家持家の人々と桓武帝の後日談(前) 翌年765年春、新任の薩摩の守と家持は交代したはずだが、3年ほど役職に就いていない。次ぎの役職を待機しているか、新政権で臨時の職務を命じられていたのであろうか。 その頃から、山部王との付き合いは、いっそう深まっていた。山部の役職や和歌作りの相談に、家持は快く応じた。 ある日、家持が永主に言う 「変よなあ、吾子(娘)のことを話そうとすると、王は怯えた風情で、あの方のことに触れるのは勘弁してくだされ、と言われたが。何故だろう。吾子に手も触れていないはずだが」 簡単に永主答える 「ああ、きっと、姉の妄想、20人の妃を持つ帝になる、などが陛下(称徳女帝)の耳に入ると、白壁王共々、反逆罪で誅殺されるのを怖れられているのでは」 「ああ、なるほどな」家持感心する。 当時、皇位を望むのが露見した者に、称徳帝は過酷な処断をしていたので、永主の勘違いを、尤もだと理解してしまったのである。 それからは親しい付き合いの中でも、娘の事には一切触れなかった。
ある日、役所からの親子連れだっての帰り道のことである。 「信じられん。白壁王が次ぎの帝になるとは。永よ、わしは吾子(あこ)の所へ寄ってくる。訊きたいことがあるからな」 「驚いたなあ、姉の話は妄想でなく、未来の予知だったのですね。これからの山部さまの未来を知り、うまくいけば、わが家も大出世、出来ますね」 「だが、東宮(皇太子)は他戸様だ。こりゃ、何かとんでもない事が起こるぞ。吾子のあの話、人には言うな」と言い、娘の処へ行ってしまった。
夕刻、ガックリして帰って来て、永主に話す。 「吾子は、山部王の未来のことを話すのを拒否しおった。未来を知って、行動すれば、山部王やわが家どころか、国の運命まで狂ってしまうと言っておったが。分からんことを言う」 「ああ、それはこうではないですか」と永主、中国の故事を言う。 心配で付いてきていた斉明帝まで「成るほどな」と感心している。
やがて中務卿の山部親王の部下、中務大輔になった家持への、山部の信頼は高まっていく。 そして山部が即位してからは、大伴家は昇進してゆくが、ある時、危機が起こる。 氷上川継の謀反事件である。 川継は、惠美押勝の乱で誅殺された氷上塩焼の息子である。最初の陽侯という名を計志計麻呂と称徳帝に替えられたが、光仁帝の代になり、川継と名乗りを変えている。 この男の家来が、何故か武装姿で宮中に入ろうとして捕らえられ、川継の謀反を自白し、川継が逃亡する騒ぎになったのである。
家持親子は、桓武帝の直々の取り調べを受ける。 呼びつけられた永主はニコニコし、もみ手までしている。 「永主、どうしたのだ」帝、呆れて言う。 「はあ、川継の身分不相応な反逆心を無くさせた功により、私の昇位が有るのでしょう。有り難うございます」 「何を言っているのだ。お前が謀反をそそのかせた、との注進があったのだぞ」 「いー、私がそそのかせた、そんなばかな。陛下、私は、恵美押勝の乱のみぎり、陛下から塩焼きのモロコを譲られました。あの時の陛下のご恩を忘れてはおりませぬ。そのような私めが、謀反を焚きつける訳がありませんでしょう」 食い物の恩を言う永主に、苦笑いして帝言う 「新年の宴の席で、川継が自分の不運を嘆いていると、お前が外へ連れだし、何か話したなあ。戻った川継の顔色が変わっていた、と皆が言っておる」 「ああ、あの話ですか。天武帝の出生の話ですよ。陛下もご存じでしょう」 「何のことだ」 「陛下、亡き良継様から聞いておられるでしょう」 「言っていることが分からぬ」 「聞いておられぬのですか。はて…」しばし考え込み、王の称号を持つ3人の近従だけを残し、人払いを頼む。 そして、お社での良継から聞いた大海人皇子の出生の秘密をばらした。 「信じられぬ」という帝に 「そのこと、藤原一族が吉備真備様に明かして、先帝(父、白壁王)の即位を認めさせた、と良継様から聞きました。後世に伝えるな、と真備様が命じたとも聞きましたが…。ご不審なら、そこの3人の天武帝の御子孫にお聞ききださい」
3人の近従は、白状するように真実だと認めた。 考え込む桓武帝に、永主の横で控えていた家持言う。 「陛下、川継の家来は、川継を見限って讒言したのでは。皇位を望む資格がないとなれば、川継は大人しいでしょう。寛大なご処置を。それから、関わった我が子の代わりに、私が罪を負います」 「うーん、あの者は軽い流刑にして、ほとぼりが冷めてから戻そうか。家持、お前と、宴席に連なった坂上刈田麻呂は、都の外の温泉地に半年程流刑する。何処でも選べ。あとは不破内親王(川継の母)か。称徳帝からの再度の流刑となると、淡路の温泉地で、娘達とのんびりと余生を暮らしてもらおうか」
「あのー、私は」永主、期待顔で言う。 「お前は、今まで通り職務に励め。休みは取らさぬ」 ガックリしている永主を見て、桓武帝と家持、笑顔になる。
家持家の人々と桓武帝の後日談(中) この3年後の785年(延暦4)、父の出世に連れて、従5位下、右京亮(江戸時代でいえば町奉行の補佐役)に出世していた永主35才は、突然の不運に遭う。例の、藤原種継暗殺事件の首謀者が故、家持との冤罪事件。 これにより隠岐への流刑となる。 この事件の調査の伺いを、臣下が桓武帝に言上した際、 「故、大伴家持の娘婿は上司と不仲で、免官にあい、一家逃散しておりますが、探し出しましょうか」 「いつ頃か」 「確か、先帝(光仁帝)のご即位の後のことですが」 「昔のことか。不問にせよ」 「ですが、縁者も処罰しるきまりが…」 「そっとしておけ」 「ですが…」 「頼むから、そっとしてくれ」怯えたように桓武帝が、頼むのであった。 それから20年後の805年、事件の冤罪者らが許され、永主も新都、平安京に着いた。
流刑の間、残された家族に、何処からか、姉からの援助の財貨が届けられていた。 逃散してから音信不通だったのに、これを妻から聞いて永主は首を捻った。 そして、平安京の新宅に住みだして、1月後のことである。京の永主邸に、病に伏せった姉からの使いが来た。姉の次男である。 頼みたい事がある、是非とも来てくれ、とのことであった。甥に連れられて小舟で桂川を下り、淀につく。 そこで姉一家は舟で荷を運ぶ小さな問屋店を構えていた。穀物の相場を姉が予測し、有る程度、利を得て生計を立てていたらしい。 甥が言うには、姉は大もうけをいやがり、相場が上がっても、それより安い値で客に卸ていたそうである。人生相談にも乗ったので、客には絶大な信頼を得ていたとのこと。 なるほど、予知の力の助けもあって、姉はうまく生きて来たのかと、感心する。
姉の寝所に案内される。寝ている姉の周囲に、義兄と3組の甥や姪の家族等が、詰めている。 髪に白い物が混じり、顔にも皺ができているとはいえ、60歳の姉は、不思議にも余り歳を取った感じがしない。永主、懐かしさが募る。 入った永主を認め、姉が呼ぶ、 「永主か、よく来てくれた。妾は、もう長くない。お前に頼みたいことがある。そこに櫃がある。ハア、ハア、開けて中の物を見なされ」 壁の前の櫃を空けると、幾つもの巻物がある。1つ取り出し見る。 綺麗な錦布で装丁され、「萬葉集巻一」と題字が顔真卿流の書体で書かれている。 慌てて紐を解き、広げ見る。
【萬 葉 集 巻 一】 【泊瀬朝倉宮御宇天皇代 大泊瀬稚武天皇】 【天 皇 御 製 歌】 【籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳爾 菜採須兒 家吉閑 名告沙根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曾居 師吉名倍手 吾已曾座 我許曾者 背齒告目 家乎毛名雄毛 】
少年の頃、筆写した懐かしい漢字文である。 「これは!」 「そうじゃ、ハア、ハア、そなたが写した万葉集20巻じゃ。ハア、ハア、頼みたいのは、これらの運命を、山部様に委ねたいと、宝の姫尊が仰せじゃ。この歌集を守るのに疲れたとのことじゃ、ハア、ハア」 「斉明帝!」 「ああ、お前の右に居られる、ハア、ハア」永主おびえて、右を見る。当然見えない。 「おびえるな。歌集の守護神をなされておる。お前の赤子の頃から、優しく見守ってくだされた方じゃ、ハア、ハア」 「では、今までの不思議なことは」 「万葉集を守るため、なされた御技じゃ。ハア、ハア、山部様がこの歌集のことを尋ねられたら、此処にあることをすなおに話しなされ。2度と焼き捨てることは、なさらぬはずじゃ、」言い終わり、息を継ぎ、夫に言う。 「あなた、わたしの最初で最後のわがままを、許して貰えますか、ハア、ハア」 「うん、うん、許す。わしのような不器用な者によく尽くしてくれた。思う存分好きなことをせよ」義兄、涙を流し言う。
「永主、済まぬが、書状が櫃の右側に入っているが、取り出して、渡してたも、ハア、ハア」姉に言われて、見付けた書状を何気なく開く。 「これは!」そう、山部が書かされた神前起請文である。 「陛下の御字と御手形では」黒々とした手形に驚く。 「そう、山部様が書かれた約定。ハア、ハア、これがある限り、妾は一生山部様と会えなかった。ハア、ハア」と寂しい表情、渡された起請文を胸に抱き、 「山部さま、山部さま、ハア、ハア、山部さま…」いつまでも桓武天皇の名を呼び、息絶えた。 姉は、陛下を恋い焦がれていたのかと、永主は、今初めて気づいたのであった。 横から 「頼むぞ、永主。ああ家持が迎えに来ておる。詫びて来よう」 見れば、陽炎のように婆さんの姿が見え、消えていった。
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