて、情報網を乗っ取られて、敗れ去ったのである。 藤原の氏の長者に仕える草組織は消え去り、これ以後、藤原一族は、王家との婚姻による外戚で権勢を得ることに血眼になるのである。
|
|