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平安遥か(V)飛翔の時 作者:ゲン ヒデ

第4回   4

妻子の死 
 翌日、押勝からの密書が届き、山部が、良継の処へ持っていこうかと思っていると、父と百済王敬福、舅の手代が揃って来た。皆、深刻な顔をしている。胸騒ぎがする。誰が話を切り出すか迷っている。
父が話しだした。
「ああ、山部、気を静めて聞けよ、たった今、知らせが来たが、お前の妻子は土砂崩れで亡くなった。お前に会いに、都へ来ようとした途中、雨が激しく降り、奈良との境の、従者の親類の里に泊まったそうだ。寝ていた家に、背後から山崩れの土砂が襲って、寝ていた者の内、1人だけが助け出されたが、泊まった話をし終えると亡くなったらしい」
「そんなばかな。都は不穏だから、しばらくは来ないようにと、止めていたのに。何故、都へ来ようとしたのですか」
「そこは分からぬ。寂しかったのではないかな」
山部、天を仰いだ。
代わって敬福が言う。
「山部殿、申し訳ない。原因を作ったのは、わたしだ。大仏殿の用材や塗金用の炭の多量の調達のため、都に一番近いあの地をはげ山にしてしまった。あとの植林を手抜きした。突然の大雨に山肌が保たなかったのだ。すまぬ、すまぬ、すまぬ」敬福は老骨の体を土下座さして謝る。
 山部は上の空になっていた。気を取り戻してから、山部と手代は交野(かたの)へ馬で急いだ。
 父も一緒した。彼の夏風邪は、消し飛んでしまっていた。
この年、白壁王家は2回の葬儀をする羽目になったのである。しかも、どちらも亡くなる遠因が大仏建立によるのであった。
以後、桓武帝は生涯、東大寺大仏に敬虔な気持ちを持たなかった。

     皇位への道
押勝からの密書は、白壁王の信頼厚い家臣、槻本公老が、良継邸に届けた。
山部の妻子の不幸も伝えられた。
彼は、しばらくの間、山部の代わりに市原王邸を差配することにもなり、連絡役を当分、引き継ぐという。ある程度、謀略戦の秘密が知らされていた。
良継達は、公老を丁寧に饗応した。

 彼が帰った後、娘夫婦が住んでいる離れの建物で、兄弟の密談が始まる。
「兄上、どうかなあ、山部様は大丈夫かなあ」百川心配する。
「しばらくは、そっとしておくとして、すぐ立ち直るだろう。わしが見込んだ人物だ。帝になる方の試練としては軽い」
「冷酷だねえ、兄上は」
「それでも、内心は心配しているが」
「まあしかし、彼を帝にするのは、大変な難事だねえ。とにかく、先に白壁王を帝に就けなければ。これが最初の難事だが。まずは、第1手の、皇位争いに巻き込まれないための、あの腹踊りは、利いたみたいだ。一応、上皇は、王の皇位への猜疑心は起こすまい。兄上は面白い謀略を立てるものだ。楽しくて、誰も傷つかぬ」
 子の他戸王が故聖武帝の孫であることが、白壁の皇位への有力な候補条件である事を、いま誰も気が付いていないが、この二人は、この事を推戴する時の切り札にしよう、と思っている。
「上皇が、実直そうな白壁王の顔を見たら、腹踊りを思い出して、気が緩む。信頼こそされ、猜疑心はおこらぬはずよ。他の有力な皇族達に猜疑心を向けさせて、除いてもらおう」良継にやりとする。
「いやあ、その腹踊りのことだが、意外な効果もあるみたいですよ」    
数日後、道鏡が参内して、健康増進の名目の祈祷を行ったが、後で、納得できない顔をして、侍臣、和気清麻呂に、陛下のお心になにかあったのですか、と聞いたそうである。別に何も、と答えられて、首を傾げて帰ったそうである。
マインドコントロールが、腹を抱えて笑う事により、切れかかったのである。

「ほう、そんな効果もあるのか、これからは白壁王には、何度も上皇の前で踊ってもらおう。わしも踊ろうか」
「やめてくださいよ、兄上。兄上が、昔、していたのは、裸踊りでしょう。女性の上皇の前で踊ったら、不敬罪で、再度の流刑ですよ、ははは。白壁王は、姉婿だし、腹だけの露出だから、ぎりぎりの処で不問ですがねえ」

(どうも、白壁王は、良継の裸踊りを見て、腹踊りを考えついたらしい)

「なるほど、ああ止めておこう。話は変わるが、他の帝候補者だが、1番有力なのは氷上塩焼の子、陽侯だろう」
「経歴で問題が多いあの男の子は、有力ではないでしょう」
「いや、先帝の孫なのは、他戸王と同じだ。本流の天武系の血統なのが強い。上皇は、異常に官位を上げていから、後を継がせる気だろう。なんとかせねば」
「それなら、父親、塩焼を押勝側に付いてもらうように、運びますか」
「できるか」
「押勝のおかげで地位が上がったように思わせて、押勝邸に入り浸りにすれば、押勝が都を逃げ出す時に、帝に祭り上げるため、連れて行きますよ」
「うーん、うまくいくかなあ」
「あの男は軽卒で有名だから、そのように動きますよ」

「他の帝候補も多いが、あの鎌足公の遺文があれば、天武系の皇族、皆に見せつけて、皇位を辞退させられるが」
「あれ、兄上、父上が、疫病で熱にうなされて、今際の際に話した妄想を信じているのですか。天武帝が斉明女帝の子でないとは、ありえないでしょう。『長屋王は天武、高市皇子の2代続いた、にせ王族の子だ、あの男の祟りなぞあるものか』あれが父の妄想の最後の強がりだったが」
「昨日、家持の子が、天の香具山の秘密の儀式の事を気軽に話してなあ。父の言った通りだった。後の話も、その後、訪れた永手に単刀直入に尋ねた。あいつも驚いていた。やはり、父親、房前が、今際の際に話したそうだ。あいつ等も妄想と思っていたそうだ。北家でもそうなら本当の話だろう」
「そうなら、鎌足公の遺文は、南家か京家に伝わっているはずだが、おそらく南家、ウーン、押勝か、あいつの手にあるとなると…、まずいなあ」

【藤原鎌足の子は藤原不比等であり、その息子は4人いて、長男、武智麻呂の子孫は南家、次男、房前は北家、三男、宇合は式家、四男、麻呂は京家と呼ばれていた。後の世には、北家が権勢の隆盛を極めるが、今は、南家の次男、惠美押勝が、兄、豊成を追い落として氏の長者になっている】

「いや、永手も言っていたが、豊成が持っているのではないかなあ。鎌足公直筆の六韜(中国古来からの兵法書)の写本はしぶしぶ弟に渡しているが、危険な書だから燃やしたと騙して、手元に置いているではないか」
「では、難波の隠居所にあると」
「おそらくな。あいつを復権させる恩を売り、遺文を戴ければいいが」
「その文を見せつけて脅したら、天武の子孫らはおそらく皇位を諦めるか。あればいいが。だが、1番やっかいなのが道鏡でしょう」

「あの男、どんな野望を持っておるのか。まさかと思うが…。いっそのこと、おだて皇位を望ませ、樹の上の皇位への梯子を掛けてやり、途中の枝で休憩させ、梯子を外してしまう手だて、を考えようか」
「皆を除けば、山部殿の帝への道が開くのか。兄上の夢の手伝いは大変だなあ。」
「いや、最後の難関は、白壁王だ、あの方は一筋縄ではいかぬ。他戸王から山部様に東宮を代えるのは難しい」
「まだまだ先の話ですよ。下調べもこれからですよ、まずは、惠美押勝を謀反に追い込まねば」

「そういえば、山部殿に、諸国の兵を集めて、都督衙にて訓練する、と押勝が言ったそうだが、反乱の意図があるぞ、調べろ」
「おそらく、押勝は、反逆の準備を仕出したのでしょう。反乱までに、山部殿と白壁王が戻っておればいいが」
「あと、1月はあるだろう。大丈夫だ。交野(かたの)は近いし」
「交野か。あそこは、風光明媚な処で、干魃がない土地だが、山崩れが起こるとはねえ」
「都側の川の上流だけの災害だそうだ。下流は大丈夫みたいだそうだ。今年も、諸国が日照り気味で、干魃になると言われているが、大雨が襲う所もあるとはなあ」
良継、蝉鳴く窓の外の、雲無き夏空を見上げる。

娘の諸姉が繕っている夏の朝服を持ってきた。百川に着せて寸法を調べだした。
 2人を見ていた良継、
「わしはなあ、ずっと前から、天武帝が、天智帝の弟でも、異父の兄でも、辻褄が合わぬことに気になっていた」
「なんですか、それは」
「お前達は、叔父と姪だ、だが、わしとお前は異母兄弟だから、問題はない【現代ではだめ】。だが、天智帝が、同母の弟に娘の大田皇女や持統女帝を嫁に与えたのが、不思議だった。異父兄弟だとしても、『はらから(同腹)』を嫁にできるかどうかだ」
「百年前なら、許されていたのではないですか。斉明帝の弟、孝徳帝と間人皇后の例もあるし」
「その、孝徳帝と斉明帝は、異母姉弟だと書かれた古文書を見付けた」
「え、日本紀(日本書紀)には、同母と記されていましたよ」
「編者は天武帝の子、舎人親王だ、事実を書き換えるのは簡単だ」
「なるほどねえ。他人なら、辻褄があう。異父兄弟だとして、弟の娘に手を付ける、うーん…。世間体上まずいかなあ。でも、背徳感があるなあ」うらやましく百川呻く。
「あなた!」振り返ると妻、諸姉、凄い形相である。着せていた朝服を剥ぎ取り、「どうか、そんな姪を嫁になさいませ」と言い、そそくさと出ていった。
「おい、わしには、そんな姪はおらん。例え話だ。明日着ていく朝服はどうなるのだ」
慌てふためく百川。
「まったく、兄上、何とかなだめてくださいよ」
「夫婦の間のことは、夫婦で解決してもらうとして、退散するか。がんばれよ。謀略家の百川様」
「そんなあ、ひどいですよ、兄上、夫婦の仲をおかしくする謀略なんかして」
出ていく兄の背中へ愚痴を言う百川。
「夫婦の仲か。その仲を思わぬ運命で引き裂かれた山部様、立ち直ってくだされや」
交野の方の空を見、思わず願う良継。


            七夕
 交野は不思議にも、七夕にちなんだ地名がある。
織物を能くする渡来人が住み着いた地だからであろうか。
織姫に似た神を祭った、織物神社があり、天の川と似た天野川が近くを流れている。

その下流の郡衛(郡役所)の屋敷に白壁王親子は、泊まっていた。弔いは前日に終えた。明日は都へ戻るつもりである。
山部は、弔いが終えた疲れか、昨日早めにぐっすり寝たので、今日の夕刻は、眠られず、天井を見ていた。父は、何やら舅と話し合いをしに行ったまま、帰ってこない。

山部は、明信との会話を思い出していた。妻の容貌の引き合いに出された美少女は、優美な人妻になっていた。妻の面影を宿していたから、悔やみの挨拶にきた時、山部は、妻が生きていたかと、はっとしたものである。
野辺の帰りの古道で、
「山部様、葬儀の際わたくしを見られて、ひどく驚きにならましたわねえ。お姉さまとよく似ていますか」
「はは、驚きましたよ。若いときの妻と,よく似ておられる」
「そうですわねえ。たしか14年前でしたか、あなた様がわたしをじっと見つめられた時以来ですわね。あの時は、あなた様の目に吸い込まれるような気がして、怖くなって逃げ出しましたわねえ」
「ああ、あの時は、よだれを垂らしていると、敬福様に囃されましたなあ、ははは」
「でも、私は姉上様とは、別人ですよ。くれぐれも私に言い寄らないでくださいね。夫も子もおりますから」
「確か、国司をなさっている藤原の方の後添えになられて、枚方の葛葉の荘にお住みとか伺っていますなあ。ああ、はいはい、けっしてあなた様に懸想はいたしませぬ。ご安心ください」

「でも、お姉さまでなく、あの時私を妻になされたら良かったのに」恨めしそうに言う。
「あなた様はあの時、たしか9歳、とてもとても」
「そうですわねえ」と、ため息をつく明信の横顔は、妻と、うり二つであった。

戸の音がして、思い出が途切れた。父が戻ってきた。
「山部、起きていたか。すまぬが、夜空を見るのにつき合え。今晩は七夕だ。星がきれいだぞ」
【旧暦の7月7日は現代の8月初めであるが、本来の七夕の日である】
けだるく起き出し、服を着、父に従い、庭に出る。

「舅殿とよく話し合ったが、お前、商人への道は止めて役人になれ」
「ああ、そうですか」あきらめ顔で山部言う。
「上皇様が、お前をえらく気に掛けている。押勝様の事が片づいたら、すぐに初位にし、近従に取り立てるお積りだ。他戸(弟)の事は気にせんでよい。あいつの守り役は他の者に任せる。お前はお前の道を行けばいいのだ。だがな、舅殿はこれからも大事にせよ。お前に愛情と知識を注ぎ込まれたからなあ。これから役人となれば、商人の経験はきっと役立つだろう」
「わかりました」やはり力のない答えである。
答えにほっとした白壁王、東の交野山の上の空を見る。
「あれが、織り姫、そちらが彦星か」天の川を隔てた輝く3つの星の2つを指さす白壁王。
「お前の妻は織物が上手だったなあ。織り姫の星に行っているのかなあ。側に小さな星が寄り添っているが、孫はあそこか」
「私が彦星に行くのを、待っているのでしょう」
父は叱る
「いや、そんなことはない。そんなことを願ってはおらん」
言い終わり、顔を和らげ、星を見上げて続ける。
「わしはなあ、物心が付いた頃、母がいないのに気づいた。夕べに、遊び友達を迎えに母親が来るのを、寂しく見続けたものだ。ある日、迎えに来た、紀のばあ様に、亡くなった母を責める愚痴を言うとな、ばあ様が泣いて叱った。母は臨終の時、幼い姉と赤子のわしを見て『残されるこの子達が不憫じゃ、不憫じゃ、何も手助け出来ず、空から見守ることしか出来ぬとは。何故、こんな悲運に会わねばならんのじゃ』と悲痛な思いで亡くなったそうだ。母に申し訳なかった。わしはその事を聞いて、決意したのだ。生きてやる、生きてやる、天から見ている母に、長い間、ハラハラどきどきさせて、見守ってもらおうと思った。それが、悲運な母を慰める事じゃ、と信じている。母も機織りが上手だったそうじゃ。だから、七夕の夜は、あの星を見上げて母に、白壁は頑張って生きています、といつも話しかけている。お前が卑しむ腹踊りも、権謀渦巻く都で、生き延びる手だてじゃ。無償で喜ばせるわしに、敵意をもつ者はおらんと思っている。なあ、山部、お前も、生きて、生きて、生き抜けろ。妻や子をハラハラさせていつまでも見守ってもらえ。それが、悲運で亡くなった者に対する、残された者の務めじゃ、なあ」ぽんと肩を叩く。

子は嗚咽し、父があやしているのを、交野を覆う満天の星々は見まもっていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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