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平安遥か(V)飛翔の時 作者:ゲン ヒデ

第7回   7
           大内裏への参集 
  いつもより4半時(30分)早い夜明け時に、鼓楼が鳴る。
日頃と違う、速い調子の打ち方である。
広嗣の乱以来、実に24年ぶりの非常招集の知らせである。
大内裏へ参集する官人達の多くは甲冑を着込んでいる。馬で来る者も多かった。衛視の役人が、整理におおわらわである。

東の壬生門を抜けた白壁王家一行は、家宰、郎党6人で、馬を引き連れている。王が窮屈そうに若き日の短甲を着け、山部はあの大伴家の短甲を着けている。
目前左右に、武(兵)部省と文(式)部省の建物が立つ。

文部省の建物の方から、短甲姿の5人の少年が駈けてきた。
1人は永主、他は家持に薩摩へ同行した部下達の子等である。
永主言う。
「やっぱり山部様だ。わが家伝来の甲冑を着ておられたから、そうだろうと思いました。山部様、お願いします。私たちを配下にお加えください、薩摩にいる父の代わりを務めますので」
「配下にと言われても。私はまだ無官だし、父上どうします」王に山部、困惑顔で聞く。
「配下なあ。文(礼)部省の大輔(次官のこと)辺りの許可がないとなあ」
「大丈夫です。伺ったら、好きにしろと仰いました。文部卿が反乱軍に加わって逃げてしまったので、それどころではないようでした」
「ええっ、氷上塩焼殿が。それは真か」驚く王
「はい、馬上の氷上塩焼様が、酔っぱらって『朕は、帝ぞ、帝ぞ』とわめいていたのを、多くの者が見たそうです」
「愚かな!こんな時機に、のこのこ田村第に行くとは。酒で酔わされて利用されたのだろうが。軽率極まりない、なんという方だ、ああ」呆れ果てる王。
王の姿を心配そうに見ていた永主
「中納言様、父が何かあったら、我が友、市原王の舅、あなたさまを頼れと言っておりました。お願いします、私たちを配下に。何でもしますから」
「まあいいだろう、公老くわえておやり。馬を連れて、あそこで皆待っているように」
太政官府建物の横の広場を示す。他の高官らの郎党らも集まっていた。
少年らは喜び、王の郎党に加わった。

           軍略会議    
王は山部を連れて、前の朝堂殿に向かう。その奥が朝堂院である。
案内の役人が、院入り口で、「白壁中納言殿御なり!」と唱える。
中柱が並ぶ講堂のような朝堂院の内部では、立ち姿の殿上人と武将等が正面を見つめている。東雨戸が外してあるので、内部に朝日が射し込んでいる。

玉座の螺鈿貼りの黒椅子に、紫の袈裟の法衣の上皇が座り、打ち合わせだろうか、真備が話しかけている。
その周辺の人物らに、百川、良継、坂上刈田麻呂を山部は認めた。
山部と目が合うと、刈田麻呂は上皇に何やら囁く、
上皇も刈田麻呂に喋る。

刈田麻呂、山部に向き、大声で手招きする。
「山部王、こちらへ参られよ。急がれよ、山部王、急がれよ、山部王」
慌てふためき、刈田麻呂の前に行き、
「刈田麻呂様、王、王と叫んでもらっては困ります。この前言ったように私は『王』ではありませぬ。『王』と呼ばれるのは父と弟だけ、私は皇族から外れます」
狼狽する山部。皇族詐称は大罪であるから、怯えたのである。
「ははは、称号の有無など気になさいますな。直ぐ付きますから、山部王」からかう刈田麻呂。
真備、良継、百川も面白がる。慌てふためく山部の姿が珍しいのである。
「山部王、こちらに来よ」玉座の上皇も、面白そうに呼ぶ。
 ああ、と困惑の山部。
「上皇陛下、私は、功もない私は、王ではありませぬ」
「はは、そうか。では、山部、この度の働き、妾は嬉しく思うぞ。噂の天才少年だったそなたは、思ったより逞ましいのう、これからも、頼みますぞ」
「はは、懸命に務めます」山部答える。

やがて、殿上人らが揃ったので、上皇は立ち上がり、話しかけた。
「皆の者、参集大儀じゃ、今日集まって貰ったのは、よく皆判っているように、あの反逆者、仲麻呂の賊軍を討ち滅ぼすための軍議を開くためじゃ」
(渡された紙を読み上げる)
「昨日既に『藤原永手に正三位。吉備眞備、從三位。藤原繩麻呂、從四位下。大津大浦、從四位上。坂上苅田麻呂、正六位上、…(略)…』と授位した。さらに本日は『前大納言、文室眞人淨三、前の引退による給付半減を改め、全給に戻す。白壁王並びに藤原真楯、正三位。中臣濂麻呂、正四位下。藤原宿奈麻呂(良継)從五位下、…(略)…』と叙位する。他の者達もこれからの働きによっては、位を上げるぞ、励めよ」
皆、「はは」と頭を下げる。
「つぎに吉備真備、中衛大将を命ずる。またそなたには軍略を任せる。すぐさま軍議を始めよ」

真備が合図すると、台盤(儀式用食器台)が運ばれてきて、朝堂院真中に置かれ、皆その周辺に集まる。
「遅いな」真備いらいらする。と役人が慌てて来て、真備に耳打ち、
「持ち攫われただと!どこか他を当たれ」
 役人、飛んで行く。
「どうかしましたか」山部訊く。
「図書の頭が、地図を持ち去った。あやつ、押勝の一族だったか」
「地図は、どの辺りが必要で」
「うん、都から近江、若狭、越前位か、それらの詳しい街道がな」
「美濃は」
「今のところ要らぬなあ」
「じゃあ、私が記憶を頼りに書きましょうか。そうだ、あの几帳の布がいい」といって玉座の横の真っ白な絹の几張を示す。
「ああ」当てにしてない風で答える真備。
 几張が降ろされ、台盤に乗せられ、書記らから大小の筆を貰い、山部、じっと目を瞑り、記憶を絞り出す。
 目を開け、まず、近江の海(琵琶湖)の湖岸線を描きだした。
 見ていた父、白壁王、
(出しゃばりおって。あーあ、恥を掻く)と初め眉をひそめたが、描かれる地図を見て
(あいつの頭の中は、どうなっているのだ)と驚きだす。
 皆もどよめきだした。手本も持たず、山並み、街道を描く。記憶だけで正確な地図を描き出しているのである。

 見ていた殿上人の2人が話し合う。昔、大仏の渡金作業に立ち会った役人である。
「おい、あの男、たしか山部とかいう市原王の義弟ではないか」
「ああ、そうだ。水銀蒸気の毒防ぎの口覆いを考え出した天才少年だな。今もすごい。記憶だけで正確な地図を描くとは。しかし、何故だろうなあ。あの功績が消され、口覆いの中身まで秘密にされ、あの作業まで、一切口外禁止になっているが」
「父親と市原王の意向だそうだが」

【更なる仏像への渡金の流行による、外部への水銀毒蔓延を怖れたのである】

「変だなあ。あの功績であの男、だいぶ出世できたはずだが、しかしあの時の作業は苦しかった」
「そうだなあ、口覆いして、体中に炭と硫黄の練り粉を付けたがなあ」
「おかげで、まだ生きているぞ、あの男に感謝せねば」
「そういえば、市原王は作業中に咳をしだして、口覆いを外したが。すぐ病になったのはそれが原因か」

 主な地名を加えて、15分すると、地図を書き終えた。
 ふっと、息を吐き、山部
「馬駅も書きましょうか」
 あ然とした顔の真備
「いや、それで十分だ」
 真備、皆を見渡し
「皆様がた、お聞きくだされ。今、賊軍は宇治から逢坂越えの官道を回り、瀬田の橋を渡り、近江国府を目指しておるはず。その後を我が軍が、間をあけて追っておりますが、今、別働隊として、山背守、日下部子麻呂殿が、選抜した騎兵二百人を最短の田原道を駆けさせ、先回りし、瀬田の橋を焼き落とす。ああ、その前に十騎が、瀬田橋を渡り近江の海の東回りで、ここ越前国府を目指す。国府にいる恵美辛加知に面談し、すぐ斬る。何も知らぬままあの者は絶命となる。瀬田を通れないとなれば、押勝は東回りに越前を目指す。越前を味方にして、南北から挟んで追い詰めることになりますかなあ」
         
                        瀬田の橋
「あのー、真備様」山部の質問が始まる。またかと真備、昔を思い出す。
「押勝様は、すでに先兵を瀬田の橋確保に向けているのではないでしょうか。五十騎位で」
「なぜ、判るのかね」
「田村第を訪れた時、壬申の乱での兵法の研鑽を、押勝様が息子様達となされていました。意見を求められて、最初に何が何でも兵を進めて、瀬田橋の確保か破却が、勝敗を決めると言いますと、感心されまして」
「山部君、それは裏切り行為だぞ」
 慌てて、横から父、白壁が言う
「それは十年以上前、大学を止める報告に行ったときのことで」
 当惑する真備。
「それで、官道の駅はどうなっていますか」山部訊く
「先回りして触れ回っているから退去したはずだ。馬もおらぬだろう」
 図を見ながら山部考える。
(敵が今、出発したとして、乗り換えなしで、うーん…三時(6時間)、8つ(午後1時)、こちらも同じか。こちらが先に着くには、途中で乗り換えの馬が必要。となれば、里々に頼むか)
 日下部子麻呂を探し、言う
「山背守様、よろしいですか、私めが、この五カ所の里に先に行き、乗り替えの馬を、周辺から用意してもらいます。三十五頭、三十五頭、三十五頭、三十五頭、最後の田原郷で六十頭は集まるはずですから。だから、うまく早足で馬を進めてください」と言い、五カ所を墨で印を付ける。
 そして、走りだし、東口から、飛び出していった。あ然と見まもる皆。
「礼儀知らずをお許し下さい。陛下。なにせ宮仕えをしておりませんので」白壁王ため息をつきながら、上皇に謝る。
「ほほほ、頼りになる男じゃ、そなたのお子は。気になさるな白壁」

 軍議は続けられ、殿上人各人の軍役目が決まる。
 白壁王は、軍監を兼ね一軍五百人の軍団指揮官を命じられた。その兵らは、東大寺の僧達の、にわか部隊であった。

                        田原道
 紅葉した山々の間の街道を、狩り衣姿の山部と5人の少年が馬で駆けて行く。
 瀬田の橋までの中間の地、田原郷は現在、茶畑が麓に広がる宇治田原という茶の産地であるが、当時は秋の野原か雑木林である。
 6人は少しでも速くと、刀、甲冑を外している。後から、従者らが運ぶ手はずである。
 途中、途中で少年達を里長の家へ遣らせる。里長達は皆、好意をもっている山部に協力しょうとして、周辺の里々からも馬を集め、街道に置く。やがて官軍の騎馬隊が着き、順に馬を乗り替えて、先を急ぐ。

 正午前11時半には、田原郷で乗り換えた馬で、山部は瀬田の橋に着く。やがて少年達も着き、徐々に官軍の騎兵が着きだす。
 二百騎が揃うと、衛門少尉、佐伯伊太智(イタチ?)物部広成ら豪の者、十騎が馬を乗り替え、休むことなく越前へ向かった。
 瀬田の橋は12時半には焼き落とされ、やはり午後1時に押勝軍の先手が近づく。小競り合いの戦いがあり、敵は戻っていった。
      
           押勝の困惑
 進軍中の押勝の許へ先発騎兵が戻り、報告をする。
「なに!敵がすでに先回りして、瀬田の橋が焼かれただと、信じられぬ。そんなに速く来られぬはずだが」考え込む押勝。
「太師様、敵兵の向こうに狩衣姿の男を見かけましたが、あれは確か、隣家にいた山部です。どうしてあの男があそこに」
「山部?…そうか、あの男、先回りして、商い付き合いの里に、乗り替えの馬を揃えさせたのか。してやられた。さては、あいつ、始めから上皇方だったか」
 側にいた氷上塩焼が口を出す。
「押勝、橋の前の敵を攻め破り、川を渡ればいいでないか、朕が命じる、兵を進めよ」
 前にいる押勝次男、真先、振り返り、慌てて説明する。
「陛下、敵は背水の陣、被害が多くなります。打ち破って川を渡るとしても、足元が覚束ない状態で、川の向こうから雨あられと矢が降り、南からの敵の新手が横から攻めてくれば、我が軍は壊滅します」
 軍略以前の常識も判らない塩焼に、呆れる真先。
「そんなものかのう。じゃあどうするのだ」
塩焼の問いに、押勝答えた。
「海(琵琶湖)を西回りで越前に向かいましょう。
越前で冬の大雪に守られながら、諸国に檄を飛ばして、春に糾合した大軍で、奈良を目指すのです」
 言いながら、これは夢物語かも、と不安が湧く押勝。
「ではそちらへ行こうか」塩焼、気楽そうに手綱を引く。
 押勝は思った
(こんな男より、山部を味方にした方がよかったかも。適齢の娘か孫娘がいたら、婿にして、親の白壁王も抱き込み、王家の秘密を天下にばらせば…)ため息まじりの押勝

 押勝軍は、琵琶湖を西回りに北へ進む。強行軍である。
 行く先々の寺院に加勢を頼むが、皆、門前払いをする。
 官軍は距離を空けて、後を追う。前後から包囲し、じっくりと料理しようとの真備の作戦である。


             押勝の迷走の果て
 翌日13日には越前の国府に佐伯伊太智" 佐伯伊太智率いる十騎が到着し、職務中の押勝の9男辛加知に、注進の振りをして近寄り、いきなり斬り殺した。
 騒ぐ役人らは、勅状を読み上げると、大人しくなり、官軍に加わり、国境の愛発関を守るため、物部広成の指揮下で道を急ぐことになる。

 同日、押勝は騎兵数十騎を先発させていた。
 14日昼、先発が愛発関に至ると関は閉じられていて、矢が飛んでくる。
 押勝の兵は甲冑が目立つのである。華麗な色彩は良い的になった。これこそ、忍びの綾麻呂の意図した策である。
 やむを得ず馬から下りて、押勝の兵は関を攻める。だが容易に破れない。死傷者が増え、指揮者は退却を命じた。

 その晩、押勝は高嶋郡の角家足(配下の豪族)宅に泊まっている。
(隕石が寝屋に落ちた、と史書には記されているが、家足が裏切りの暗殺のため、屋根の上から大石を落として、失敗でもしたのか?)

 翌朝、押勝は氷上塩焼の即位と、自分の子らを親王に叙する儀式を行なっていた。他から見れば茶番劇だが、自らの拠り所が必要な彼らは真剣である。
 やがて、愛発関の突破が失敗した知らせが入る。まだ辛加知の死を気づかない押勝は、越前入りに固執し、15日朝、船で琵琶湖を北上し別の道から越前入りを狙うが、逆風で船が進まず、元の場所に戻り、陸からもう一度愛発関に向かう。
 また先発が関で交戦し、十人位の被害が出る頃、辛加知の死と越前国が敵方になっていることを悟る。
 全軍を南下させ琵琶湖西岸の勝野で官軍を迎え撃とうと、壬申の乱時の近江朝の城跡に集結させる。迷走の果ての覚悟である。
 官軍の南からの侵攻口は、西に山並みが迫り東は湖岸の隘路となっている。狭い土地に官軍を誘い、迎え撃つ作戦である。

 翌16日、陣地造りに全員が精を出す。敵の侵入を防ぐ逆茂木(棘付きの枝を巻き付けた柵)を諸処に仕掛けるのを2男、真先が兵らに督促している。
 逆茂木を自ら柵に巻いていると、父押勝が視察にくる。
 そして真先の作業を手伝い出す。
「父上、手に怪我をしますよ」
「こんな事ぐらいは出来る。…あいたた」
「言わぬ事じゃない。…ああ、父上、お願いがあります。わたしを嫡男として総指揮を任せてください」
 押勝、手を止め次男を見る。
 跡取りを3男久須麻呂にとしたことに、真先は、心の底で無念に思っていていたのである。
「すまなかった」父、子の心情を知り、涙を浮かべる。
「いえ、久須麻呂に比べ、私は鈍な者ですから、恨んではいません。だが、死ぬ前は、嫡男として戦いたいのです」
「うんうん、思えば、勇敢なお前はわしの子で、1番優れた素養の持ち主だ。我が後継者として敵を打ち破れ」
「昔、山部が講釈した荒草田王(アレキサンダー大王)の合戦のひとつ、たしか、一疎州(イッソス)の仕方で、敵を縦横無尽にかき回します。敵の初めの第一波を敗走させて、錐で穴を開けるように第2波の将だけを目指し、討ち取れば、敵は退却します。そこで、諸国に檄を飛ばすのです」
「うん、よく言ってくれた。良い策じゃ。思う存分暴れろ」
「ですが、父上。私達が力つきたなら、1人でお逃げ下さい。夜の海を渡って東岸に着き、どの里でもいいからかくまってもらいなされ。善政をしていたから、あの地の者は義理堅く守ってくれるでしょう」
「お前達を捨て逃げる、そんな卑怯なことは出来ぬ」
「昔、山部が話したことを覚えていますか。『卑怯だと罵られても、生きのびて、万に一の可能性に賭けるのが、真の勝者』と少年のくせに平然と言い放ったでしょう」
「自分なら大友の皇子みたいな哀れな死に方はしない、だったか。山部は憎めぬ男じゃ。…ああそれでじゃが、草忍らを束ねる大津大浦(表向きは陰陽師だった)まで裏切ったが、どうも上皇側に伊賀の忍が付いて、草狩りされたかもしれぬ。山部と一緒だった甲冑師がくさい。うっかり草2人のことを漏らしたのがまずかったか。大友皇子の母は伊賀の上忍の出だが、天智系の白壁王に、伊賀の忍びが仕えだしたかもしれぬ」
「まさか、考えすぎですよ。王は臆病な男。真備が雇ったのでしょう」
「裏切った草らの嘘に、かき回されたのが痛かった」
「父上、過去の失敗は忘れましょう。明日に賭けましょう」
「決戦か。…(大声で言う)皆の者、明日は決戦ぞ、覚悟は良いか!」
「えい、や、わっせい!えい、や、わっせい!」作業を止め、兵らは掛け声を出す。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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