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平安遥か(V)飛翔の時 作者:ゲン ヒデ

第6回   6
                       乱勃発 
 9月3日、押勝は上皇宮へ参内して、正式に都督四畿内・三関・近江・丹波・播磨等国の職の拝命を受けた。一国当たり20人の徴集を申し出ていたので、上皇は承諾したのである。

 押勝が退出した後、真備が密かに参内し、上皇から話を聞く。         
「押勝がのう、おかしな事を言っておったぞ。『道鏡の先祖は物部弓削守屋大臣で、先祖の位と名を継ぐことを謀っておりますぞ、道鏡を退けなさいませ』だと。何を言っているやら。じゃが、禅師様が物部氏の出とは知らなかったのう」
「ああそれは、焦らすため押勝に流した嘘の情報で。残念ながら、禅師殿はただの庶民ですなあ。内々で調べましたが、皇族や豪族の落とし胤に、かすりもしませんなあ、ははは」
「ふーん、そうかえ」気のなさそうな相づち、をし
「ああ、それから、こんな事も言っておったぞ。禅師様は安積を死なせた偽医僧と同一人物じゃと」
「さて、20年前お亡くなりになった安積親王様のことで?…押勝が毒殺したと、いまでも噂が立っておりますが」
「いや、毒殺などされておらぬ。確か、鍼医に診て貰ったはずじゃが、針灸では治らぬ病に罹っておったのじゃ。気になるから、奉仕しておる者にあの頃内舎人だった者がいてな、呼んで聞くと、舎人仲間の家持の話によれば、白米の取りすぎによる脚病じゃと。その病の治し方はなあ、ウナギをたらふく食べることじゃとか。自慢げに家持はウナギを勧める和歌を披露したそうじゃ。何某に申す、ウナギを食せとかな。ああ、それから、その鍼医じゃが、家持が確かめたらしい、別人だったそうじゃ。背丈も容貌も違う」
「はあ、ウナギですか、あれは小骨が多いから食べづらいが、押勝は大分骨を抜いておりますから、もう食べ頃ですなあ。しかし、なにを血迷っているのでしょう、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』ではないし」真備、首を傾げる。

 翌日、田村第へ出向していた外内記(書記官)が慌てて、上皇宮へ駆け込み、諸国への兵の割り当ての命令書が、1国当たり600人に替えられた事を奏上する。
 重大な命令違反であり、謀反を計画していると疑われても仕方がないのである。
 すぐに兵を田村第に向かわせようとする上皇に、
「慌てめされるな陛下、5,6日お待ちくだされ、こちらも準備がありますので」と、真備が抑えた。

 その日から、東大寺の僧と寺男の引く荷車が、田村第の周辺を、雑踏のように行き来する。
 特に隣の真備邸(旧市原王邸)への荷車の出入りが多かった。田村第に立つ衛視らは、病のために滞った造東大寺の仕事を、真備が急いで処理していると思いこんでいた。
 だが、荷の木箱の中は甲冑と武器、兵糧であり、多くの僧等は甲冑を着込み、邸内で待機しだす。
 他の周辺の屋敷でも、同様に待機しだした。
 
 11日、孝謙上皇は少納言山村王に鈴印・内印の回収を命じた。諸国への押勝側の兵動員の指図の連絡を絶つためである。
 内裏の天皇(淳仁)の手元にあるので、少納言山村王は、中宮院(内裏)にいる天皇に上皇の御教書を見せると、緊迫した状況をまったく知らされていない天皇は、あっさりと印を舎人に探させ、山村王に渡す。
 その時、1人の舎人が出てゆき、馬に乗り田村第に急いだ。普段、内裏内で馬を走らせることは出来ないのに、何故か誰も制止しないのである。
 
 その舎人、押勝に注進したふりをして、衛視の詰め所に戻り、打ち合わせで邸に戻っていた久須麻呂に、何やら話す。

 朱雀門から出て、上皇宮正門に入るようとの上皇の指図に従い、鈴印、内印を恭しく抱えた従者らを従え、山村王が2条大路を歩いていると、手勢を率いてきた久須麻呂が、印類を渡せと前を遮る。
 山村王と従者等は逃げだし、印類を周辺に放り散らかす。印を手に入れた久須麻呂の手勢が戻る途中で、坂上苅田麻呂等の兵が襲い、多数の矢が放たれ、久須麻呂に当たり絶命する。

 田村第では、久須麻呂が、出ていった直後に、上皇の印類回収命令の事を、押勝は知ったのである。
「おう、素早いのう、久須麻呂は。真っ先に、帝(淳仁天皇)を迎えに行くとは、さすがじゃ」
 と感心していると、重臣、矢田部某が言う。
「いえ、印類を奪いに行かれました。陛下を奪いにいったのではありませぬ」
「なにい、印を奪いにだと。…大事なのは帝じゃ。印は写し(複製)がわが手元にある(淳仁帝から承諾を受けていた)。帝さえ我が手にあれば、あの女(孝謙上皇)と対等に戦える。久須麻呂は、わしに何故、一事聞かなかったのだ」
「いえ、陛下付きの密偵の舎人が知らせに来て、大殿に会ってから、久須麻呂様の許に戻り、印類を奪えとのご沙汰があった、と申しましたが」
「あの舎人には会っておらん。信頼していたが、さては裏切ったか。矢田部、すぐに久須麻呂を救いに行け。敵の罠にはまったらしい」
「はは!」矢田部は自分の手勢を率いて行ったが、時既に遅く、久須麻呂の次に矢田部までも倒されたのである。まだ昼の事である。
 おとど様の命だと言って侍女が、鈴印、内印を取りに来て、邸内を出ていったと、奥の侍女付きの小女が慌てて押勝に報告する。またも押勝頭を抱える。
 残っているのは、日頃使っている太政官印である。これで何とか諸所への命令書を出そうと思ったが、上皇側は、反逆者押勝の太政官印は無効だ、とすでに使者を諸方に発していたのである。

 この日、この屋敷内で政務を執る押勝のための、出向の役人達は何も知らず、職務をしていた。
 また、文部卿になれた氷上塩焼は、この緊迫した世情に気づかず、のこのこ、と任官の御礼のために伺候していた。
 帝の奪取が出来ぬ押勝は、氷上を新帝に祭り上げることを思いつき、侍女らに命じ、良継からの酒で、氷上を泥酔するよう、し向けた。

 逃げ帰る者達二十数人が邸内に入ると、門は閉じられた。役人達は邸内で留められたままである。
 邸内の東西の高楼の入り口が破られ、見張りの者が上がる。周囲を見渡し、慌てて押勝への報告に行く。
「周辺の屋敷には多くの兵がたむろしております。武器も大分揃えております」
 急いで、押勝は西楼に上がり、真備邸を見おろし、驚く。
「いつの間に、準備したのだ。真備め」
 上皇宮を取り囲んで、上皇を排除するつもりだったのに、自分の方が先に取り囲まれ、攻め滅ばされかねないのである。

 まもなく押勝の邸に、上皇の勅使として紀船守が来るが、門は閉じられたままであった。
 やむなく紀船守は門前で、官位と領地、俸給、藤原姓の剥奪の勅命を宣する。そして引き揚げるときに、久須麻呂らのむくろを乗せた板戸を運び、門前に置いて帰った。
 門が開き、二十以上のむくろは邸内に運び込まれ、邸内でのすすり泣きの声が、外にもつたわる。

 家族と共に悲嘆にくれていた押勝は、涙を拭いて言う。
「屋敷の中で 今すぐ荼毘に付せ。我らは、今夜、都を離れ、近江に戻り、二万の軍を率いて戻ってこよう。その時に盛大な葬儀をする」
 自信はあった。本拠の近江国に加え、北の越前国司と東の美濃国司は自分の息子だし、
自分の息の掛かった諸国の国司達の軍兵を、糾合すれば出来る、と踏んでいた。
 だが、任地の実際に居る国司は9男辛加知だけで、他は目代(代理人)を送っている、
という問題があった。だから、すでに兵の招集令を目代らに送ったはずであった。
 だが、志願して使いに行ったはずの男は、綾麻呂に籠絡されたあの家臣であった。当然命令書は、上皇側に渡り、握りつぶされていた。

                  押勝軍の都退去
 池の向こう、南の木立では、荼毘の煙が流れている。
 田村第に止められていた役人達は、寝殿前南面に集められ、階上の押勝が、(中衛府の兵団【押勝配下の衛兵団】を率いて都を退去し、任国の近江へ帰る)ことを宣し、「味方になって同行される方があれば有り難たし」と言って、皆を帰させた。
 1人が上皇への書状を言付かる。それには
「この度の御不興により、今晩、おとなしく都を去りたく思います。願がわくは、不慮の事態で、都が灰燼に帰する事なきよう、ご配慮のあることを」の意味が書かれてあった。 撤退するのを邪魔すれば、都中に火を付けるぞ、との脅かしである。風も吹いているのである。

 この書状を上皇から見せられた真備は、脱出する押勝軍に、絶対に手を出さぬよう、すぐさま諸家への伝達を指示する。
 藁葺きや檜皮葺の多すぎる都の建物は、火を付けたら一溜まりもない、1番の心配であった。
「まだ、油断は出来ませぬが、なんとか都が戦火に遭うことは、防げますなあ。追い出した後はこちらの物。明日の軍議は陛下のご臨席を賜り、朝堂院で行いたいのですが、よろしゅうございますか」
「ああよい、明日が待ち遠しいのう」

 田村第、北西対の建物では、酔って目の据わった氷上塩焼に、新帝におなりなさい、と勧める押勝の姿があった。
 壬申の乱を引き合いに出し、近江の国で挙兵し、諸国の兵を糾合し、上皇の弱兵を破り、この都に戻って、盛大な即位式をいたしますぞ、と言う。
 簡単に氷上塩焼は、その誘惑に乗ってしまった。
 
 戌の刻の初め(午後8時)田村第の諸門が開いた。
 中から、鮮やかな甲冑を着飾った中衛府軍団が出てくる。
 綾麻呂らの手に掛かった華麗な装備は、風で揺れる松明の明かりで、幻想的な影を映し、行進する。
 残念ながら見物人は少ない。諸家の戸は閉じられ、住人は中で息を潜んでいた。諸家の屋根の上では、伏せて見つめている者が、月に照らされて認められる。

 真ん中に松明を持った兵、左右に火矢を引いた弓兵、それを取り巻き楯を掲げた弓兵が、騎馬の列の前後、間々に入れた構成の隊列である。攻撃されれば、火矢を放ち、都を業火にさらすのである。
 隊の先頭が「おほきおほいどの(太政大臣殿)おほんだち(御立ち)」と大声で称えると、全員が「エイ、ヤ、ワッセイ!エイ、ヤ、ワッセイ!」と応じる。
 繰り返し、このかけ声がかけられ、およそ千の兵が、3条大路と4条大路に隊列を分け、威風堂々と西へ進む。
 3条側の行軍の真ん中に、妻子ら40人を引き連れた馬上の押勝がいる。横の馬には氷上塩焼が、竹筒の酒を飲みながら、わめく。
「よいか、皆の者、朕は帝ぞ、朕は帝ぞ、陛下と唱えよ、陛下と唱えよ、あはは、あはは…」酔っぱらいの大声が、兵等の掛け声に混じり、風に紛れて諸方に伝わる。

 諸家で、戸を開き駆けつけた者達が、二百人程加わる。押勝の一族の者等である。運命を共にする覚悟である。
 当時の、惠美家の主従の関係は、強く、後に敗色となっても、裏切りがなく、殉じた者は少なくなかったのである。
 
 一人が押勝の側へより、一枚の巻紙を差し出す。図書寮頭である。
「太師様、都から近江への絵地図の全て、図書寮にあるのを奪ってきましたぞ」
「おお、でかした、でかした。ありがたし」と謝し、渡された地図を広げ、松明の火に照らし、考える。
(宇治から近江への道は、やはり逢坂越えで行くか。近道でも狭い田原道は、背後から襲われるとまずいし、駅はないから乗り換えの馬もないようだ、だとすれば敵の先回りのおそれはない)
   
             山部モテる
 この頃、白壁王邸では、家族、家来、使用人等がひとかたまりになって、戸外にいた。井上内親王と新笠、能登、難波女王、侍女らが不安そうに話し合っている。都が大火になった時の、逃げ出す算段である。
 十四歳の他戸が、怒りだした。不安に耐えかねた心の病の発作である。慌てて山部が気をそらせるようにして静め、寝所へ連れ帰り、寝かせるよう、侍女に頼んだ。
 他戸が去るのを見送り、父が言う
「あの病を治せる医書は、何処に消えたのだろう」

【山部十二歳の頃、義兄(市原王)の書庫で見付けた書であるが、一巻目の最初の部分だけ読んでいると、持ち主の使いが来て、手違いで納めたが、悪用されると危険な書だからと、奪うように持ち帰ってしまった。未だに持ち主が判らないのである】

「あちこちの医家に尋ねるのですがねえ。最初の喜怒哀楽の施療法だけでなんとか、他戸を鎮めるまでで、肝心の治療の箇所が判らぬとは。文章は、どうも我が国の者が、書いたような感じがするのですがねえ」
「根気よく、諸方を当たってくれよ」
「ああ、はい」

【実は、その医書の筆者は玄ボウ(→日方←)(聖武帝の生母、宮子の長年の精神病を治した医僧)で、その書の持ち主は留学仲間の吉備真備であった。後に妹、酒人女王が発狂したとき、東宮の山部は、治療のため真備から貰うことになるが】

 寝殿の上から大声が聞こえる。仕える下僕である。
「大殿、火事にはなっておりませぬ。押勝の軍は都の外れに行った模様です。戦にもなっておりませぬ」
「そうか、用心のため、今しばらく見ていてくれ。降りるとき、気を付けてな」
「はい」下僕答える。
「もう大丈夫だろう。皆、中へ戻ろうか」
ぞろぞろ皆は戻ろうとしたが、山部は動かない。
「明日は早いぞ、山部。少しは寝ないとなあ」
「私は、大丈夫ですよ」
「いやいや、明日は大事な戦のための朝議だ。寝ておけ」
「はいはい、では、ひとり寂しく寝ますか」
 すたすたと、妹、酒人女王が近づき
「山部、わたしと寝ようか」
 山部、あ然とする。
「私と寝よう、寝よう。お前が好きじゃ。嫁になってやるぞ」
 幼い五百井もまとわりつき「わたしも嫁になる、嫁になる」と負けずに言う。
「姫様がた、それは出来ませぬ」
「なぜじゃ」酒人きく。
「父上が、…、わたくしめをたたき出しますので。そうですなあ、父上」
「ふふふ、そうじゃ、大事な姫らに手を出す者は、山部だとて、容赦はせぬ」
 井上内親王ら、女達が笑う。
「父上なぞ、嫌いじゃ」さっさと姫は帰ってしまう。
「ははは、山部、幼い子によくもてるのう」
「まいりますなあ」頭を掻く山部。

「明日から、押勝様と敵になるのか。恩を仇で返す様で、気が進まぬが、やむを得ぬか」ため息をつく白壁王
「私も。あの方には親身に世話になりましたから、裏切るのは辛いです」
「まあ、我らが生き延びるためには仕方がないか…」
 遠くの兵馬の足音は聞こえなくなり、月が西に傾き、親子は建物に戻っていった。
          

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Novel Editor by BS CGI Rental
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